ゼロサムゲーム


大相撲三月場所の優勝争いで、茨城県土浦市出身の高安は惜しくも初優勝を逃した。 三度目の正直のはずが、二度あることは三度あった。 高安は元大関である。 大関昇進の条件は、大関を除く三役、つまりは関脇と小結の地位にいる力士が、直前の三場所の合計で三十三勝する必要があり、多くの力士はこのタイミングで優勝するが、当然ながら優勝なしで三十三勝以上を挙げる力士もいる。 大関在位二年四か月、十五場所であった。 大関は二場所続けて負け越すと陥落する決まりで、その二場所目の状態をカド番と呼ぶ。 カド番三回目での陥落、二場所続けての負け越しであるから、少なくとも在位中の十五場所で四場所負け越したことになる。 体調が万全で臨めないのである。 引退した元横綱白鵬は自分の体験として、現役力士で一番強いのは高安と明言していた。 それでも勝てない! 土浦市役所にファンが集まっている映像が二日続いて放映されたが勝てない! 二日続けての市役所の映像とはNHKも多少応援しているのか。 私は市役所までは行かずテレビで応援したが、勝てない! 残念である! 以前、同じような思いで大相撲を見ていた気がする。 
高安の兄弟子の稀勢の里である。 茨城県牛久市出身。 その頃大相撲ではモンゴル、ゴルフでは韓国と、イマイチ、期待の日本人が勝てない状態が続いた。 稀勢の里は待望の大型力士で、大関までは絶対的な強さであった。 横綱昇進の条件は、二場所連続優勝かそれに準ずる成績で、日本相撲協会の諮問機関である横綱審議委員会(相撲に深い理解を有する各方面の有識者?で構成)がその品格や力量を評価することになっている。 角界挙げて日本人横綱を熱望し、私も熱望した。 私から見てもちょっと緩いと思わせるほどの審議会の評価であったが、ここぞというところで星を落とす。 十二回の準優勝ののちやっと横綱昇進を果たしその後の期待は膨らんだが、横綱最初の場所で優勝したものの左肩を痛め、その後左肩は完治せず、在位期間二年、十二場所は期待通りの活躍も残せず引退した。 これも残念であった。

ウェブの教育教材の中に、「ゲームの理論」というものがある。 代表的なものに「囚人のジレンマ」とか「チキンゲーム」とかがある。 「囚人のジレンマ」は二人の囚人が収監され、取り調べを受けるときの考え方。 互いに、黙秘するか、相手が不利になるように自白するか、により量刑が決まる。 交信できないお互いが相手のことをどう考えて、黙秘か自白を選択するかという理論である。 条件設定で変わってくるようだが、現状の教材としての結果では、相手がどう判断しようと自分は自白する方がよいらしい。 「チキンゲーム」は映画などでもよく出てくる二台の車がお互いに向き合い猛スピードで走り、先に衝突を回避した方が負けというゲーム。 教材としてはこの結果には触れていない。 同じようなゲーム理論に「ゼロサムゲーム」というカテゴリーがある。 ゲームの参加者が獲得したり、失ったりしたものの総和がプラスマイナスゼロになるゲームである。 私の趣味の囲碁将棋、相手との勝ち負けを競うスポーツも基本はゼロサムゲームであり、それだから面白いし熱狂するということも言える。 上述の大相撲もゼロサムゲームであり、人一倍練習して体力を付けてきた力士たちは、勝つために自分のすべて、または大部分を捧げた結果であり、誇らしく、素晴らしい結果なのである。 しかし、上述の茨城県の力士たちの結果を見ていると、「まったく…」と言いたくなるのだが、何か少しホッとするものがある。 たぶん、その勝者であることの厳しさにもう少し届かないところに、勝負の中に人間味を感じるのではなかろうか。

昨年から参加している近くの公民館の囲碁愛好会でも同じような気持ちになることがある。 囲碁の醍醐味でもあり、本質でもあるかもしれないと思っているのだが、以前のブログで触れたように、交互に打つゲームであり、必ず自分が主導し相手が受動的に対応するということを一局通すと、私の勝ちになるわけで、必ず相手からは抵抗が入る。 それは、“あなたが主導しようとして打った手よりも、私の判断が正しいですよ!”という一手。 そうすると判断と読みの勝負になり、どっちが正しいかの決着をつけることになる。 真剣に判断し、しつこく読んだ方が、ゲームを支配する。 ゲームが終わって勝敗が付き我に返ったあと、何かちょっと恥ずかしい気持ちになる。 いい年寄りが(この愛好会では若手のホープと呼ばれているが…)たかがゲームに真剣になり、負けたくないともがいている…と。 

地球規模で考えると、国や会社や人間の営みそのものも、ゼロサムゲームに思える。 限られた資源を使える国と使えない国。 お金儲けできる人と損をする人。 状況的にはゼロサム環境ばかりではないかもしれないが、人間の本質というか、DNAの中にはゼロサムの環境で相手を作り、その競争で勝負するという感情がいつもあるような気がする。 最近では「ノンゼロサム」という言葉もあるらしいが、私の中では今一つピンと来ない。 私としてはせめてWIN-WINという言葉を考えたいが、結局のところはお互いに妥協する、または勝ち負けを曖昧にしている言葉ではある。 そんなことを考えていると、宗教的イベントのThanks Giving Dayや民主主義の考え方に多少近づくのかもしれない。 ゼロサムゲームで勝って気持ちよくなった人は、どこかでその一部を還元したり、勝った人も負けた人も平等な権利を持っているということか。 自分の中では、そんな感覚で生きてきた記憶がなく、日本人にはその感覚は乏しいような気さえする。 
若い頃やっていた麻雀という四人のゼロサムゲームを思い出す。 麻雀は囲碁将棋とは少し違い、技量とツキ(運)が勝ち負けを決める。 ツキ(運)があると独り勝ちになり、勝ってる人は饒舌に残りの人は雰囲気が悪くなるが、ツキ(運)がなくなると取り戻せなくなる。 まさにやるかやられるかの狭い気持ちになってしまった記憶がある。 ツキまくる時は後味が悪く、麻雀に限っては、饒舌な勝者よりも沈黙する敗者の方が何となく性に合っている気持ちになったものだ。 すべては負け犬の遠吠えかもしれないが…。 人生も見方によってはゼロサムゲームと考えると、勝者がよいのか敗者がよいのか! 迷路に迷い込んでしまったようである。 とりあえず、高安の四度目の正直! 三度あることは四度ない! を信じて応援を続けよう!


コメント

  1. 匿名4/28/2025

    四度目の正直・・三度あることは四度ある・・じゃないか? 人生の勝ち負け➡功成り名を遂げたSteave Jobzは、亡くなる前、人生でもっと思い出を作っておけばよかった・・と言い残しています。 伴侶とともに年を取り、寒くない、雨漏りのないうちに住み、子供たちの生活も何とかやっていて、たまに孫と戯れる凡人の幸せは、人間としてはええほうじゃないだろうかね~  ( ´∀` )

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