私たちの安全?

身の回りの「安全」について考えてみると、最初に出てくるのは会社の安全衛生委員会やその活動を明文化している安全衛生管理規定である。 これらは、我々従業員にとっては、会社のお金儲けのために従業員が行う不安全/不安定な行動を避けるために、会社が作っているルールであり、従業員を守ると同時に、事故により発生する被害から会社を守るためのルールでもある。 ただ、それは内部で発生することからの安全である。 以前、会社外部で発生する圧力から会社や従業員を守る、つまり「安全衛生」ではなく言わば「安全保障」のことを考えたことがある。 敷地近辺の無謀運転、会社近くでの苦情等の集まり、敷地内への侵入などなど、警察に頼ることは考えられるが、自分たちで何をするかのルールはなく、訓練等の準備もない。 警察の傘の下の安全であるが自衛の準備はないことが多い。

最近、一般人を使った闇バイトによる強盗事件が、特に関東地方で頻発している。 ターゲットのリストには載っているはずもないが、若い時に迷惑電話や営業系の電話が多かった頃、このような事態になるとは想定していたわけもなく、ある程度とんがった対応で個人情報を漏らしていたかも知れず不安になることはある。 日本の世帯数36百万世帯からすると気にする確率ではないとは思うのだが、実際に出くわす人はいるのである。 我が家の「安全保障」を考えると、やはり強いもの(警察)に頼るしかなく、設備や訓練などの備えも不十分である。 囲碁将棋用語でいうところの、せめて”三手の読み”くらいは考えなければならないと思いつつ、対応策はすべて強いものに期待しているのである。 ただ、自分が死ぬのは仕方がないが、痛いことをされるのは怖いし、ましてや家族を守れないことは悲しいし、自分の生き方はよかったのかと思い返したくもなるだろう。 銃社会の米国を批判する日本人社会の根底をくつがえす様な「強い者が勝つ」ということになってしまう。

最近、日本と米国で共にリーダーを決める選挙が行われた。 その結果に一喜一憂されている人も多いだろう。 私もその一人であるが、わざわざブログに書きたい記事でもない。 それよりも、選挙の中で語られていることの中で気になったのは、まさに「安全保障」の考え方である。 日本では「地位協定の見直し」とか、「アジア版NATO]つまり集団安全保障が話題になり、米国でも「防衛費増額か集団安全保障見直しか」という発言もある。 誰もが「強さ(暴力)では勝てない」ような世界の実現を理想としているはずであるが、現実問題としては、国内の権力争いや国境を越えた侵略などは絶えない。 自分が生き延びるために力づくで食料を手に入れている動物の画像を見るたびに、生き物の「性」なのかも知れず、大勢の同種の生き物が共存できるように歴史の中で生み出された「知恵」は、「性」の前には意味がなくなるような気もする。 

そんなことを考えているうちに、ネットで気になる本があり購入した。 講談社現代新書の「知ってはいけない隠された日本支配の構造」である。 作者のコメントでもこの本の内容に読者の方の多くは信じられないというリアクションとのこと、私も信じられないのだが、これまで経験して何かがおかしいと思っていたことが腑に落ちてしまい、信じられないとは言えない気持ちで、目が点? 目からうろこ? これ以上の表現が見つからない。 本の内容を踏まえ、自分なりの理解を文章にしてみる。 日本国憲法には、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を唱えていて、日本国民はその原則の上に成り立っていると思っていたが、そうではないらしい。 これら憲法の大原則の下で、三権分立の立法、行政、司法が機能していると思っていたが、この本によると違っているらしい。 日本では1945年8月15日を終戦記念日と呼んでいるが、世界的に見ると9月2日が終戦の日で「日本が無条件降伏した日」ということになるらしい。 その後米国による占領体制が続き、その占領下の1947年に日本国憲法が施行され、1952年サンフランシスコ講和条約で日本は独立したことになっており、その後は三権分立を守りながら、民主国家として運営してきたはずである。 しかし、地政学的な重要性のためか、米国駐留軍の方針は「政治経済においては独立を認めても、軍事面では法的に占領下体制を継続する」であったようである。 よって、表向きは日本は独立し、日本国憲法・民主国家としての戦後を歩み始めたが、その裏側の米軍関連の運営では、旧安保条約・行政協定・日米合同委員会という三重構造の下、旧安保条約では詳細は行政協定で…。 行政協定では具体的には日米合同委員会で…。 日米合同委員会は、米国駐留軍の軍人幹部と日本政府の高官数名で頻繁に開催され、そこで決まったことは、もちろん治外法権であり、その議事録は非公開ということである。 またその構図は、旧安保条約が新安保条約に、行政協定が地位協定に代わっても、最終的には日米合同委員会で具体的には決めることになっていて、今日まで続いている。 それら決定事項、言わば”密約”は法律の様に巧みな曖昧表現、例えば「その周辺は例外…」とか…、占領下の譲歩が経験則となり、日本の法律いや憲法までもが意味をなさないのである。 
信用できないと思いながら…、そう言えば、羽田や成田に到着する民間機は遠回り旋回するし、米国政府要人は手続きもなしに専用機で横田基地に降り東京に軍用ヘリで向かう。 当然、米軍基地は政府の管轄外であり、その上日本のどこに米軍基地を作るかも米軍判断らしい。 そう言えば、「嘉手納基地移転、少なくとも県外」を唱えた首相がいた…が。 つまり、独立国日本の領地は米軍の意のままであり、いかなる基地への出入りも基地上空の広大な空の使用もすべて”許可”が必要であり、米軍は日本国内の基地から他国の攻撃も可能、非核三原則の核の持ち込みや自衛隊の違憲問題など元々から米軍には関係なく、日本の国会での憲法や法律の議論に無関係に、いざとなれば自衛隊も米軍と一緒に戦うことになるはずである。 この軍事の主従関係は、軍事以外の主従関係も生み出し、政治、経済、司法までも”許可”をもらうために奔走する姿は、これまでも見てきた。 民主主義を語る欧米も日本も「強い者」には従う構図は続いているのである。 「米国の核の傘の下にいる日本」と言う言葉は最近よく耳にする。 「核なき世界の実現」「核の抑止力の下の平和」。 あるべき姿と現実を見据えた姿! この歳になっても結論を出せないが、せめて”日本の領土”内では”密約”よりも日本国憲法が上位であってほしい。




コメント

  1. 現日本国憲法は、米国が素案を作成し、日本が贖って一部変更したことは周知。これを守ろうという、〇産党〇会党は、米国追従ということになるけど、なーんか矛盾だね。起こりが、戦後独立承認前だから、下敷きになってるのは、米国の利益ということになる。じゃ、憲法改正に反対する理由ないじゃん! と思うのは間違ってかな~?

    返信削除

コメントを投稿