大学の有志同窓会や、ゴルフ仲間、特に関東以西のゴルフ仲間との集いは、やはり伊豆半島付近が多くなる。 ただし、御殿場、裾野、三島、沼津、伊豆長岡、修善寺と東名高速から伊豆高原の真ん中を走り抜ける伊豆縦貫道でのイベント開催が主流である。 が、たまには伊豆半島の東海岸にも足を延ばしたい。 ちょうど一年前、去年の夏に記事にした東名厚木ICから小田原厚木道路、そのまま小田原を突っ切ると、国道135号線に入る。 合流する脇道も少なく、有料道路が延長しているような錯覚におちいる。 ここから先は実は私には未開の地であるが、有名な地名が目白押し。 伊豆半島はもともと関東に近い東側だけが栄えていたと思われ、真鶴、湯河原、熱海、網代、伊東、その後も熱川、稲取、河津、下田、石廊崎と、東海岸の観光地は伊豆半島の先端まで続く。 今回は熱海までのドライブを楽しむことになった。
若いころ何度も会社の忘年会の候補地に挙がったのが、真鶴、湯河原であるが、候補地として持ち上がっては消え、なんとなく関東の会社のイベントの幹事からすると、小田原から先は不便な感じで決断を鈍らせたのかもしれない。 真鶴は小田原からわずか15キロ、30分弱で到着する。 これと言った観光スポットはないのだが、岬好きの私には取って置きの「真鶴岬(ケープ真鶴)」がある。 真鶴市街からほんの僅かなのだが、溶岩が海に流れ出した海に出っ張った地形で、車がすれ違い出来ないほどの原生林と一方通行の細い道が10分ほど続く。 数年前からのダウンサイジングが功を奏し、私の軽自動車は道がある限りチャレンジしたくなるようであったが、終着のケープ真鶴には路線バスが停車していて何かガックリ! その先端が特徴的なスポット。 伊豆半島のエラが張ったような地形は伊東と沼津の南側を結んだ感じである。 地図を見ると、その北側で相模湾に出っ張っているのは真鶴岬と江の島だけのように見える。 先端に特徴的な突起物があり「三ツ石(みついし)」と呼ばれる。 潮の満ち引きで陸続きになるのだが、おか釣りの専門には要注意スポットらしく、取り残されると12時間戻れなくなる。 高台からの風景は圧巻で、「三ツ石」の向こうには初島が浮かび、その遥か向こうには伊豆大島がうっすらと見える。 もちろんその向こうには、利島、新島、式根島…、八丈島、硫黄島と続くのである。
真鶴市街地から約4キロで湯河原に到着する。 私にとっては有名な温泉地であるが、訪れてみると駅前と国道沿い以外は温泉街もひっそりしていた。 ここ湯河原までが神奈川県である。 箱根ジオパークなる記述や小冊子を発見した。 フィリピン海プレートに乗っかってやってきた“伊豆半島という島”が、ユーラシアプレート側にある日本列島にぶつかった! 丹沢山系の山々は隆起したこと。 フィリピン海プレート側の箱根を含む島はその後も活発な火山活動を繰り返したこと。 その結果、伊豆半島にはたくさんの温泉が存在すること。 箱根は大噴火を繰り返し、大きなカルデラを作ったこと。 その西の外輪山の外側が以前記事にした御殿場、東側の外輪山は傾き崩れ、そのふもとに湯河原や小田原がある。 湯河原からは熱海ビーチラインという有料道路がある。 小田原を過ぎたあたりから、海と空の青、雲と波とガードレールの白のコントラストが鮮やかな絶景を見ながらの危ない運転であったが、ここからの約10キロ、有料道路を使わず国道135号線を約10分南下した後、起伏のある、曲がりくねった国道から突然現れるビル群、熱海到着である。 十数年前一度仕事で訪れていたが、新幹線熱海駅から送迎バスでホテル直行、仕事の同行者ばかりでほとんど街並みの記憶はなく、今回がほぼ初体験である。 日本有数の観光地なる所以は温泉と思っていた。 今回たどり着くまで思い描いた形も温泉地である。 ところが海に面した国道を走ってみると違う角度の熱海が見える。 ビーチとそこに面したホテルのビル群、どこかで見た光景である。 ハワイである。 日本が多少裕福になった戦後、熱海や宮崎はハネムーン旅行のメッカであり、安あがりなハワイを感じさせる新婚旅行であったわけである。 時が過ぎ、海外旅行に行ける裕福さができ、人口減少もあり、てっきり当時の面影はなく…と書く予定であったが、暑い週末だったこともあり、ビーチ沿いの市営駐車場はほぼ満車、ビーチも期待以上に賑わっていた。 ただ、ビーチ越しに見える南側の海岸には、昭和を思わせる名前のバブリーな団体客用のホテル群があり、「寛一お宮」の銅像があり、ちょっと見上げた丘には、歴史上実在しない建造物“熱海城”がそびえる。 有名ブランドを未来につなげようとする熱海の努力してきた風景が並び、新幹線で停車したホームからは見られない熱海を見た気がする。
最後に、“伊豆半島という島”の歴史について追記しておきたい。 いろんな切り貼り情報を自分なりに並べ替えてみた。 明治政府の富国強兵のためにはお金がかかる。 外国にお願いしての産業育成、軍隊整備、インフラ整備、お金の工面、何から何までお願いである。 お殿様であればメンツもあるが、下級武士にはメンツをつぶされた“怒り”よりも必要なもののために必死であった。 “怒り”では国は守れない…は孫子の言葉。 そんな富国強兵の一環の鉄道と観光業。 国営の東海道線が一段落し、熱海から拡張し「伊豆環状線」を実現するはずであったが、 熱海~伊東間でとん挫したようである。 そこで勃発するのが「伊豆戦争」である。 武力での衝突ではなく今でいう私鉄の勢力争い。 東急と西武である。 この両者はちょっと前にも「箱根山戦争」があり、その結果を受けこじれた。 結果は東急の勝利で、伊豆急として現存することになる。 ただそのお陰として、この“伊豆半島という島”の乗り物は入り乱れている。 そう言えば、真鶴岬での狭い一方通行の道を走る路線バスは西武系であった。 ガッテン! 日本がまだ発展途上であった明治から戦後団塊の世代が活躍した昭和は、都市計画をし、鉄道や道路を通し、大規模ホテルを建設し、宣伝をし、大勢を集客し十分に儲けた。 だが今となっては、人口が減り、経済的にも停滞し、大規模なインフラは適さないようである。 伊豆急のかつては特急停車駅の中には、今では無人駅もあるようである。 その上、携帯・スマホ・SNS世代の多様化の流れはすさまじい。 今回は東海岸の旅であったが、その中心地の熱海は象徴的な場所であり、今回体験できたように、期待以上に人が集まっていた。 温泉、風景、海産物などブランドとしてはまだまだ生きているはずである。 昭和の「大規模インフラ」の“夢のあと”の復活に貢献したい気持ちはあるが、SNSを使いこなせない年金世代はお呼びではないだろう。 せめて少額でもそこに置いてこよう! 湯河原駅前の魚屋でひもの購入!




入学時、伊豆半島地震があり、伊豆って怖いとこという観念があったんだけど、稲取で金目いただいてからは、怖くても大丈夫!また行きますよ~(笑)でも、天城越えはカーブがきついのでパスします。
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