鹿島神宮を訪問した。 「神宮」というからには、そこらの神社とは別格なのだろう。 天皇家に関係している神社のことを神宮と呼ぶ様だが、天皇家の起源までさかのぼると、天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀る伊勢神宮、武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)を祀る鹿島神宮、経津主大神(ふつぬしのおおかみ)を祀る香取神宮、を三大神宮と呼び、他とは別格の位であるらしい。 橿原神宮、平安神宮、明治神宮など皇室にゆかりの実在の人物も含めた祭神の「神宮」は全国に25?あるらしい。 ちなみに、大社、宮、神社などの呼び方もあるが、大社は大きな神社、特に同じ神を祀っている場合はその大本の神社のことを大社と呼ぶようである。 神無月の出雲大社は? 三大神宮以外の神が集まるところらしく、祀られている神が、鹿島神宮や香取神宮よりも格下ということらしい。
鹿島神宮と香取神宮は東日本平定の拠点で、(以前のブログ「貝塚」の記事でも触れたが)縄文後期までは、霞ケ浦、現利根川、埼玉近くまで、香取海と呼ばれる大きな入江で、その湾の入口の両岸に位置する重要な場所にある。 今でも、12年に一度開催される「式年大祭御船祭」と呼ばれる儀式があり、両神宮の御祭神(武甕槌大神、経津主大神)が北浦から香取市加藤洲あたりで、出会うという式典が行われている。 前回は平成26年(2014年)9月1~3日であったが、12年に一度の午年、次は令和8年(2026年)ということになる。 三大神宮の二社が、この辺り(水郷地域)にあり、合同での儀式があるところは非常に興味深い。
観光地としての鹿島神宮は、その他の有名な神社の参道商店街や建物の佇まいと比較すると何かひっそりしている。 楼門を通るとすぐに本殿があるが、私はその奥の本殿から奥宮に向かう奥参道が好きである。 奥宮は家康が関ケ原の戦いの御礼奉納した当時の本宮であったが、1619年に秀忠により現在の本殿が建てられた後に、奥宮として移築された。 敷地内は、東京ドーム15個分の広さでそのほとんどは自生した樹木に覆われており、神秘的な中に、幾つかのスポットがある。 奥参道の途中には鹿苑があり、当時は神の使いとして大切にされたが、奈良の名物の鹿は春日大社の創建時にここから運
ばれたものと言われている。 要石と呼ばれるどこまで埋まっているか分からないとされる石、毎日豊富に湧き水が出る御手洗池(この辺りは高低差はあるが山はない)などがある。 また、敷地の東西南北にはそれぞれ一之鳥居があり、特に大船渡の一之鳥居は、水上鳥居であり、「式年大祭御船祭」の時にはここから神輿が水上に出る。 鹿島神宮はその成り立ちからも武神として、源頼朝、徳川家康など多くの武将たちの崇拝を受けてきた。 一度で見るような観光スポットではなく、その歴史と神秘性、さらに香取神宮と合わせて、数度訪問すると都度新発見がありそうなところである。 次回の「式年大祭御船祭」の午年には、私は70歳を超えている。 そのころには、神道のこと、天皇のこと、日本や日本人を作ってきたものに関する知識も深まっているだろうか!

日本人の宗教観、特に自分のことを考えると、生まれついて、薄いと言わざるを得ない。幼少期から正月は神社に参拝、法事は坊様の説教と正座・・ という日常習慣から宗教的儀式に触れたり、両親や祖父、祖母から聞く先祖、神様、仏様の話がすべてであったような気がする。高校時代の友人たちの中で、敬虔なクリスチャンが3人若くしてこの世を去った。皆さん、だれもがいい人という人格と、行動を常としていた。まだまだ、人生これからという時に逝ってしまった。この時は、神は、呼びやすい人を早く召すのか・・・?と思ったものだ。 憎まれっ子世に・・・という言葉があるのを現実的に受け止めなければいけないのかとの矛盾を感じ、もともと薄い信仰心がさらに萎えたように思います。だんだん、自らの現世での時間が少なくなる中、信心が薄いとばちが当たる・・との祖母の言葉が改めて思い出されるが、その時は粛々と受け止めあきらめよう(-_-)
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