待ちに待ったとは言い難いが、人生初の入院である。 これまで経験がなかったことは幸運ではあるのだが、少しだけ好奇心のような気持ちの自分がいる。 受付窓口で、入院保証書、電化製品利用料についての同意書など、いくつかの署名付きの書類を提出した。 入院保証書は、同居人以外の連帯保証人が必要で子供にお願いした。 定年後の再就職で、京都のアパートの契約以来である。 経済的な信用がなくなる年齢を改めて感じると同時に、連帯保証人はこれまで親や兄弟であったはずが、他界したり私より年配だったりで、子供のありがた味を感じた。 予め説明を受けていた限度額適用認定証も提出した。 最近知ったばかりの高額医療費制度である。 これがなければ大変なこと実感した。 また以前、高額医療費制度があれば民間医療保険の不要の記事を書いたが、解約手続きが遅れていたため、功を奏したようである。 保険の補助を考えると一人部屋でもよかったが、それでは家と余り変わらないと思い四人部屋にした。 完全看護で、コロナ以降は家族と言えども病室には入れず、病棟入口までである。
手術まで準備は素人から見るとほぼ排泄コントロールである。 前日夕食、「食事です」の声がかかるも、大きなトレイの上には、とろみだけのコーン味のスープのみ。 翌朝からは食事なしである。 水分も手術の予定時間の二~三時間前からは禁止。 その間は手首の点滴で必要なものは補充するようである。 点滴の袋をちょっと拝見するとブドウ糖、塩分、ミネラル系であった。 「術着」に着替え、手術らしい雰囲気と思いきや、看護師の付き添いで、術着に普通にスニーカーで歩いて手術室に向う。 広い手術室の中の真ん中にポツンとベッドがあり、様々な照明ライト、この辺りはテレビドラマのとおりである。 準備完了すると、これもドラマのようなピーピーピーと脈拍と連動しているような音が聞こえた。 点滴の手首から麻酔が投入され、私の脳の好奇心も敢え無く途絶えた。 手術終了後、元の部屋に運ばれながら、いろいろ話しかけられるが、受け応えをするだけで内容は記憶の外、何しろ早く朝が来てほしいと思いながら、眠ろうとした。 しかしその朝が来てみると、著しく不快! 体内と外部を繋ぐ管五本、検査用の電気コード四本で、身動きが取れない。 その上患部はもちろん痛い。 しかし、その午後にはそれらを手押しスタンドに連結し歩くことを促される。 日本の医療恐るべし!である。 不快であり痛いががんばろう。 この身体に装着されているものが、すべて無くなれば退院である。 おそらく…。
四人部屋はカーテンで仕切られている。 手術前日の入室の際、挨拶をする雰囲気もなく、しばらくカーテン越しに会話を聞いていると、すぐに退院する人や術直後らしくなぜだか病室変更となる人、それら隣人たちの名前、年齢、重篤度等々、会話せずとも情報は知ることができる。 独り言、咳払い、ため息、一つひとつの行動で必要以上に雑音を発する人が気になる。 お互い様ではあるが、改めて、こんなところで共同生活の戒め再発見! 「周りのことに気を遣って行動しているか」は音でわかる!気がした。 日々、様々な患者の事情で入退が繰り返されるのである。 私は十分気を遣っていただろうか。 それから、日頃から病院に行くと気になっていた看護師のタメ口。 自分が弱いまたは不安定な立場の時は、妙に親しみが湧き、家族のような気持ちになってくる。 ある日、カーテン越しではあるが、看護学校からの実習生が一人のお年寄りの患者に、実習のインタビューをしている声が聞こえてきた。 まだ、二十代前半だろうが、会話がうまく、ハキハキと応対し、相手を不快にさせない。 考えてみれば、患者の身体や心の状態を的確に聞き取り、治療に生かすコミュニケーション能力が必要である。 観察していると、どの看護師もパターンは違うが会話がうまい。 学科の国家試験があるようだが、専門知識とコミュニケーション、両方重要なのだろう。 コミュニケーションも看護学校で習うのだろうか? これまでに出会った営業マンたちよりも余程その能力は高いと見た!
入院中の食事は興味深い。 術前は前述のとおりだが、術後は消化器系とそれ以外の症状によって異なるのだろうが、私の今回は、術後二日間は点滴のみ、それ以降は一週間かけて、三分粥、五分粥、全粥、通常のご飯と体調を見ながら変化した。 おかずはご飯の炊き方に合わせて対応されていたが、どれも消化の良い食材である。 こんな食事体験をしたのも初めてであり、私なりに屁理屈を述べたくなる。 三分粥とペーストおかずは、最初は食事の喜びで気が付かなかったが、二食目から本当に不味いと思った。 五分粥のちょっと歯応えおかずに変わった時は、普通に美味しかった。 この差はなにか? 視覚ではあるが色の三原色の赤青黄でも、その他の色でも混ぜ合わせるとくすんだ灰色系になる。 味覚も同じではないのだろうか? 個々には材料や味付けの味が染み込んでいるが、それを粉末ペースト状に混ぜ合わせると特徴のない同じような味になるのでは…。 思い返すと三分粥の四食とも同じ味だった気がする。 それを考えると、離乳食当初の赤ちゃんの食事は不味いものを食べていることになる。 好き嫌いの始まりでは? それに比べて、ちょっと歯ごたえのある材料は、個々に材料の味も味付けの味も染みていて美味しいのである。 人間も歯応えがなければ、悪いことはしていなくても好かれないのかもしれない、と思った。
先輩から言われた「脳が自分で身体は借り物」という言葉が、今回の体験で確認できたような気がする。 肺とタバコや、胃と暴飲暴食は関係があるかもしれないが、私の場合は脳の指示で体の部位を酷使した結果ではなく、脳が借りた身体にその部位が悪くなる要素が備わっていたらしい。 であれば、先輩の言葉はそのとおりである。 折角脳の暇つぶしとして準備した本も、身体が痛い、不快なときには読む気になれない。 七階の病室の窓からは筑波山がはっきり見える。 日頃は山頂も、中腹の神社も、どこかに行く途中でも、生活の一部にある筑波山であるが、自由のない病室の窓からでは身近には感じない。 やはり、身体の自由は心(脳)の自由なのである。 唯一の自由は病棟の廊下での毎日のリハビリ歩行である、一日も早い退院を願って…。 退院は身体に装着されているものが無くなってからと思いきや、一本の管が体内から飛び出し体に張り付けられたままの経過観察となった。 手術と言うのは三つのことをケアしなければならないようである。 患部を取り除くまたは修復すること、人工的に切った部分の感染を防ぎ回復を待つこと、そしてその後対処すること。 私の場合はまだ患部の処理が終わったに過ぎない。 医者の説明を何とか自分の屁理屈に置き換えながら回復を実感して行きたい。 最近のニュースで今回経験したような日本の医療制度にもインバウンドの波が押し寄せていると聞く。 医師の技術、看護師の「おもてなし」、高額医療費制度適用のために日本の国民皆保険に加入する外国人が…。 貴重な体験ではあったのだが、この日本の医療制度の存続は如何に!

大きな手術を伴う入院は緊張するものですね。私の本格的な入院は、58歳の時。手術台の冷たさはたまらなく標本の解剖みたいでいやでした。次のオペは66歳かな~。病院が新築され、手術台も柔らかく暖かに変わっていました。入院の際は、不埒な考えを持ち、鋭い外観チエックに熱中することで気を紛らわせます。(^^♪
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