いちご白書をもう一度

最近見た映画というと…、60歳を過ぎるとシニア割があるということで、「ホノカアボーイ」というハワイを舞台にしたほのぼのとした映画を見た記憶があるが、その後10年近くはご無沙汰である。 そう言えば、最近ではテレビドラマを見ることもほとんどなくなった。 元来、小説やフィクションよりも、史実の歴史ものやノンフィクションの方が好きであり、読み物としても考え方のヒントやハウツーものが多かった気がする。 終活には悩ましい本棚を見ていると、そのような本が多く並んでいる。 よって、困ってしまう質問に「好きな映画は?」というのがある。 最近ではIDやパスワードの照会に必要な質問の一つである。 私はその都度「いちご白書」(原作題はThe Strawberry Statement)と答える。 私の映画鑑賞歴は非常に少なく、高校生の頃「いちご白書」「小さな恋のメロディ」や寅さんシリーズ、米国遊学時代に「ロッキー」「ET」などのハリウッドもの、家族持ち後は子供向け映画、TVのロードショーである。 話は変わるが、ビートルズ、特にジョンレノンの楽曲に「ストロベリーフィールドフォーエバー」(原題も同様のStrawberry Field Forever)という歌がある。 ジョンが生家近くでよく遊んでいた孤児院の名前らしい。 1967年に発売されたビートルズのアルバム「マディソンスクエアガーデン」の中の曲。 ビートルズがアイドルの顔から哲学者の顔に変わりつつある頃であり、アルバムの前半はちょっとそんな怪しいムードの曲も多い。 

英語の日常会話の中には「Oh, my God」のように宗教と関り深い言葉が多く、日本人の様な無宗教の“クソ真面目な”人種は、「あらたいへん」とはならず、「おお、神よ」となってしまい、おかしな日本語訳になってしまう。 異国の地でも断食をしている“クソ真面目”とは言えない人たちは、普通に現地語で「Oh, my God」となるのである。 
私的にはこの「Strawberry」という言葉も、この二つの例からしても、“未熟な若者”みたいな、宗教的なエピソードや意味を持つ言葉と想定して題材としたのだが、ネットで調べてみてもどうしても宗教との関連性は見当たらない。 語源からすると、藁を敷いた上に栽培していたらしくstrawと、肉厚の果実や木の実の総称のberryの組み合わせのようで、いかにも人工的な栽培物である。 昔のなぞなぞ的に言えば、「赤くて、小さくて、甘くて、誰でも好きな果実」ということになる。 しつこく調べていくと、売春目的の若い女性とか、物事を知らず未熟な若者など、俗語として登場し、通常では意味が通らないがシチュエーションにより通用するという注釈付きであった。 ビートルズのストロベリーフィールズは、「ストロベリーフィールズに付いてくるかい? すべてが非日常 つきまとうものもなし 永遠に続く場所」とでも訳するのだろうか? ジョンにそこで何があったのかは不明だが、ひっそりとしてひなびた孤児院のことを歌っている。 すでにちょっと哲学的! 私は、このstrawberry fieldsは単に「いちご畑」で深い意味はないと解釈しておくことにする。

さて、「いちご白書」(The strawberry statement)はどうだろう。 高校生の私の琴線をふるわせる要素満載の映画である。 動機は、あのガロがあこがれたCSNY(クロスビースティルスナッシュ&ヤング)の挿入歌、「青い目のジュディ」「アワーハウス」「ヘルプレス」などである。 主題曲のボーカルは少数民族出身のバフィーセントメリーで、ジョニミッチェルというシンガーソングライターの曲「サークルゲーム」、トンボを瓶に詰め、雷の日は怯えた子供時代、時は流れ幾度も季節は流れ…、という歌詞でバフィーの声が震えるところが印象的。 この曲が映画の最初と最後に流れるのだがそのシーンは今でも鳥肌ものである。 映画のクライマックス、大学の体育館に無抵抗の学生たちが輪になり、ジョンレノンの「平和を我らに」オールウィアーセイイング イズ ギブピースアチャンス!と歌い続けるところに、機動隊が催涙ガスを放射し、学生の結束を砕いていく。 
主人公は、私が大学に入ったらやってみたかったボート部所属だったが、ガールフレンドの影響で学生運動に染まっていく。 ガールフレンドがかわいい! 高校生の少年には刺激が強すぎる男女関係のシーンもあり、盛りだくさんであった。 私のつたない説明だけでも、“Strawberry”を思わせる展開である。 未熟な若者たちの主張であり抵抗であり、権力に打ち破られ…中で映画は終わる。 その後、頭の中には残りながらも、リバイバルやTVロードショーで見る機会もなかった。 松任谷由実作詞作曲の「いちご白書をもう一度」という曲はヒットしたが、映画の内容というよりは、映画は小道具の恋愛の思い出である。 90年代頻繁な米国出張があった頃、異国での引っ込み思案気味な自分の背中を押しながら、ダウンタウンのDVD店舗に出かけては、探してみたが発見できずに諦めていた。 その後、定年再雇用も終わり、殻の外の生活は週間カレンダーにちらほら見える予定があるとそれを楽しみに生活するみたいな…、チョー時間のある生活で再度ネット上で探してみた。 発見! 日本語吹き替えはなく英語版であったが、やっと手に入れた。 高校時代の初回は映画館での字幕。 印象的なシーンは紹介したとおりであるが、心のひだの部分は忘れていて、または当時理解できていなくて、見返してみたが、英語版では聞き取れず苦労している。 ただ、これで好きな時に鑑賞でき、私の好きな映画として誰かに紹介することもできる。 この年になると、例の「刺激が強すぎる男女関係」のシーンは多少紹介の足かせになるかもしれないが…。 

平凡社の大百科事典で興味深い記述を発見した。 ついに…である。 やはり「いちご」はヨーロッパやキリスト教とのつながりは深い様である。 植物が混在している場所では、植物は互いに影響し合うとされているが、いちごはどんな植物の中に育ってもおいしい実を付けることから、「正義」の象徴とされているらしい。 また、聖母マリアを象徴するとも言われているらしい。 よって、孤児院の「ストロベリーフィールズ」も、映画の「いちご白書」も、それぞれ“どんなに苦しいことがあっても強く生きる、聖母マリアがお守りする”、“未熟な若者かもしれないが正義を貫く”と私は解釈することにする。 私は常々思っていることではあるが、外見は他人から見ると認識できないほど当時とは様変わりしていると思うが、本人の心の中では、その考え方の骨子や正義感などは、青春時代(この言葉は表現したい時期には相応しくないような気がするが)と余り変わらないと思っている。 たぶん、私だけではなくみんなそうなのだろうと思う。 つまり、人間は何歳になっても「いちご白書」していることになる。 そのことに関係するのかもしれないが、当時の流行りの歌が今でも好きだし、趣味もリバイバルするようである。 足かせの少ない自由な生活「殻の外の生活」、今こそが青春の蘇りなのかもしれない。 これで締めの言葉のつもりだったが、ここまで書いて気が付いた。 当時と同じ考え方や価値観の青春が今蘇るからこそ、新しいことが吸収できず、古い人間と言われるということになる!?








コメント

  1. 匿名6/27/2025

    好奇心は、暇になったらよみがえって、やってみるかどうかが、若さかな~?老体に鞭打って、昔馴染みたちに会う機会を詰め込んでいる今、新しいアンプにだけは触手が伸びますね( ´∀` )

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