ワクワク感を求めて…

 小田原に行くことにした。 昔から行ってみたかった場所である。 以前旅行で数回立ち寄ったことはあるが、電車の場合新宿から小田急線で小田原乗り換え、ここからは箱根登山鉄道で箱根に向かうことになる。 高速道路の場合は厚木ICから小田原厚木有料道路に入り小田原を抜けて、湯河原・熱海方面に向かう道になる。 どのケースも自分の自由が利く旅行ではなかったので、あの北条氏の、あの難攻不落の小田原城を訪れることはなかったのである。 様々な難攻不落の仕組みがあるらしく、旧外堀の外周、城内の土塁、空堀などの仕組みなど、今回は歩いて回りたかったのだが、それほどの時間は取れず、せめて小田原駅からの繁華街を抜けて小田原城まで、城内の報徳神社、そこから御幸が浜まで歩くことにしたのだが、残念ながら意外と近かった。

とりあえず、駅の近くの市営駐車場に車を駐車し、駅に向かう道、古い街並みを再現したお土産店や飲食店街、ミナカ小田原である。 すぐに気がつくが女性の歩行者、家族連れが異常に多い。 そのような仕掛けが施されているのだろう。 私の知識では、小田原城、鈴廣のかまぼこ、海産物、箱根駅伝の要所であるのだが…。 駅前の一番目立つ場所にさっそく鈴廣のお土産店、石畳の道を歩くこと約10分でお堀端に出た。 石畳の道の両側は昔は人気店だったろう洋服店、飲食店などがあり、また、今どきの新しい店が混在していて、財布の紐がゆるくなりそうである。 小田原城は気のせいか、お掘が入り組んでいて水量も多く、城内も坂が多く、北側が急峻な山の縁(へり)で、その三方は堀をめぐらしているようである。 その高台に天守閣があった。 こじんまりとした城に見えたが、説明によると全国で十本の指に入る高さを誇るらしい。 
お城の主、北条氏は、鎌倉時代の北条氏とは無関係で、戦国時代の下剋上で名前をあげた伊勢早雲が初代、二代目以降北条を名乗り、五代目の頃、秀吉の大群に囲まれ滅んだとのことである。 上杉謙信も武田信玄も崩せなかった小田原城籠城作戦も、秀吉には敵わなかったらしい。 戦術と規模の違いだろう。 家系図を見ていると、政略結婚や養子縁組が凄まじく、今川氏親(義元の父)、武田信玄、上杉謙信、徳川家康と血縁関係にあるものの長続きしない。 一つの縁組で20年と考えると、北条氏の百年においては必要だったと言えるかもしれない。

昔はどの小学校にも必ずあった二宮金次郎の像、小田原はその二宮金次郎の生誕地のようである。 報徳二宮神社は小田原城内の二の丸跡にある。 思ったほど大きくない。 賽銭を上げ、二拝二拍手一拝。 ”拝”の仕方をいまだに迷う高齢者である。 宗教色が強くなるので多くは語らないが、「すべてのものには良い所がありそれを活用する」というのが報徳の教えらしい。 境内を出て10分ほど住宅地を歩くと御幸の浜に到着する。 どこから見ても太平洋は広い! 
若者たちがアイスを食べていた。 食べている方は涼しいだろうが見ている方は暑さが増す気がした。 海岸沿いをそのまま2~3km歩くと次の目的地に到着するのだが、駐車場まで戻り車で移動することにした。 メディアで取り上げられていた「漁港の駅TOTOCO小田原」である。 海産物にはそれほど興味はないのだが、遅い昼食でも…、と考えたのであるが、甘かった! 今日一番の人々に遭遇。 平日だったが、関東、静岡、山梨など他県ナンバーの車両が次々と駐車場へ。 1階は海産物専門の普通の道の駅、2階のレストランは順番待ちの人が1階まで続いていて、見晴らしの良い展望エリアにも到着できず、あえなく退散。 メディアの力恐るべしである。

旅行中に出くわした苦く/爽やかな出来事。 片側2車線の道路で、割とつながっていた左側走行車線を走行していたが、左からの合流で数台の車が見え、それらを避けスムーズな合流のために右側車線に移動した。 合流してきた1台の青い普通車が、そのまま右車線の私の車の後ろに付き、ほとんどあおり運転状態に…。 左車線は切れ目がなく、あおられながら走った。 制限速度オーバーで私の軽自動車はつらそうな音を出していた。 ハラスメントの教育資料では、相手が弱そうに見えると普通の人でも凶暴になるようである。 まさにこの状態を例に挙げている教育資料を思い出した。 以前掲載した年寄りのダウンサイジングの一環として軽自動車への買い替えで、またも新たな体験であった。 親切と思った行為のはずなのだが…。 もう一つの体験。 駅のそばの市営駐車場に駐車しての2時間程度の徒歩による観光の途中、ちょっと不安になり、駐車券を探したが見当たらない。 どういう処理をしたかも記憶にない。 恥ずかしながら最近のあるある現象である。 なるようになると開き直って観光した後の駐車場で、同年輩の管理人のオジサン?に、再発行をお願いする。 推定の駐車開始時間を伝えた後、なんとなく気持ちが悪く、駐車後数分で撮影したミナカ小田原の街並みの写真と撮影時間を提示したら、オジサンは笑顔を見せながら、観光のお礼の言葉と30分の駐車時間のおまけをしてくれた。 これらの出来事は、お互いに相手と自分の関係、相手の思いを想定して誠意を持って受け止めて行動すること、何となく報徳の教えに通ずるような気がした。

私だけかもしれないが、神奈川県とか兵庫県とかは他の都道府県と違い別格のイメージがある。 東京や大阪の様な大都会ではないが、大都会同様の利便性と風土がある様な気がする。 特に都市部に近い海辺や丘陵には有名人の別荘地が点在する。 今回は訪問しなかったが、清浦奎吾、山縣有朋のような明治の歴代総理大臣の別邸も点在しているらしい。 また、東海道53次最大の宿場町で、ここまでが関東圏で、ここで”天下の険”の箱根の山に向かうのである。 ここからが険しく長い旅の始まりなのだろう。 またその逆はやっと着いたわけでホッとしたことだろう。 そんな意味では旅の必需品として、しかも折り畳みができる携帯用提灯として有名になった「小田原提灯」なるものがある。 子供の頃、このアコーディオンのように長く伸びる提灯に触りたかったことを思い出した。 JR小田原駅の在来線では、いざ東京へ、いざ地方へという電車の出発のチャイムは、おさるのかごや「♪小田原提灯ぶら下げて、ソレヤットコドッコイホイサッサ♫」らしい。 歌自体はこの節以外は小田原とは無関係のようであるが…。 国盗りとして重要な場所、交通の要所、報徳の教え、海産物、提灯、そして何よりも別格のイメージ、目的は様々かもしれないが、この街に集まる人々のワクワク感は分かる!




コメント

  1. 匿名9/20/2024

    松尾芭蕉の心境に近づいてるのかな~(笑) ゆっくりと見て回ったりすると違った風景が見えるのかも(^^♪

    返信削除

コメントを投稿