「政治の季節」ため息…

日頃からテレビっ子であった私が、二週間もの入院生活を送ることになり、イヤホンの届く範囲、介護用パラマウントベットに寝そべりながら、背中が痛くなるほどテレビを見ていた。 その間、兵庫県知事の失職(入院以前から賑やかだったが…)、プロ野球セパ両リーグの優勝、大谷の前人未到の50-50(本塁打と盗塁の数)、立憲民主党の代表選挙、自由民主党の総裁選挙など、話題には事欠かなかったのだが、それでも飽きるほど見ることになった。 その中でも、兵庫県知事の失職、立憲民主党と自由民主党の党内選挙と総理大臣指名は印象的であった。 まさに「政治の季節」である。 当事者たちの対応やメディアの報道の仕方など、私の経験に照らし合わせてみると、ちょっと腑に落ちない話の連続である。 

兵庫県知事のパワハラ、”おねだり”問題。 パワハラは自分にはない!と思ってはいるが、こればかりは相手次第である。 わからない! それよりも”おねだり”である。 ”おねだり”という言い方自体、メディアの意図を感じてしまうが、自分の経験で自分たちが発注側の仕事の頃や工場管理の仕事の頃、同じような経験はあった。 取引先を訪問する場合、最初に「自分たちは一切もらわない」と宣言しておきたいのだが、それは取引先から見ると逆に”おねだり”になるかも…、と思うとその宣言もしづらい。 訪問が二日にまたがると格上の方からの会食のお誘いがあり、ご当地の名物料理などを振る舞われる状態で、会計だけ割り勘と主張し続けるのも格上の相手の顔を潰すことになり(割り勘にすると相手は自分たちの分だけ接待費として会社に請求できるか悩ましいらしい)、「次回は…」として相手持ちになってしまう。 格上の相手の「次回…」(つまり当社工場への訪問)は来ないのだが…。 同様に帰り際に、紙手提げを持ってきて、「つまらないものですが…」と手渡たされることになる。 規制の厳しい米国本社のエンジニアは、慣れないこともあり、「How much is this?(これいくらですか?)」などと、規則範囲内かを確認するなど失礼なことになる。 会話の中で突然「趣味は…?」とかの質問が飛んでくる。 ゴルフ…と応えようものなら、次の営業担当の工場訪問時には、ゴルフの予定を連絡される。 
通常はゴルフ場受付時にもらう整理番号で終了時に個々に清算するのだが、プレイが終わり雑談しているうちに営業担当が居なくなり、支払い完了ということになる。 ましてや、ゴルフ場の売店にあるスイーツ系の箱を「ご家族でどうぞ」とか差し出されると、今更つき返せず受け取ることになる。 
公益通報者保護法改正は2022年6月施行の法律の様であるが、当時工場で今回の兵庫県の外部通報のようなリークが発生したら、どうするだろうか? 当時は社内メールや言動が主流であったが、ネガティブな主張や組織的に反対派の目に余る活動などはある。 当時は法律はないとは言え、発信者捜しは必ず実施すると思う。 メディアが述べる民間企業と私が思っている民間企業にギャップがあるようである。  

自民党の裏金問題は当事者たちは解決済みであるが、国民は納得しない。 メディアでも、民間企業では…とすぐに比較し、政治家の甘々な体制と仕組みを非難する。 ただ、私の中では違和感である。 民間では、確かに最終的にはすべて領収書が必要なことは事実であるが、社内の飲み会で接待費を使う営業マンがいたり、あて名や金額が入っていない、いわゆる”カラ領収書”を要求したり、それなりにルールの外側の行動は目にしてきたし、同じ立場なら自分もそうなっていたと思う。 よって、私の中ではなんとなく五十歩百歩であるような気がする。 ルールの範囲内で、抜け道を探して活用するというのは、人間の性とでもいうか、特にお金の面ではよくある様な気がする。 私として許せないのは、ルールを作る側または守らせる側が、そのルールの欠陥を知りつつ、ルール内だから問題ないと言っている姿勢である。 会社の管理側でよくある話であるが、問題解決のため新しいルールを作ることになった時に行うことがある。 まず、問題を根本的に解決する原案を作る。 その原案と現状を比較する。 その結果、多くは現状のままで、肝の部分だけ背伸びしないと実行できない程度にルール原案を緩めて実施する。 守られないルールは意味がないからである。 ただし、ルールの目的(目指す姿)は忘れてはいけない。 管理側がその目指す姿を忘れて穴を探しては、ルールは守っていると主張するなどあり得ない。 これが起きていることが、我慢ならないのである。 メディアの受けを狙った報道の仕方に腹が立つのである。

立憲民主党と自由民主党の代表者を選ぶ選挙が行われた。 興味はあったが失望した。 その後の衆議院選挙を想定すると、どちらの代表者選挙も、日本のトップを選ぶ選挙と言っても過言ではないことはみんな想定できるが、両党の候補者計13人の中で、トップになってほしい人がいない。 「昔の名前で出ています」と自ら宣言する人、いかにも後ろから操る策士的な人、愛国色の強すぎる人、人気先行の人、議員一年生の人、どれをとっても、次の選挙の顔にふさわしいとか、党が有利になるとかが選考基準のように見える。 そもそも、いつも不思議に思うことがある。 海外でも完璧に二大政党にはなっていないようだが、せめて二強他弱的な構図にはなっているようである。 そのほとんどは、保守⇔革新、事業主(富裕層)⇔労働者などの構図である。 その中間も含めて「保守←中道→革新」と呼ぶことにする。 勝手に想像するに、少なくとも日本では左右対称の正規分布になる様な気がする。 つまり、三等分にすると、保守10%、中道80%、革新10%である。 日本の特殊な現状は、なぜだか保守と中道の多く、その多くには革新系の思想の方々も存在する形で自由民主党なのである。 今回は両党ともに中道系の票の獲得を目指しているが、選ばれた両代表の政策の違いが見えない。 ただ、自民党の国民受けしてきた革新系の人も、党の議席問題、個人の選挙戦問題、その政治信条、などの党内をまとめるために最大公約数的な政策になってしまうだろう。 誰もが経験した、学級会でも町内会でも社内会議でも同じ構図である。 思想があまりに違う人たちでの最大公約数では思想そのものがなくなる。 また、財務省、米国政府、影響する団体など、国民には知らされない圧力が政治に影響していると聞こえてくる。 真実が見えない状態で、「国民に信を問う」と結果責任だけ負わされるのはいかがなものだろうか。 メディアの指名に期待するしかない。









コメント

  1. 国民の清廉潔白さ、国に対する意識、義務に対する責任感、実行能力を正規分布して、中央値を国別に出してみると、日本は、どんなもんなんでしょう?市会議員と地方議員は、まず地域利益を求められ、何か利益誘導しないと次の選挙は落選につながったり、団体が支援するのは自己の利益のため・・・民主主義である以上、そこはついて回るかな。思想、宗教ベースのとこは、寄進というカツアゲがあるし・・・

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