私がこのブログで初めてエンディングノートに触れたのは、2022年6月のことである。 未だに完成しない一つの要素に、納骨方法がある。 今流行りの樹木葬とか、海洋散骨とか言っている割には、経験がなく頭の整理がつかない。 残された者に面倒をかけない永代供養、住まいからあまり遠くなく、茨城県南部ではやはり霞ヶ浦とか筑波山の近く、見晴らしが良く、キレイな場所…。 希望が少なそうに見えてすでに盛りだくさんである。 定期的にWEBでは検索をかけているが、今後も希望に合うものが増えていくと思うと契約もできず、見学申し込みもちょっと面倒であり、「筑波山の麓の里山の樹木葬」というキャッチフレーズに惹かれて、まずは自主的に現地に行ってみることにした。 茨城県石岡市は霞ヶ浦沿いの都市であるが、平成の市町村大合併で筑波山の麓も石岡市のようである。 関東以北は、太平洋プレートが沈み込むために大陸プレートが盛り上がってシワが寄り、縦縞のストライプで山地と平地または盆地が連なっている。 この辺りは、宮城県南部から連なる阿武隈山地の南の端で、300m前後の低い山が不思議と東西に連なり関東平野を型どっている。 昔は南北に伸びその低い連山の朝日峠を越えるフルーツラインという、冬になると凍結して通行止めになる暴走族の好きそうな山道の道路があった。 そう言えば最近はそのあたりのゴルフ場にも気軽に行けると思っていたが、平成24年に朝日トンネルが開通していた様である。 日当たりの良い温暖な、昔と違いフルーツっぽいフルーツラインをひたすら北上する。 「筑波山の麓の里山の樹木葬」楽しみである。 近づくに連れ、道も狭く雰囲気も悪くなり、数年前の募集のパンフレットとは大違いで、狭い! 暗い! 思ったより荒れている! が、里山の樹木葬なのだろう。 ちょっとがっかり気分で5分程度滞在し、気持ちを切り替えた。 せっかく足を伸ばしたので、茨城県石岡市を紹介することにする。 観光スポットとは言い難いが話題としては面白い。
朝日トンネルを抜けフルーツラインを北上すると、以前紹介したフラワーパークがある。 季節の花々やグランピングの施設などもある。 そのフラワーパークから車なら5分程度の所に、柿岡という地名がある。 ここに知る人ぞ知る、気象庁地磁気観測所があり、大正時代から100年以上も地磁気の観測を行っている「柿岡観測所」である。 残念ながら、一般公開は年一回のようで、または予約制で見学できるかもしれないが、気まぐれな訪問では関係者以外立入禁止である。 主な恩恵としては、地球としての磁気であるNS極と北極南極の回転軸のズレの観測、「太陽風」と言われる磁気嵐が発生すると様々な電波障害が起きるらしいが、その発生予測とデータの提供、また、マグマと磁気の関係から地震や火山噴火の情報提供など、地味に重要な場所のようである。 当初は世界で4ヶ所しかない一つであり、今では地磁気測定器の検定機関でもある。 直流電流が地磁気観測に影響するらしく、「電気設備に関する技術基準を定める省令」なる法令により、観測所から半径数十キロ以内には直流方式を採用できないようである。 田舎でなければならないようである。
私の中では石岡と言えば「常陸の国の国府」である。 石岡市のホームページにも掲載されているが、石岡市立石岡小学校の校庭から当時の遺跡が発掘されており、遺跡の写真を撮ろうと石岡市街にある石岡小学校に向かった。 不覚であった! 遺跡が発見されたのは平成10年頃のことであり、今では校庭の地下に保存されているようである。 校庭の隅に「石岡市立ふるさと歴史館」なる二階建ての建物を発見し立ち寄ってみた。
どこにでもある縄文時代から近代までの、埴輪や土器、書き物や地図など展示していた。 中でも「国府」に関する資料は目を引いた。 日本全国で見ても「国府」としての場所や情報がわかっているのは3割程度らしく貴重なのである。 その資料館で面白そうな情報を発見した。 「看板建築」という聞いたことがない単語である。 石岡市では多く見られるらしい。 日本の伝統的な商店の形は、軒下部分を開放し、奥行き部分を住居とする店舗併用住宅が主流であった。 また、建物のレベルとしては、木造に土を盛った土壁が防火に優れているとされていた。 ところが、関東大震災ではその常識を覆し、揺れによって土壁が崩れ、焼け野原になってしまった。 その復興には、ひとまずバラックの店舗が並び、復興計画ができると鉄筋コンクリートの建物が建てられるようになった。 ところが、資金力のない中小規模の商店では、鉄筋コンクリートを思わせるような洋風の造り、軒下部分をバッサリ切り取った、木造の建物にトタンの看板を貼り付けたような建物が出現した。 それを「看板建築」と呼ぶらしい。 東京のような大都会は鉄筋コンクリートが主流だったかもしれないが、震災以降関東地方では「看板建築」は多く見られたようである。 石岡市は関東大震災の数年後に市街地で大火災が発生し、その影響で「看板建築」の建物が多く残ったとのことである。 現存している「看板建築」の店舗を見ていると、資金力不足ではなく資金が余った商家のようにも見える。 川越や佐原のように鉄筋コンクリートの洋風建物が観光基盤になるケースもあれば、「看板建築」のような昭和レトロ風もあるわけで、「石岡頑張れ!」とエールを送りたくなる。 規模がイマイチなのだが、市街地に集まっていて楽しむことができる。 そう言えば、この市街地付近の地名は「国府」という。
石岡市の人口は約7万人、茨城県では13番目の都市である。 石岡小学校の校庭のように地下数メートル、時代にして千年以上さかのぼると、石岡は茨城県で一番人口の多い場所だったろうと思う。 ひょっとしたらこの先数百年後には、また茨城県一番の都市に蘇っているかもしれない。 土浦までは決まりつつあるつくばエクスプレスの延伸、羽田や成田に次ぐ関東三番目の茨城空港、霞ヶ浦沿岸や筑波山東麓の立地、市街地から北西部の工業団地、数百年後何が起こっているかはわからない。 ただし、石岡が再度「国府」になるとしたら、「世界の柿岡」はお引越し、その頃は「看板建築」も建て替えられているだろう。 千数百年のスパンで思いを巡らせていると、自分の骨の処分方法など、考える価値が本当にあるのだろうかと思ってしまう。 数十センチ、いや富士山の大噴火の火山灰が偏西風に乗って降り注ぐと数十メートルの地下で、大事な骨も跡形もなくなっているだろう。 モノとしては跡形もなく消えていくのだろうが、電気的、化学的には脈々と残存するかもしれない。 そう考えるとなにか別のロマンを感じる。






物体を構成する、すべてのものが粒子であり、電荷を帯びて、電気的安定を保って存在しているという現代科学の位置づけから見ると、映画「マトリクス」の仮想空間の中に置かれている自分たちの意識ではないかと思う時があります。意識も電気的反応、感覚も電気的反応・・となるとつかんでいるとか、触れているのも、そのように感じるってことなのか・・・と思ったりします。可視空間がほんとに存在するのか?なーんて考え出すと、まっ ええか~ になって、飲んじゃうけど(笑)
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