旅行中に1時間ほど時間が余った時に何をするだろう。 若い頃はよくパチンコ屋に入っていた。 当時のパチンコ台はまだ手動(右下のハンドルを一球ごとに右手親指で弾く)であり、結構時間つぶしができていた。 初めての外国一人旅の時に、長距離バスの待ち時間にパチンコ屋がなく時間つぶしに困ったものである。 その後日本ではパチンコ台は電動に変わり、球を打ち出す回数が速くなり、時間つぶしどころではなくなったことを思い出す。 今ではパチンコ屋かゲームセンターかわからない。 異様な光景である。 最近では旅行先で時間があると、ブログのネタになればと、周囲を散策し写真や文章にしておくことにしている。 今回は大阪で1時間ほどの時間があり、東京の山手線のように大阪も環状線という一周回れる鉄道システムがあり、試してみることにした。 大阪は20代後半に約1年間住んだことがあり、また、子供の頃可愛がってくれた叔母たちも、私とはほとんど重ならなかったが大阪に住んでいた。 縁もゆかりもあるのである。 また歴史の舞台には何度も登場するし、観光名所も多い。 きっと面白いだろうと思ったのだが…。
大阪環状線外回りで大阪の次は天満。 菅原道真創建の大阪天満宮があり、地名の由来のようである。 私は思わず口づさんでしまう歌がある。 六文銭の「面影橋から~~天満橋~~♪、天満橋から~~日影橋~~♪」。 天満のそばの面影橋をグーグルで探したが地図には見当たらず、出てきた記事は東京都豊島区の神田川にかかる面影橋。 現実を歌った歌詞ではないらしい。 次は桜ノ宮。 桜宮高校は従兄弟たちの母校である。 家は確か守口だったので通学はバスか電車…、などと考えているうちに京橋に到着。 駅間が非常に短い。 出発すると「まもなく京橋」という車内アナウンスである。 最初の期待の駅は、次の大阪城公園である。 駅付近の電車から大阪城が見えるらしい。 ドアに貼り付くようにしながらスマホを構えていた。 確かに見えた! 建物や木々が障害物となりシャッターを切るも、確か数枚写したがハズレ、あっという間に電車は通過してしまった。 大阪城は、もちろん豊臣秀吉の築城であるが、その昔は石山本願寺があった場所で陸海ともに交通の要所であり、織田信長が執念で奪い取った場所である。 その数年後の本能寺の変である。 森ノ宮、玉造を過ぎると鶴橋である。 当時、私の本拠地に戻る交通手段の一つが鶴橋経由であり馴染みの駅名である。 大阪の中心部から郊外に向かう路線の一つに近鉄があり、奈良市方面と橿原神宮方面の2方向に向かう線の停車駅である。 当時からコリアンタウンがあり、駅周辺は焼き肉の美味しい香りがした。 次は桃谷。 なぜか大阪では「桃」という字を多く目にする。 私にとっては何やら象徴的な駅名である。 次の寺田町は、大阪夏の陣で出てきた地名と理解していたが、実際にはその次の天王寺の北側が、真田勢と徳川勢の大きな戦いの場所であったらしい。
ここで二つ目のうっかりはあべのハルカス。 ビルは天王寺駅の南側であり、走行中の列車の進行方向左側に見えると思い込み、寺田町を過ぎたらそろそろ左側への移動を考えていた右側のドア付近から前方に、全体像がくっきりと見える写真スポットが…、時すでに遅し。 日本初の300メートル台のビルで、2024年麻布台ヒルズ(森ビル)の登場までは日本一で、現在も日本二位である。 「二位じゃだめなんです!!」、と言うことで天王寺に到着。 環状線の半分である。 ここが二つ目の帰宅ルートであるJR関西線。 大阪河内地方から奈良県の主要都市を経由して名古屋までの昔の大動脈? 天王寺付近は、地下鉄、私鉄、JRが入り乱れ、気持ちよく一点にまとまらないところがおもしろい。 ここからは大阪環状線の西側を通ることになるのだが、立ち寄ったことのない駅が多くなる。 ちなみに関西本線は天王寺起点と思っていたが大阪駅起点である。 環状線の西側は関西本線なのである。 芦原橋を過ぎて大正。 この駅は大阪ドームのある駅で、バッファローズの本拠地のはずであるが、神戸と大阪ドーム併用なのかよくわからなくなっている。 西側の駅は何となく田舎のムードが漂うのは気のせいだろうか? 次の弁天町は、万博会場へ向かう大阪メトロ中央線との乗換駅で、多少それらしき雰囲気である。 次の西九条は以前からよく耳にする駅名と思ったら、ユニバーサルスタジオ(USJ)の最寄り駅で、この駅でJRゆめ咲線に乗り換えるようである。 ややこしいのだが、USJも万博会場も同じ夢洲のようであるが、万博会場はUSJの2つ西側にある埋立地であり、両施設をつなぐ交通機関はバス、電車は違う駅発である。 その後のカジノの話も含めて、何となくゴタゴタした経緯がうかがえ、本当に“ゆめ咲く”のだろうかと思う。 それから、野田、福島という駅で、大阪駅に近いこともあり、食べ物屋が多そうな風景だった。 環状線からの後半の風景としては、全容を逸してしまったあべのハルカス、今宮付近の肉眼ではもう少し大きく見えた通天閣、大正付近のガスタンクに隠れた大阪ドームと何とか画像にはできたが、残念ながら満足のいく画像にするためにはもう一周回る必要がありそうである。 45分はかからなかったようである。 無料で回れたが余りオススメできる時間つぶしではなかったようである。
大阪はあの織田信長も自分のものにしたかった程、地の利に恵まれたところのようである。 中国、四国、九州との陸海の交通の要所であり、奈良京都という都にも近い。 外国との貿易もこのあたりが拠点となっている。 難波や浪速の地名から想像しても、波が速かったり、航行が難しかったりしたのだろうか? ネットだけでは回答は見当たらないが、これら地名や読み方だけでも多少混乱する。 混乱と言えば、大阪駅付近は梅田であり、天王寺駅付近は阿倍野である。 物資や人が集まりやすい場所であり、打撃を受けてもすぐに復興する不思議な街である。 商業の街であり、昔からず~っと首都の次のナンバー2の街である。 風土的にもその対抗心、”違い”を強調した土地柄と思いつつ、エスカレータの右側に立ち、そう言えばタヌキ“うどん”はないと思った。 当時1年間部下として活動した上司からの、その後も教訓とし続けた教えがある。 商売をするときに最も大事なことは、強い思いを持ち、断られてもしつこく通い続けること。 一度信用を勝ち取ると長続きする。 逆にすぐに受け入れられる場合は下心があるため利用されるだけのケースが多い。 当てはまるビジネス体験をその後何度も味わった。 ただ、関東地方では”しつこい”のは嫌われるようなので、その土地の風土に合わせての行動は必要である。 しかし、その“情のあるスタイル”は日本人の本質かもしれないと感じるところはある。 環状線からちょっと外れるが、大阪駅から兵庫県方面に一駅のところに塚本という駅がある。 私が覚えていない頃に故郷の島から大阪に移り住み、羽振りがよくてお小遣いや阪急・阪神デパートの包み紙のお土産を持ってきてくれた叔母が住んでいた。 私のひと際目立ったランドセルも大阪仕込みであった。 20代のある時そんな叔母を訪ねた。 すでに未亡人になっていたが、帰りは改札までの見送りで別れた。 階段を上りホームに出ると、駅前の広場が見下ろせ、叔母の後ろ姿が見え、決して柄がよいとは言えない商店街の方に消えて行った。 自分の身内が雑多な街並みに消えていく姿は、何か寂しく涙が出そうになったこと記憶している。 皆それぞれに摩擦の多い日々の暮らしがある。 大阪にはいつも“情”を感じるのである。

塚本には、一年間通いましたね。駅前にある焼き肉屋は、ひいきにしていました。(笑)
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