日本初の女性総理大臣の誕生! 米国ではなかなか突き破れないガラスの天井は、日本ではいとも簡単に突き破れたわけである。 ずいぶん前に読んだ記事ではあるが、日本は承知の通り男女格差が大きい国であるが、実は、われわれよく“欧米は…”という言葉で、該当する国々はいろんな制度が進んでいると表現してきたが、実は“米”も男女格差が大きい国ということで驚いていた。 おそらく、数百年前に“未開の地”にやってきた白人たちは、開拓しながら、獣や原住民とも戦いながら、今の国の形を作ってきたためだろう。 力仕事と戦いの歴史である。 なんとなく納得する。 そんな国に滞在してみて、エレベータやドアを開けてレディファーストを実践することに、多少戸惑いを覚えたことを思い出す。 話を戻すが、女性総理大臣誕生で期待することは何かという街頭インタビューを見ての不思議! もちろん、メディアはそれらしきものをピックアップして放送しているのだろうが…。 「女性ならではの政策を…」と期待する声が多く上がっていたが、フォローする質問に対して、家計にやさしい物価高対策、育児手当、介護問題などが映像で流れていた。 違和感である。 多分に、女性ならではの“細やかな…”なのだろうが、物価高対策も育児手当も介護問題も、男女の違いが政策上の違いとして顕著に現れてくるだろうか? 国の大枠を決める国政に期待する男女の違いである!? このブログで、家庭問題や男女問題に立ち入る記事はほとんどない。 私が男性である以上、男性目線でしか女性を語れないからであり、DNAに及ぶこの話題は自分のこれまで・これからの振舞いにも直結しており、語りずらいからである。 ある意味では誰にとってもタブーであり、正解が語られない話題である。 また、ステレオタイプ的な区分と個性の問題もあり、センシティブである。
そんなタブーを少しだけ乗り越えて、どこまで表現できるかの挑戦でもある。 人間も動物である以上、DNA的な役割が分かれていて、子孫を残すものは生き延びやすく小ぶりで効率的な、生きるための闘いが必要なものは大振りで非効率的な、体の作りになっている。(大きさが逆転している生物もいるようだが…) そのため、性別による体格の差や力の差が生じることは避けられず、その力の差が被害をもたらすこともあり、その可能性が生活の中に同居している。 ただ、そのことはDNA的に組み込まれているというよりも、体格の差が生じ始める時期からの学習と推測する。 DNA的には「身の危険」かもしれない。 例えば、私が(最近、テレビによく登場する)熊が生息する山の中で暮らすことになると、熊に注意を払いながら生活する。 こちらを気にしていない時は普段の生活をするが、こちらに向かってくると非常事態となる。 では、熊ではなく屈強そうな人間であればどうか? 結果は同じである。 熊との違いはルールを決めて理解し合い、共存できることである。 しかし、ルールは破る人がいる。 知らない人もいる。 それは同様に非常事態である。 ルールを破った人はのちのち罰せられるかもしれない。 しかし、それは自分が被害を受けた後のことである。 男女の関係の根っこに、男性では理解しがたいこの違いがあるような気がする。 人間社会の熊は人口の半分も存在していて、質(たち)が悪いことに本能的に異性に近寄って来る習性がある。 そうなると、ルールでは自分を守ることができず、相手を観察しての感性で非常事態を感じるしかなくなる。 標識の無い道幅が同じ交差点での車の運転に例えてみる。 道路交通法では、「左方優先、右折車は直進、左折車の進行を妨げない」であるが、 私の理解では、すべて「止まれ」の交差点では、すべての車両は一旦停止するため進行は妨げられず、直進、左折、右折平等に停止順に交差点を通過できるとなるはずである。 実際にはどうだろうか。 観察してみると、ほとんどの女性ドライバーは、対象車が停止してこちらを認知していることを確認するまで譲るケースが多い。 別の理由もあるかもしれないが、高齢の屁理屈男の考えでは、「非常事態は避けたい!」「法律は自分を守らない!」状態であり、ルールよりも自分の感性に従おうとしている気がする。 ところが、男性ドライバーの多くはルールが「錦の御旗」になり、トラブルが起きても相手が怯むことに期待して運転する。 警察や裁判所は、法律違反を取り締まったり、量刑を判断したりする役所であるが、「個人の感性」の訴えにより動いてくれる役所は極稀であろう。 例えば、ストーカー防止法のちょっと外側の行為や日常の軽微なハラスメントなど、守ってくれる仕組みがないのではなかろうか。
この交差点の例をベースに屁理屈男が考える日本初の女性総理大臣に期待するのは、細やかな政策ではなく、女性が細やかな感性を働かさなくても、危険を感じないようにできる政策ではなかろうか! その上で、女性に最も影響の大きい妊娠・出産・子育てに対する支援(子育ては男女平等かもしれないが、DNA的には男性とは違う気持ちが子供に働くと推測)。 その上で、1985年に施行された男女雇用機会均等法以降も風土的に続いている社会での格差を抑制するための間接的な施策や体制の整備ではなかろうか。 その風土的に継続している格差の中に、夫婦別姓問題や女系・女性天皇問題も含まれているような気がする。 確か、新総理はその両方には反対の立場? それら「女性ならではの政策」の入り口の部分が塞がれるようでは、屁理屈男の言う女性が危険を感じない政策など眼中にもないということだろうか? いろいろな立場を乗り越えて、男性社会の国会で勝ち上がってきた方である。 どのように変わって行くのかは楽しみである。
補足であるが、会社における男女平等は別の難しい問題がある。 同じ会社であるので、まず熊が自分に向かっては来ないことは分かっている。 ただし、体格差の問題はあるため、長所短所を認識し活用しながら競争していかなければならない。 そのためには、細かい作業や細やかな感性は長所として生かすことになる。 中規模以上の会社では社員数も多いこともあり、あまり問題にはならないが、私のように徐々に小規模な会社を見てきた人間には、小規模になればなるだけ、妊娠・出産など女性社員特有の役割を離れなければならない事象が発生し、その権利行使は重たく圧し掛かり、会社側も重要な仕事が与えにくくなる傾向にあるようである。 1985年以降、次々繰り出される法令改正に対して会社は順守しようとしながらも、収支や風土の観点からなんとなく継続する“仕事環境の不平等”の中で、女性社員自身もその待遇や管理職になることのハードルの高さを感じるのだろうと思う。 細やかな感性という長所を過度に発揮し、長期に及ぶ期待と意欲の継続よりも、近々の待遇を考えてしまうのではないか。 “仕事環境の不平等”の中でよく頑張っているとは思うのだが、長い間男女平等に直面し考えさせられてきた屁理屈管理職は、そんな状態に直面するたびに、本人がそのことにストレスを感じているかどうかに関わらず、歓迎されてもいないエールを送りたくなり、反省することになるのである。 そう言えば、米国大統領訪日時やアジアの国々との会談の映像を見ていると、これまで本人も意識してきたらしい、“鉄の女性リーダー”からは少しかけ離れた「細やかな感性」、屁理屈男から見ると“過度な…”とも受け止められる姿勢が感じられ、驚きかつちょっとがっかりした。 ここでもエールを送りたくなってしまうのだが、国のトップ同士のお付き合いでは、“鉄の女性リーダー”を演じてほしいと思うのは、やはり屁理屈の一種なのか?



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ここんとこ、なんちゃって政治屋が続いて、政治にあほらしさを感じていましたが、正論の参政党党首や、新内閣女性陣の潔さと頑強さを見るにちょっと期待したく成っていますね。これ見てると、〇憲は、古~い頭、批判が野党の務め、俺らの意見も聞け(たいていが稚拙な要求)・・週刊誌が-の繰り返し。隣から金もらって、写真撮られてるなって輩ばっかりに思える(# ゚Д゚)
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