いばらき巡り【南部編】

「いばらきミュージアムガイド」という冊子というか、広げるとA3サイズ2枚分の面積に茨城県のミュージアムが紹介されている資料がある。 サブタイトルは、「驚き!発見!いばらき 知の旅 美術/歴史・民族/産業/自然・科学/歴史」となっている。 66か所のミュージアムが紹介されている。 発行元は茨城県博物館協会。 令和8年4月末時点で、私としては15か所訪問済み、達成率20%強である。 数年前の桜のシーズンに、この資料に掲載されている「かすみがうら市歴史博物館」に同行した、地元を離れている娘は、父親の性格を理解しているようで「全部廻るつもりでしょう!」とのコメント。 その気はなかったが耳に残った。 計画ぐらいは立ててみよう! ただでさえ茨城県紹介のブログ記事数が不足気味であり、動機づけにもなる。 県北の2地区はちょっと難しいかもしれないが、基本的には日帰りのドライブである。 あの徳川光圀ですら、ドラマでは全国行脚であるがあれはほぼほぼ水戸と江戸の往来。 それ以外は茨城県内であり、計画が実行されれば県内ほぼすべての市町村の訪問になり、黄門様越えとなるはずである。 ただ彼の場合は、悪代官をやっつけ住民の暮らしを守るのであるが、私の場合は無料や高齢者割引の微々たる入場料と、地元のコンビニと名物お菓子程度の貢献であり、比較対象にはならない。 

今回は南部地区、つくば市の南から利根川北岸を辿る、通勤渋滞を避ける意味では逆ルート、最初の目的地は「利根町歴史民俗資料館」と決め出発する。 しかしながら、久しぶりの通勤時間帯の移動である。 全体的な車の流れが速い! その上車間距離が近い! 片側2車線の道路では、車線を頻繁に変えながら走る車が多く、油断をするとすぐに前に侵入してくる。 まるでレース状態で、思わず現役時代と錯覚して巻き込まれ気味になる。 と思うと、強引に前に入ってきた車両は、信号待ち時に化粧をしているような影の動きで、信号が変わっても動かない。 気づくとまた突っ走り、次の信号待ちでは私の横にいる。 影の動きではなく大当たり! 困ったものであるが、みんな忙しく、周りを気にする余裕もない時間帯なのである。 やっと車の流れが落ち着いてきたと思ったら、以前紹介したあのコロッケの街、竜ケ崎付近を南下している。 その後はほんの15分程度で目的地に到着する。 資料館紹介の前に、以前から疑問に思っていたことがある。 利根町周辺は茨城県北相馬郡なのだが、相馬と言えば相馬馬追いで有名な福島県の浜通り(太平洋岸)である。 この機会に調べてみたのだが、やはり関係はあった。 もともとは鎌倉時代以前に下総の国(利根川を挟んだ千葉県北部と茨城県南部)の豪族相馬氏が、源頼朝と義経の兄弟喧嘩の戦いの際に頼朝に貢献し、その恩賞として福島県北東部を与えられ、二極支配が行われたという先祖のつながりである。 弟分の福島県の相馬の馬追いが有名であるが、互いに「馬追い」の催事が継続している。 

利根町歴民に話を戻す。 基本的に2つの流れでの展示であった。 一つは貝塚。 縄文後期に広い範囲で貝塚があったようである。 つまりは海辺? 小さな貝殻や魚の骨からして汽水域のようである。 もう一つは、川の氾濫対策。 利根川とそこに流れ込む小貝川はこの地点で交わる。 大きな川の名前は地名がつけられることが多いが、いつも氾濫していた暴れ川の割にはかわいい名前、貝塚の小さな貝の影響のようである。 大昔の時代背景や出来事が、その地域の地層を見るとわかるというところが非常に印象的であった。 その小貝川の最下流(利根川に合流する付近)の橋を超えると取手市である。 約30分のドライブで次の目的地に到着。 こちらは、「歴民」ではなく、もっと直線的なネーミングで、埋蔵文化財センター。 利根町同様、広い範囲の貝塚が連なっており、貝殻や骨だけでなく土器や埴輪も多数貯蔵されている。 取手市のもう一つの特徴は旧取手宿である。 副将軍家(水戸藩主)の江戸“出張”の際に、利根川を渡る前、または渡った後の休憩場所として、地域の名士、豪農の家が使われていたようである。 利根川と小貝川に挟まれたエリアである。 その後は北上すること約30分。 
趣向を変えて、探検家間宮林蔵の生地、つくばみらい市の「間宮林蔵記念館」である。 伊能忠敬の弟子であり、私は余り重要視していなかったので、訪問したことはなかった。 間宮海峡という名前が付いている位の知識だったが、当時世界では樺太も含めたこのエリアは未開の地であったらしく、間宮が世界に先駆けて、初めて樺太が半島ではなく島であることを発見したとのこと。 幕末間際の頃で、当時は日本の領土を把握する意味でも、正確な地図は国策であり重要だったようだ。 探検家間宮のデータにより、伊能の日本地図は完成した。 間宮記念館では小貝川との関連は期待していなかったが、彼の子供の頃には、田んぼに水を引くために小貝川を堰き止めて(たぶん、部分的に水を引く程度と想像)いたが、毎年難航していたところ、その簡単な方法を考案したのが子供時代の間宮で、その才能を見出した地域の役人が、もっと勉強させようと江戸に連れていき、そこで伊能と出会うことになる。 その小貝川でこの辺りでは珍しいものを発見した。 四万十川ならぬ小貝川に架かる沈下橋である。 映画のロケに使われるとか…。 そう言えば、今は閉鎖中だが、京都太秦のような時代劇のセットがあるのもつくばみらい市である。 当日は、冷たい雨が降り、ドライブ風景を描写する余裕もなく、メジャーになっているつくばエクスプレスの線路沿いの整備された片側2車線の道を北上し、最終目的地に向かう。

「谷田部郷土資料館」である。 資料館の流れは、この地の統治の歴史、海軍航空基地があった昭和、つくば科学万博からつくば市という3つの展示である。 江戸時代は谷田部藩があったようだが、お殿様が常駐した城下としては取り上げる話題は少なく、知名度としては海軍基地からつくば学園都市である。 谷田部地区は市内の中でも中核地区の一つであり、市の発展を支えている。 先日NHKの特集番組で、博物館への寄付が多すぎて、倉庫があふれ、引き取りを断ることが多いとのこと。 素人考えでは、展示するものは1つあればよく、あとは引き取っても処分すればよいと思うのだが、そうではないらしい。 例えば、昔の鍬や鎌にしても、使う土地により、地域により微妙に違うらしく、数多く集めて細かく分析して新たな発見につながることは多いようだ。 よって、一つ一つが貴重な研究材料となるらしい。 平日の悪天候ということもあり、無料の博物館・資料館はどれも、私が訪問すると職員の方が展示室の電気を点け、名簿に名前を書くように促され、感謝された。 職員と思っていた方々は、おそらく研究者だったり、指導員だったりで、展示施設の継続の重要性をよく知っているのだろう。 今回の訪問は、谷田部資料館を除くと小貝川ゆかりの訪問であり、見学の経費は間宮記念館の100円のみ。 ほとんど、その運営には貢献していないと思っていたが、訪問して思うことは、名簿に名前を書くこと自体も重要な存続への一票になるということ。 「いばらきミュージアムガイド」66か所巡りは、私なりの貢献と信じて、あと数十回名簿に名前を書くことにしよう! 【令和8年5月現在66か所中訪問19】


コメント

  1. 匿名6/01/2026

    興味の対象の選び方と、深堀りの仕方が、若いころからは考えられない・・・唯一のヒントは、囲碁将棋にたけている点かな~? すごいね~! 尊敬します!(^^)!

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