高校の受験勉強で、国語、その中でも古文は苦手な科目であった。 百人一首は母親が好きだったようで子供の頃から身の回りにあり、お正月には家族でかるた取りを行っていた楽しい記憶はある。 そのうちに、高校になると授業と百人一首との関係も出てきて、覚えることになる。 紫式部、清少納言、和泉式部、小野小町、伊勢など「姫」は「坊主」よりも絵柄が華やかで、特に覚えた記憶がある。 古文でもここだけは得意だったようだがその他は全く…であった。 特に「源氏物語」は好きではなかった気がする。 そもそも「光源氏」という色男の色恋の物語であり、この歳になっても主題の流れからはほとんど読む気になれない。 その上、例のひらがなの区切り問題や物語の理解に必要な前触れなしに、授業を進めるのである。 中学高校の授業の題材にするのは無理なのである。 今、現代語訳と見比べながら読んでもそう思う。 ただ、教育の難しいところは、社会に出て生きていくために役に立つこと、例えば、計算、理科、語学、社会、道徳などがあるのだが、社会に出て生きていくことを楽しくするために役に立つことというのもある。 特に母国日本のこと、例えば、歴史、文学、音楽など。 「春はあけぼの…」とか「祇園精舎の鐘…」とか「古い池や…」とか、フレーズだけでも知っていた方が楽しい会話になるような気がする。 「源氏物語」もその分野だろうが、フレーズは思い出せない。 教育専門家の方々は、それらを中学高校までに触れさせたいと思うのだろうか…と考えると解らなくもない。
「源氏物語」は全54帖からなり、主人公光源氏の父から孫までの4代におよぶ長編の三部構成となっている。 一部は光源氏が生まれる前から全盛期、二部は中年期、三部は死後の孫の代までの物語である。 主人公は天皇の息子であり、地位、知性、ルックスの二物ではなく三物を持つ恵まれた人物。 1帖「桐壷」は私の雑な計算では400字詰め原稿用紙で11枚、私には有名ではなかったが作者によれば有名な始まりの一節「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に…」である。 いつの日のことだったか、天皇の周りの女性たちが多く居る中で、あまり位も家柄もよくないのに、天皇から大変優遇されている女性がいた…。 その仕事場が桐の生け垣に囲われた「桐壷」という建物または場所だったのである。 その「桐壺」の女性と天皇の間の第二子が主人公の光源氏、英国皇室で有名になった「スペア」である。 ちょっと、禁句っぽい言葉であるが、庶民ではあるが、私も「スペア」である。 「桐壺」の女性、よほど美しく聡明だったのか、天(天皇?)は三物も与えてしまったのである。 男性からすると羨ましい限りの展開となる。
内容的な話になると、約千年前と今の違いを感じなければならない。 よく昭和と令和の比較があるが、それはたかが数十年である。 千年は長いが、文化や風景、人の暮らしや考え方が違うケースあり、あまり変わらなくて驚くケースもある。 人や物の先天的な部分、つまり生物で言えばDNAに関わる部分は変わらないが、後天的な部分は大きく変化しているということだろう。 当時は女性の家に訪問して楽しい時を過ごし、まだ人気のない明け方に家に戻ってから、「文(ふみ)」を書くことが礼儀だったようである。 この「文」は発信者から受信者までに数人かが関与する。 街灯や家々の灯りがない時代、年頃の女性が出歩いて相手を探すことはなく、楽器などの音色に吸い寄せられた男性が、門番や召使と交渉して邸内に入り、月明かりを介して演奏している女性を観察する。 ストーカーである。 中にはそこまで書いていいのかと思うくらいのソフトな成人向け雑誌のような描写があったり、全般的にそのようなムードが漂っている感はある…と思うのは私だけだろうか、この世界的な文学作品に対して…。 ただ、人の感じ方や善悪の判断は当時と今ではほぼ変わらず、作者や登場人物と普通に会話ができそうな気さえする。
当時の日本史の授業の平安時代は、平安京を中心とした関西圏以外では太宰府くらいしか登場しないため、偏った見方になりがちであるが、諸説あるものの、当時の日本の人口は約600万人、京都は10万人、そのうちで貴族と呼ばれた人々、つまりは今で言う国家公務員は約500人と言われている。 物語の中には様々な位が登場する。 今で言う大臣、政務官、警視庁長官だったりするのだろうが、これがわかりにくく読み手を混乱させる。 まずは組織図と主人公関連の家系図などがあれば、もっと面白く読めるような気がした。 ちなみに、貴族たちは今でも会社組織で使われている等級と役職からできていたようである。 等級は結構面倒で、正一位(しょういちい)とか従四位下(じゅしいのげ)とかいうヤツで、五位以上が貴族とされている。 役職は、天皇の下に行政を司る太政官、神事を司る神祇官の分かれ、太政官の下に左大臣、右大臣、大納言、中納言…と続くようである。 これらも今の組織図に近い。 トップは世襲制であり、公務員は競争社会である。 官邸内は民を守ること以上に、跡取りづくりの方が優先だったかもしれない。 今よりも娯楽もメディアも通信網もない時代、実話混じりの色恋物語は有効な話題作りの手段だったのだろう。 我々子供時代の少年マガジンや少年サンデーに似ている。
今回の試みで平安時代がこれまでよりも近くなった気がするが、結局「源氏物語」や古典文学を好きになるまでには至らなかった。 結局、「すらすら読める源氏物語」では源氏物語全54帖の中の15帖しか紹介されておらず、そのすべてに目を通すことすらできなかったが、主人公と12人の女性との物語の様である。 ただ、感想文に対する不得意感はなくなった気がする。 「本を読んで感想文を書きなさい」と言う夏休みの課題、”本を全部読んで”とは言われていないし、”感想は人それぞれ”である。 要するに本を題材にした自由記述なのである。 不得意は単にネタ不足なのである。 まえがき、あとがきを読み、時代背景や作者の生い立ちや信条を確認した上で、本の中に書きたいテーマを探すことと言うことであれば、文章を書くのは楽しい。 こんなありきたりな結論に、原稿用紙8枚を費やした感想文であった。






貴族階級と庶民の暮らしの差が、大河ドラマでは、よく出ていましたね。荘園から上がりを取る貴族の暮らしは、華美で、恋愛関係も奔放な・・・現代では、お金に不自由のないばかむすこや、一部芸能人達がやらかしてるのかも~(笑)
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