弾き語りの魅力に…

 私とフォークソングの出会いは、中学生の頃のラジオの深夜放送で聞いたPPM(ピーター・ポール&マリー)のシンプルな演奏と美しいハーモニーに驚愕! 英語の歌詞がわからずに和訳を見つけて、戦場へ行ってしまう兵士を歌った反戦歌と分かると再び驚愕! 興味を持って聞き始めると、フォーク・クルセイダーズ、ブラザーズ・フォー、岡林信康、日米入り混じって驚愕の曲が…。 日本には琵琶や三味線の伴奏での弾き語り?はあったが、興味のある流行歌の伴奏は、管楽器、弦楽器、ピアノなどの取り合わせで結構な大人数となるところ、ギター1本または数本での伴奏という手軽さ、やってみたいと思った。 ただ、その後個人的には長くフォークソングという言葉には抵抗があり、違う表現方法を使おうとする。 ちょっと向き合って掘り下げてみたい。

ヨーロッパからの北米大陸への移民はほんの400年前からである。 その移民たちが言葉や文化、それぞれに楽器や出身地の音楽を持ち込み、各地に住み着くことになる。 1920年代になり、近代化の波が進むに連れ、貨物列車で移動しながら仕事をする季節労働者が増え、彼らによってそれらが地域の民族音楽という形で、しかもメロディだけを残して、自分たちの暮らしや不満を歌詞に載せて広めることになり、歴史のない米国では、そんな民族音楽は「アーカイブオブアメリカンフォークソング」と呼ばれ、歴史の一部として収録されていった。 作者不明のアメリカ民謡である。 あの「トム・ドゥーリー」も「漕げよマイケル」も「アメイジング・グレイス」もそのアメリカ民謡である。 戦後の共産主義弾圧時に、それらアメリカ民謡、つまり社会批判的な「フォークソング」も弾圧の対象となり、弾圧を逃れるためにカントリーなど様々なジャンルに細分化されていく。 その後、1950年代に「フォークリバイバル」として流行ることになる。 ウッディ・ガスリー、ボブ・ディラン、PPMなどである。 アコースティックな楽器構成、簡単なコード進行、社会批判的な歌詞、適度なハーモニーのモダンさ、それに反商業的な雰囲気などが当時の米国社会にマッチしたようである。 ボブ・ディランの「風に吹かれて」は、本人や他の歌手のカバーでもあまりにも有名である。 ただし、そのブームは1964年ビートルズの米国上陸により10年足らずで終わることになる。 アメリカ民謡での電気楽器使用の違和感のようなものである。 正確には「終わる」ではなく「変わる」というか、フォークと言う言葉が使われなくなり、電気楽器、電子楽器、リズム楽器と融合していく。

ところが日本ではずいぶんと歪んだ姿になる。 ビートルズもそれに習ったグループサウンズ(GS)も日本のフォークの始まり的な「帰って来たヨッパライ」も私が小学高学年の頃に流行する。 「フォーク」という言葉は米国で流行っている音楽のジャンルとしてメディアに紹介されるが、関東のカレッジ・フォーク、米国「フォーク」源流的な関西フォークとしてのすみ分けができ、関西では深く浸透し、関東では浅く商業的に広まっていった。 その後の進化の過程で「自分たちで演奏する、反商業的雰囲気の、当時の生活感のある容姿や歌詞の」歌手やグループが表舞台で活躍した。 つまり、「フォーク」という言葉だけが和製英語のように乱用される。 ”和製フォーク”とでも呼ぶのか…。 その進化過程の”フォーク・シンガー”と呼ばれた人たちには、あの米国フォークブームの終焉のきっかけを作ったビートルズに傾倒する歌手も多い。 

私は高校生になっても「フォークソング」への憧れは続き、音楽雑誌で原曲に近い弾き方を見つけては、その部分だけ練習しては自己満足に浸っていた。 ある時、友人3人で、当時流行りのコンテストの県予選の前?の予備審査を受けたことがあった。 若気の至りである。 喫茶店の2階の埃だらけの畳の部屋に通され、数名の怖いお兄さんたちの前で演奏することを求められた。 自分たちはよくできていると思っていたが途中で演奏を止められる。 次の要求は、今の演奏の自分のパートを一人ずつ演奏すること。 一番うまいヤツは最後まで演奏できたが、あとの二人は途中で演奏を止められ…で審査終了! 恐ろしい体験であった。 今になって思うのだが、すべてのこと、スポーツも趣味も仕事も同じだと思うが、個人個人で目指す領域が異なり、その領域に向かって個々にプロセスを踏み、その目指す行為が人それぞれの人生の分岐点なのだろう。 当時の”和製フォーク”自体が誰でもできそうであり、その満足度の領域の幅が多少低い方にズレていたような気がする。 少なくとも私はそうであった気がする。 もちろん、そこにも一流は居て、その道は遠く深いのだが…。 無意識の中で、自分と「フォーク」というジャンルのつながりを認めたくない理由が”これ”かもしれない。

大学時代、フォークソング同好会というクラブに所属していた。 もともとは、これまで不完全燃焼だった部分を燃焼させたい思いだったはずなのだが…。 週に数日、授業の終わった教養学部の教室を占拠して、楽器演奏や歌を歌っている人もいれば、楽器も持たずに集合して話だけして解散の人もいる。 大体その後時間のある人は酒か麻雀となるのである。 そんな”緩い”まさに同好会であったのだが、アコースティックな音にこだわり、繊細な音を好むという意味では、「フォーク」の原点との共通点はある。 年に一度市民ホールでコンサートを実施することが唯一のイベントであった。 私よりも6歳ほど上の世代から始まったようだが、私の年代以降は徐々にエレキギター、エレキベース、ドラムなど音の増幅が必要な楽器が必要になり、軽音研やロック研との距離が縮まり、教室での集いは難しくなって行った気がする。 つまり10年足らずの集いだったわけである。 そのせいもあり、近年数年に一度OB会(正確にはOB/OG会)を開催するようになったのだが、私の年代はいつも若手で、先輩たちに毎年「君、誰だっけ?」と聞かれることになる。 そのOB会が9月に開催されることになっていた。 私は入院のため参加できなかったのだが、不参加を決める前に若手らしく、場を盛り上げるためカラオケ店に足を運んだ。 流石に音楽関連のOB会で、二次会または三次会では決まってカラオケ店に行く。 先輩たちは歌うことは大好きなのだが、間が空いた時は若手の出番になる。 そんなときのための曲探しである。 ビートルズ、ローリング・ストーンズ、タイガーズ、テンプターズ、吉田拓郎、かぐや姫、井上陽水、ハッピーエンド、森進一などなど、キーが合わせられて歌えそうな歌を練習してみた。 楽しい! 平日午後シニア割だと安い! 試しているうちに思ったこと…、先輩たちが盛り上がってくれそうな歌は、ジャンルに関係なく、当時を思い出させる想定外の懐かしい歌であろう。 何かに深く傾倒し、一流を目指すことは若い時は大事なことかもしれないが、最終的には”音を楽しむ”ことが一番で、歌を歌う側も聴く側も、楽しい気分になることが大事なのだろう。 次回のOB会では、先輩たちも私も元気に参加し、私は名前を覚えられ、若手らしく準備し想定外のカラオケの曲を歌おう!







コメント

  1. まるでエッセイだね(^^♪よく理解できました、ありがとう!

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