新年特集号…今年の漢字一文字

 年始早々、高熱と低血圧で体のコントロールがきかず、駅伝を見続けることすらできず、寝込んでしまった。 それから数日は起き上がれず、入院することになってしまった。 抗がん剤治療とは無関係ではないらしいが、答えが出しにくい循環器系のトラブルで、外界と遮断された入院病室で20日間も過ごすことになり、気がかりではあったもののどうすることもできず、年始早々二回連続でのブログ公開を見送ることになってしまった。 病院の休憩コーナーからの朝日を見つめながら、次回は見送ることがないようにと祈ったものである。 例によって、構想状態と添削状態の二回分であったが、折角なので「新年特集号」としてまとめて公開することにする…。

年末になると今年の流行語大賞とか今年の漢字一文字とかあるわけだが、特に今年の漢字一文字、毎年何かちょっとだけ納得が行かない気持ちになっている。 一つには選ばれた漢字一文字そのものが、自分が思う社会にフィットしないケース、もう一つは書体がもう少しわかり易いとよいのだが、ほとんど読めない。 令和6年の場合は「金」ということで、金メダルの「金」、裏金の「金」だったようであり、あの字は「金」とは読めない、「重」である。 そのあと、テレビでは一般人にインタビューすることが多く、一般人の漢字一文字を紹介する。 それはそれで面白いものもあるかもしれないが、ほとんどのケースは突然聞かれて思いついた漢字を述べる…ということになる。 同じ結末になるかもしれないが、なんとなく年末年始を過ごしながら、令和6年は色んなことがあり、私も漢字一文字を選んでみることにした。 私の場合は「験」である。 体験、実験、試験、辞書を調べなくても知ってる言葉だけでなんとなく意味が繋がる。 「結果が形となってあらわれること、あかし、しるし、甲斐」などである。 無知だったのは「ゲン担ぎ」の「験」でもあり、縁起、前兆などを表す漢字一字でもある。 この「験」につながる一年を振り返ることにする。

当然初めてのことではあるが、母親の死の年となった。 女性ばかりの大家族に嫁入りし、気丈にも家族の中心で居続けたのだが、数年前に介護兼老人ホームに入り、認知症で子供の名前すらわからなくなっていた。 兄も私も抗がん剤治療をする身になっており、長生きはしてほしいが、親不孝しないようにという思いもあり、なんとなくホッとした。 一つだけ印象的な思い出に触れておく。 私が静岡の大学に入学する時、今にして思うと過保護であるが、母親が静岡まで同行し、下宿先を一緒に探し、その後数日間四畳半の下宿生活を確認して帰った。 帰る日静岡駅の新幹線のホームで見送った。 4月初旬でもあり雪は降っていなかったが、それからその相手が“君”ではなく母親だったが、私の頭の中にはかぐや姫の「なごり雪」の歌詞が何度も流れた。 本当に“母親”の唇が「さよなら」と言っていた。 その帰り道初めてパチンコをした。 その母親の死、これで年上の私の一親等はいなくなった。 二つ目の「験」は初めての手術でその後の抗がん剤治療は継続中。 笑い話のような取ってつけたような「覚悟の終活」。 終活自体は今後も継続するだろう。 不思議な気持ちになっているのは、昔のドラマでは医者からのがんの宣告は本人ではなくその家族が受け、葛藤しながら本人には…となるところ、医学の進歩なのか、人間の考え方の変化なのか、情報量の多さなのか、今のところ自分の中にそれほどの深刻さはない。 仕事の面でも「験」を感じている。 現在お世話になっている会社との雇用契約は、週18時間勤務のパートタイムである。 自分ではフリーター(個人事業主)と位置づけて来たのだが、前職関連の自分が手掛けてきた業務改善の仕事の手伝いをすることになり委託契約を結んだ。 初めて一社に縛られず職業の自由を感じた。 幸い抗がん剤の副作用も少なく、来年もこの自由を続け社会に少しでも恩返しができれば、ありがたいものである。

長年、ゴルフがうまくなりたいと思って練習も実践もがんばってきたが、結果は気持ちほど上達しない。 それどころかパフォーマンスが落ちていく。 昨年の手術入院中、数冊の本を持ち込んでいたが、体調が悪いとそんなエネルギーは使えず、ぼんやりテレビを観ているか、考え事をするくらいであった。 その時にぼんやりと閃いたゴルフスウィングがあり、術後約2ヶ月ようやく試してみた。 長い間のトラウマでスウィングの本質を忘れていたようである。 クラブヘッドを時計の短針4時に置き、体の軸を戻しながらボールに向かって水平に移動させる。 バックスウィングでのそれ以上に振り上げる行為は、反動をつけるだけで、4時の位置までは重力に引っ張らせ、打ちたい気持ちを我慢する。 スウィングとなるとヘッドの軌道がUとかOとかをイメージしそうだが、脳のイメージはLである。 試しているが、自分の中でのミスショットが減り、ゴルフが楽しくなっている。 毎週土曜日の公民館での囲碁の会では、70間近にして”若手のホープ”である。 自分よりも強い人とゲームをすることが多くなり、間違った手は確実にとがめられるようになると、徐々に囲碁の醍醐味を理解できてきた。 強い人はまったくやらせてくれないが、なるべく主導権を握り続けてゲームを支配することがベターであり、そのためには相手が迷いやすいように選択肢を広げることである。 囲碁用語では「見合い」という。 相手の迷いや戸惑いが打つ手に現れ、その乱れの分だけ自分が打ちたいところに打てるのである。 これは難しいができたときは楽しい。 もう少し”若手のホープ”を続けよう。

ここまで書いて来て、またしても主題から外れてきていることに気づく。 確かに死を見つめることは、人の一生の「験」を見つめることではあるし、仕事や趣味の話は、自分がやってきたことに関する「験」を探す姿ではあった。 しかし、それは令和6年に限ったことではなく、長年の主義主張の様なものである。 こんなものを一年の漢字一文字に選んでも、インタビューされた一般人より面白みがないかもしれない。 それならば…、折角思いついた「験」である。 これからの一年の計にふさわしく、このブログのサブタイトルでもある「殻の外」をイメージした作詞に活用することにする。 令和7年中にはこのブログのテーマソングとしての掲載を目指すことにする。 令和7年はどんな年になるのだろう。 少数与党、裏金問題、兵庫県知事問題、韓国大統領弾劾、ウクライナ、ガザ、トランプショック、社会情勢は緊迫している。 令和7年の「験」はどんな報告ができるだろうか?





コメント

  1. 匿名1/28/2025

    残日がいくらあるかわかりませんが、とりあえず、今までの一日一日は、何とか過ごせてきたようで、これと言ってやり残した感もなく、人生は1階でいいかな~と思っています。!(^^)!

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