昭和、平成、令和。 三つの年号に渡って様々な変化を体験してきた。 最近では年金受給労働者の身として、自分の薄くなった社会的アイデンティティを、「殻の外」と表現して文章を書いている。 言い換えれば今でも企業内から社会を見ているわけで、“企業人”継続中である。 新しい天皇が即位するたびにその節目として年号が変わる。 昭和54年、やっと「元号法」が施行され、政令(内閣により制定)により、天皇の継承時に変更されることが法制化された。 へぇ~そんなに遅いのか! その昔、明治元年から天皇が変わると年号も変わるという「一世一元制」が、行政官布告及び皇室典範で規定されたが、それ以前は天皇が変えたいときに変えていたようである。 終戦後の昭和22年に新しい皇室典範が発布されるが、当時はGHQの占領下でもあり、未来への継続云々よりも今を乗り切ることが第一目標だったのか、元号のことは表現されていないようである。 戦後30年、その間立ち位置が不安定だった「昭和」という名称もやっと安定したのである。 仕事の上では今でもそんな年号と西暦の間で年月日の換算をする機会は多く、そんな中で今回のテーマを思いつく。
天皇の継承とは全く無関係であるはずであるが、企業人として企業から社会を見ていると、その年号変更とあたかも関係があるかのように、企業の在り方も節目を迎えているようである。 まずは、GHQによる新しいニッポンの国造りにより、基本的人権、国民主権、男女平等など新しい体制や考え方に国民も慣れてきた戦後40年、昭和60年に制定された男女雇用機会均等法である。 読んで字の如し「職場で働く人々が性別によって差別されることなく、平等に機会や待遇を得られる法律」である。 私は当時から社会人ではあったが、まだ企業人であったかどうかは自信がない。 法令に謳われている会社への縛りは見た目改善されていったが、会社内の体制や風土は目に見えては変わらなかった。 所属していた会社が中規模以下であったこともあるかもしれないが、特段社員教育などもなく、パソコンやスマホの普及前でもあり、相変わらず“事務の女性”と呼ばれる総合職とは区別されたお決まりの業務があり、ほぼ全国共通の標準語であった。 その風土的なシキタリは今も残っている気がするが、最近は女性管理職や女性トラックドライバーをたまに見かけ、かっこいいと思うし、何か少しホッとする。 平成の節目は、新憲法への順応の第一歩ということだろうか。
あれから約30年、平成から令和へと年号が変わる。 令和の天皇は、私よりも年下であり、その幼少期から覚えている。 経済大国ニッポンは世界二位まで駆け上がり、一位の国の大都市の主要な不動産を所有するも、バブルが弾けての低迷の始まり、結局は、どこかの国が目を付けた巨額の金融障壁の開放(郵政民営化)、規制緩和による駅前商店街の空洞化や非正規雇用の増加、デフレ脱却を目指した円安誘導、少子高齢化と人口減に喘ぐかつての経済大国ニッポンである。 そんなニッポンが迎えた年号変更。 企業を襲ったのは、ここ10年ほど耳にするようになった「働き方改革」である。 ニッポンの企業人としては、私も含め昭和世代の男性が武器として活動してきた「プライベートな時間」を犠牲にして会社のために尽くす姿勢は、経済大国ニッポンの長い間の動力源であってきたことを考えてしまうのである。 家庭と仕事の役割分担、家族の犠牲なしでは実現できなかった。 それも年末調整・確定申告で気づくように戦後ニッポンの政府が推奨した政策であった。 働き手を増やす戦後のベビーブーム。 数十年周期で第二次、第三次を迎えながら減衰してきたが、連休の度に同じ所に集中する住みにくさ! 年金保険での配偶者優遇措置。 配偶者は雇用されなくとも年金保険がカバーされ、配偶者控除の対象にもなった。 それらの戦後の政策は、一時は経済大国を支えたが、ここにきて裏腹に、少子高齢化による労働者不足や棚上げし続け社会的な男女格差を、また、おそらく経済大国という成功体験から来る、社会格差、ナショナリズム的な考え方を、生んでいる気がする。 令和の節目は、そんな戦後のツケに向き合う改革と言えないだろうか。
法令改正の内容は、就業規則やその下位文書にあたる育児介護休業規程として盛り込まれている。 これまでも存在していた女性の産前産後の出産育児休業の他に、「パパ育休」という規程にはなじまない用語があり、産後8週以降は、父親母親ともに育児休業として、子供が1歳になるまで同等に取得可能で、託児所待機などの理由があれば半年ごとに2歳まで延長可能となる。 その後は、養育両立支援休暇としてフレックスタイム、テレワーク、時短や休暇など年間10日程度の時間的優遇措置。 育児目的休暇は会社の規則に盛り込むことを努力目標にする政府の指導措置。 子供の看護等休暇として、年間5日まで子供の体調にまつわる世話やイベントへの参加のための優遇措置。 これら育児対応の他に、介護休業として年間93日。 その他、年間5日の介護休暇や時間外・深夜労働の制限、フレックスや時短勤務などの優遇処置がある。 その上で、これらの制度が生み出すであろうハラスメント行為の禁止、これら新しい制度を含めた休暇の奨励や社員への周知、相談窓口の設置までも、就業規則に盛り込む必要がある。
昭和の企業人で、もともと屁理屈高齢者の私の持論ではあるが、法令は作る側と守る側で理想と現実のギャップがあり、それを埋めることが非常に難しいことが多い。 例えば、二つの道路が合流する交差点の運転は、停止線で一度はっきりと停車し、左右を確認しながら徐行し、車が途切れるまで進入場所で停止し、途切れると合流するのであるが、ほとんどの車はこの四段階のところを二段階で済ませている様子。 理屈はわかるが現場に即していないのである。 法令は就業規則に落とし込まれ、会社はそれを実行に移すため、管理体制を整え、周知徹底し、PDCAを廻しながら管理継続しなければならない。 それを数年に一度の外部監査で監視され、指導され、罰せられる。 そもそも、国民から選ばれた立法府が、国民を守るための政策を実施し、国民に周知すればよいところ、必要以上に、その途中に利益を上げるために結束した集団を介して、立法府→会社→国民となっているような風に見える。 これまでは辛うじて同じベクトルとも言えることが多かったが、ここにきて、利益を追求するはずの集団が、不利益になることを奨励しなければならない? ベクトルが合わないような気もする。 有給休暇取得を奨励する。 ほとんどの従業員は土日祝日も合わせると約1か月の権利を持っている。 すべての従業員がその権利を行使すると、12人中1人は年間を通して休暇中となり人員不足となる。 つまり、人件費が約8%増加する。 従業員の犠牲の下で経済大国ニッポンがあったということか! 「とりあえず進もう、あとで考えよう」として、先延ばし、人任せにし続けた結果、ベクトルの向きも強さも大きくずれてしまったようである。 年号の基となる皇室継承も大きな節目を迎えている。 一夫多妻制の上に成り立ってきた男系男子の継承! 結末が予測できない。 私はいろんな意味で、企業人として次の節目に遭遇することができるだろうか?





労働の成果への認識は、なかなか変わらず、あまり優秀でない経営層に合わせて長時間かけて、成果を出すことを良しとする文化ー給与体系 がこの労働環境を生んでいるように思うな・・成果主義が定着しなかった最大の理由は、成果を見極める上司の能力不足に起因した、評価不全であったのではないか・・・?て考えちゃうこの頃。 短時間で済む仕事(決定、相手がアクションすることで片付く)を時間かかるふりして、最大評価されそうなときにできましたーっていう技能を身に着けてしまったことが、人生唯一の後悔だなー(笑)
返信削除