最近になって、将棋対局アプリWEB版という無料アプリを使うようになった。 「ぴよ将棋」というソフトで、指し手ごとに「ぴよぴよ♪」とひよこの鳴き声が可愛い。 なぜひよこなのかは不明であるが…。 大学生の頃、将棋雑誌の初段認定で所定の点数を獲得し免状取得の権利を得たが、貧乏学生は免状取得は有料のため実力があれば不用と強がっていた。 その後、約50年が経過しており、免状も認定証もない上、実力も当然低下しているため初段とは語れない。 先のブログのタイトルほどオタクではないが、“資格コレクター”としては、囲碁のように公民館に通うことはしないまでも、「ぴよぴよ♪」を使って実力アップを図りたいと思った。 無料アプリのくせに対戦レベル(アマチュア)は15級から七段まで選択可能で、とりあえず、ぴよは初段、こちらは初級(15級)から開始して以来数か月、時間のある夜に対戦を続け、今月やっと「ぴよ将棋」では初段まで昇格した。 このアプリの一般的なレベルは不明なため、これからもレベルアップが必要である。 父の形見の碁盤の修理を依頼した際、行方不明になっていた初段記念の将棋盤と駒に代わり自分で購入していたが、それら碁盤も将棋盤も使用することはほとんどなかった。 この機会に、ちびまる子の友蔵さんやサザエさんの波平さんのように、自習をしてレベルアップに努めたい。 最近、そんな囲碁将棋のレベルアップなのか、年齢なのかわからないが、昔覚えた格言や用語を、ゲームの中だけでなく、自分の生活や体験に結びつけて考えるようになってきている。
まずは「三手の読み」。 囲碁将棋両方でよく聞く言葉である。 私が将棋に熱中していた頃、NHKの将棋講座を担当していた原田康夫八段(当時)が毎回語っていた言葉である。 「自分が指し→相手が指し→自分が指す」のであるが、初心者の頃は「相手が指す」ことを予想できないため、「三手の読み」はやりたくてもできない。 まずは経験を積み、ある程度のセオリーを身に付けることである。 その後は、三手と言わずもう少し読むのであるが、今でも相手の手を勝手に決めつけていて失敗するケースは、囲碁でも将棋でも多い。 ただ、この「三手の読み」は会社でも有益で、PDCAの取り組みや目標管理と同じだと思っている。 具体的な想定がなければ、結果が達成できなかったときの反省もない。 PDCAにP(計画)がなければC(検証)もないのである。 例えば、計画がない状態で結果の検証を行っても、「良い結果だから良かった!」「悪い結果だから悪かった!」としかならない。 何を考えて計画を立てたか…、P D C A のためには「三手の読み」は必須なのである。
囲碁では「強い石と弱い石」という解説が多く聞かれる。 囲碁のルールが分からない読者にも理解しやすく言うと…。 「強い石」とは、何とかすれば相手に囲われ取られない形を作れる石、相手に取られる心配がない状態であり、私の理解ではオセロの隅を取れた状態に似ていて、安定状態である。 お互いに弱い石の場合には、相対的にどちらが弱いかの比較になる。 よって、実力均衡の対局では一手打つごとに隣接する石群の強い弱いの関係が逆転する。 それは、人間社会でもよくある現象である。 相手の弱点を見つけると、自分の弱点はさて置いて攻撃目標となるようである。 一般人が政治家の言動がよくわからなくなるのが、自分の弱みが報道されたときに正面から答えないで、相手の弱みを際立たせたり、相手の新たな問題をクローズアップしたり、「それ今じゃないでしょ!」となるヤツである。 ただ、人間の本質には近いのかもしれない。 子供の頃、相手にこちらの間違った行動を注意されたとき、「なんば言いよっか!お前もxxをしよったやろうが…」ということか! 謝らないという意味では、子供の喧嘩も政治家も同じなのかもしれない!
将棋では「玉の早逃げ八手の得」という格言がある。 そもそも「王」と「玉」はなぜあるのか?などの問題もある。 目下の人または先手番の人が「玉将」、目上または後手番が「王将」を持つという勝負には関係ない暗黙のルールであるとだけ説明しておく。 囲碁でもそれに近い暗黙のルールで、目下の人または先手番は「黒」、目上または後手番は「白」となる。 また、黒番の第一手目は、黒番側から見て右上隅に着手するようである。 どちらも、インドや中国で始まったようであるが、格上格下を重要視するゲームである。 元に戻るが、王手(玉手?)をされる前に相手の攻めゴマから王将を遠ざけ、自分の守りゴマや逃げ道に王将を近づけておくと、あとあと勝機が出て来やすいということである。 誰しも「逃げ」という言葉の響きによい印象はなく、私も日常生活や仕事の時に選択肢から外すことが多い。 しかし、将棋対局中の「ぴよぴよ♪」の早逃げに驚いたことはしばしばある。 「逃げるが勝ち」なのである。 私の仕事人生でこの格言を活用できていたら…、後の祭りではある。
囲碁将棋のことわざや格言を見ていると面白いことに気が付く。 将棋はコマ自体の動きに特徴があり、コマによって人間のような性格がある。 よって、将棋の格言は具体的な行動自体を戒めるものが多い。 「桂馬の高跳び歩の餌食」(陣形を乱して自分勝手に行動をすると敵の思うつぼになる)のように、実生活でも戒めとして成り立っている。 囲碁の場合は、白黒の石としては特徴もなく、性格につながるような要素は当然持っていない。 よって、囲碁の格言は石一つのものではなく、「敵の急所は我が急所」のように、幾つかの石の置かれている状態を俯瞰的に見た上での戒めとなることが多い。 話は飛ぶが格言繋がりということで取り上げたくなるのが同じように戦いの戒め、孫子の兵法である。 武田信玄で有名な風林火山は孫子の「其の疾きこと風のごとく…」のフレーズであるが、有名な風林火山の部分の後に、「知り難きこと陰のごとく…」と続くらしく、人目に付かないところで動くことが重要と、文章全体として孫子は言いたかったようである。 また、「攻城の法…」という教えもある。 不用意に相手の本丸を攻めると、相手の仕掛けにハマり、また、必死の抵抗に遭うため損害が大きく、できるだけ避ける方が望ましいらしい。 必死の抵抗に遭う格言は「背水の陣」も同じであるが、囲碁将棋では現在でもこの戒めに直面する。 自分の有利な状況で、自陣の陣形を乱して無防備に相手をねじ伏せようとすると必死の抵抗を受け、逆転されるまたは危うくなってしまうことがよくある。 たかがゲームである囲碁将棋の格言も紀元前の先人の戒めも、今でも通用するものが多く、それを無視して自分の読みや直感を信じることは多々あり、繰り返し実体験を重ねなければ、同じ失敗を引き起こしてしまう。 産業革命以降の人間が作り出したテクノロジーの進化は目覚ましく、特に、情報伝達のスピードと量は先人たちの想像をはるかに超えていることだろう。 ただし、人間の考え方や行動パターンの進化は、テクノロジーに比べるとほんの僅かな進化である。 よって、当分の間は先人の戒めは通用しそうである。 一方では、最近の様々な社会的問題は、テクノロジーの進化に対する人間の未熟さが原因のような気がする。 囲碁将棋もAIに負ける時代なのである。






なーるほどな~
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