サッカーワールドカップ2026が始まった。 今年の楽しみなスポーツイベントの一つでもあり、応援しようと思うが、アメリカ大陸での開催であり、現地サマータイムで時差16時間、西海岸時間で現地8時から17時の日中の仕事時間は、日本時間0時から9時(朝出社時に電話すると帰る準備をしている)ということで、ビジネス上近しい関係のようで、実は接点が非常に少なかった記憶がある。 東海岸では3時間前倒しになるため、米国滞在中は、チャンネルを変えると5時間ほど野球中継があったように記憶している。 ということで、楽しみだったサッカーワールドカップも日本には都合の悪いライブ放送になるはずである。 今回のワールドカップは、日本国内では日本チームは史上最強と大変期待されている。 私も期待している。 というのも、前回の反省を踏まえての森安監督(さだまさし、福山雅治等数少ない長崎県出身の有名人、いや、役所広司、川口春奈、平戸海、ジャパネットたかた…結構いる)の施策として「個の力」を挙げていることである。 農耕民族である日本の文化としては、集団で物事を達成し、集団で成果を分配するという教育が施されてきており、出る杭は…、能ある鷹は…、奨励していない言い伝えがほとんどである。 この記事が公開される頃には、ワールドカップの結果は出ているかもしれないが、時差を乗り越え、「個の力」を応援したい。
「個の力」については、自分自身も最近考え直していたところである。 殻の外(定年退職後)の日々の生活の中で、今、現状を見つめながら基本に立ち返ることを続けている。 その中の一つに、“若手のホープ”と言われながら毎週参加している近くの公民館の囲碁同好会がある。 基本に立ち返ると囲碁というゲームは、相手と自分の相対的な「個の力」を競い合っており、相手よりも深く「読む」ことが勝利への近道となる。 言い方を変えると、交互に手番が回ってくるため、自分は最も勝利に近づく効率的な手を選択し、相手にはできるだけ効率の悪い手を選択させることを「読み合う」のである。 プロはその究極を狙うため、いかに「速く」「深く」「正確に」そしてその結果予測図の「判断」が求められるのである。 囲碁将棋の上達の秘訣は「三手の読み」と言われるが、初心者は相手の手が予測できず思うように行かない。 多少分かってきても選択肢が多すぎて訳が分からない。 それを乗り越えてはじめて、楽しみたい派と、上達したい派に分かれる。 その先にアマチュアの上位層があり、プロへとつながる。 私の場合は、たくさん読むと脳の中で回線や画像が錯乱し始め、「まあいいか!」という別のつぶやきも聞こえてきて、中途半端な誤魔化しの手を打ってしまうのである。 究極としては、脳の中で誤魔化しのささやきを許さず…、と言いたいが、脳の制御は困難で、レベルは 違うが、アマチュアもプロも同じ葛藤をしながらの自分との戦いと なる。
思い返せば、高校生の時に「個の力」を体験していた。 始めたばかりの楽器で三人バンドを結成し、こともあろうに、 コンテストに参加するためのオーディションの、 そのためのオーディションを受けたことがあった。 六畳ほどの薄暗い部屋で、 演奏曲の一番だけ全員演奏の後審査員に演奏を停止され、 一人ずつ自分のパートを歌い演奏することを要求された。 当然ガチガチで、何度か失敗しながら完結しようとしたものの、 それも停止され、全員意気消沈しながら帰路についた。 世間を舐めていたのである。 グループで対応すると、一人一人の負荷が下がると思っていたが、 そうではないのである。 それも最近のコンピュータ音楽活動で気づいたことであるが、 音程とリズムのズレは、音を楽しむ「音楽」 にとっては致命傷であり、耳障りでは音を楽しめない。 コーラスやオーケストラは、 音程やリズムに自信がない人たちがそれを助け合う( 敢えて耳障りな言い方をすると“誤魔化す”) ために大勢で演奏するのではなく、 大勢で演奏するときの音色や迫力としてそのような構成にしている のである。 私の中では、旧アイドル達や、旧ジャニーズ系の男性グループ、〇 〇48系の女性グループなどの、大勢での歌やダンスは、 一人のパフォーマンスではミスやズレが避けられないため、複数で対応することで誤魔化しているという風に考えたくなる。 もちろん、 ユニゾーンの歌やシンクロの振りの完成度の高いものは凄いことは わかっているが、私としては先入観からなんとなく完成度を低く見積もる傾向にあり、 それらのグループは長年好きにはなれないのである。 最近では輪をかけて、日本発信のそのようなグループの形体が、 マーケティング的にワールドワイド化したKーポップとなり、 逆輸入された日本人か韓国人か分からないようなルックスで、なおかつ、 グループ名や構成メンバーの名前や歌詞までもが判別できず、 ますます遠ざかってしまっていた。 もちろん、BTSのような世界で活躍中のグループは、 歌もダンスもさすがに一線級なのだろう。 私は見ないが…。
「嵐」という旧ジャニーズの男性グループがある。 いや、あった。 つい先日「ラストコンサート」を行い、運よく、数日遅れで「ラストコンサート」 をネットで見ることができた。 興味がないはずであったが、見ているとちょっと興味が湧く。 二年のブランクを感じさせない演技であった。 みんなそれぞれにジャンルの違う世界で活躍しているのであるが、 歌やダンス、トークや立ち振る舞いまで、 妥協がなく統制が取れていた。 気になったのはムービングステージ(嵐が歌うステージ自体が高く上がったり、 横に動いたりする)の上のパフォーマンス、 工場関係者だった私から見ると高所作業である。 1.5メートル以上の高さでは作業員(嵐)は、命綱を付けるか、 ステージに手すりが必要である。 それは見た目が悪すぎて興ざめになるだろう。 調べてみた。 「劇場等演出空間の運用および安全に関するガイドライン」なるものがあるらしく、簡単に言うと、明るくする、近づかない、であるが、法律は法律であり、事故が起きると大目に見られず厳しくなるのだろう。 彼らのパフォーマンスは、今頃になって気づいた「 個の力」を結集した上で、自然に助け合いを実現できていると思えた。
記事の結末が見えなくなってきたので、言いたいことをまとめてみる。 自分の趣向とは無関係に初めての経験は貴重である。 一生のうちで知らないことが一つでも減ることは生きている意義かもしれない。 その中で、好きなことは「楽しく継続」したいし、またその中で幾つかは深く掘り下げてみたくなり、「うまくなる鍛錬」をし多少本質にたどり着く。 私から見ると誤魔化しているように見える演技でも、しっかりと「うまくなる鍛錬」を積んでいて、それもプロフェッショナルであり、「個の力」である。 それと日本人特有の助け合い文化が再融合すると…。 プロにはなれなかった我々は、経験の幅を広げて、たまには深堀りして、自分の脳が一生のうちで体験した容積を増やすことが重要なのかもしれない。 東京で「1時間の小旅行」にこんなことを考えながら、一度行ってみたかったテレビ朝日前の毛利庭園を目指した。 想像より小さい! 残念! ここは六本木である。 「乃木坂」「けやき坂」「さくら坂」、それから「狸坂」「狐坂」「芋洗坂」、「仙台坂」に繋がるのは「日向坂」…、坂の多い街である。 坂の後に数字をつけると…。 そのうちに、「イモアライ坂48」が出るかもしれない…と、膝に乳酸を溜めながら坂を登り、息切れそして一人笑い! いや、それはない!





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