殻の外の生活では、茨城南部からは通勤圏内の東京ですらそれほど頻繁には訪れることはなく、一大イベントであることは前回述べたのだが、それだからこそ午後からの用事でそのついでということであれば、この機会を逃さず新たな経験を積みたいところである。 単なる娯楽での早めの出発、自力で駅に向かうことにした。 近くのショッピングモールと駅を往復するバスが本数が多く、通常利用しているが開店近くにならないとバスがなく、ローカルのバスダイヤを利用することにした。 早い時間は通勤通学の時間の7時台前半1本しかないバスである。 これは混むはずであると思いきや、2分遅れで最寄りのバス停に到着したバスは、高校生や通勤客数人でガラーンとしていた。 スイカか整理券を取るのだが、何か頭が混乱して準備が悪く、整理券を取る。 正確に数えてみると、私も含めて乗客は10人。 私は偶然乗り合わせただけだと考えると、通常は9人で売上は1万円以下ということになる。 そのうち無くなるのかと思うと、地域貢献で利用を増やさなければ、免許返納後困ることになると思った。 整理券にはテンキーのような四角い点が付いており、投入箱を通すとセンサーが反応し料金が表示された。 バス会社の進化の跡が見えた!
JR常磐線! これは通勤客で混雑すると不安だったが、たまに土浦始発の電車があり、ラッキーだった。 この先の上りの数駅は空席があり余裕があったが、おそらくすぐに降りる立ったままの人もいた。 ほとんどは通勤通学の客の様であった。 見渡せる範囲2~30人を観察していて、ふと思ったことがある。 あくまでも見た目の話であるが、この2~30人の中でおそらく私が一番高齢者であろう。 平日早朝の通勤通学時とは言え、ちょっとびっくりである。 ということは、体の不自由な人や妊婦の方を除くと、この集団の中であの優先席に座る資格を一番有しているということになる。 不思議な気持ちである。 ただ、元気な高齢者も当然いるわけで、優先席の優先資格者は年齢ではなく、見た目でもなく、電車の揺れの中で自分が長い時間立ち続けることが困難かどうかの自己申告であるべきである。 そしてその判断は真摯でなければならない。 そんなことを意識し始めると、東京に近づき混み合ってきても、気になって仕方がない。 JR常磐線が山手線いわゆる昭和であれば”国電”にぶつかる駅「日暮里」到着時に、もう一人同年代らしい男性を発見し、何かこの目線から解放された気がして、ホッとした。
「東京を歩く!」今日の出発点は「駒込」である。 東京環状線である山手線は、北が丸く南が尖った楕円形状であるが、左側通行の線路では内回り線で、日暮里から池袋方面に数駅である。 この北側の上野から池袋までの約四分の一周は、老人の街「巣鴨」に代表されるようになんとなくではあるがパッとしないエリアで、私としても余り馴染みがない。 今回はこのエリアから東西に横切る中央線沿線のちょっと開けた感じのする水道橋、御茶ノ水方面を歩くことにした。 出発点は一度行ってみたかった「駒込」にある「六義園(りくぎえん)」である。 三菱の創始者あの岩崎彌太郎の子孫が東京に寄付したとされる東京有数の庭園で、もともとは江戸時代の大名屋敷である。 持ち主はあの有名な柳沢吉保、五代将軍綱吉の側近である。 園の名前からして、義を重んじる名将の名前が六人出てくると思いきや、漢詩や和歌の世界での種別分けのようである。 歌を詠みたくなるような風景をちりばめた庭園と言うことである。 ここで一句。 「街のひびき彌太郎の志よ庭の涼」 江戸時代は江戸城の外堀の外側は原野だったらしく、その原野を拓いて広大な庭園を造ったとのこと。 現在では街の様々な音が遠くに聞こえながらも風景だけはアンバランスに落ち着いた気分になり、池と木々の多い庭は真夏でも涼しい気分になった。 季節の花が咲くことでも有名な庭園らしいが、アジサイは終わり、ハギには間がある、そんな季節の訪問であっても、”涼”な景色だけで十分楽しめた。
予定では小石川植物園、小石川後楽園、東京ドームから神田川沿いを歩きながら、御茶ノ水駅に到着するというルート、初回「東京を歩く!」で非常に疲れたことの教訓を生かして、6キロ程度の行程を想定していたが、どうしても「彌太郎の志」が引き継がれている「旧岩崎邸庭園」に行きたくなり、急遽予定変更し、わざわざ遠回りすることにした。 明治維新の話は歴史小説などですでに有名で、どこまでが史実なのかがよくわからないところもあるが、私の知っている彌太郎は、土佐藩のチョー下級武士で坂本龍馬の子分状態で長崎で海運に出会い、政府の払下げの船を使って、一大財閥に上り詰めた人であり、結果としては史実に直結しているように思える。 三菱財閥の初代社長は彌太郎、二代目は弟の彌之助、三代目は息子の久彌、四代目は彌之助の息子の小彌太。 この四代目の時に終戦となり財閥解体で岩崎家最後の社長となっている。
彌太郎は、明治初期に荒廃していた旧大名屋敷を購入、修復に取り掛かり、二代目、三代目の時に完了し、彌太郎の思いを繋いで東京に寄付している。 それが六義園であり、旧岩崎邸庭園である。 東京都には都立の庭園が9園現存するが、その中の6園が旧大名屋敷、3園は明治以降の庭園である。 またその9園の中に岩崎家が所有していた庭園は、他にも清澄庭園、殿ヶ谷戸庭園などがある。 大きく脱線してしまったが、財閥と言うと印象が悪いのだが、「彌太郎の志」を感じながら歩くことにした。 それから、都立の9庭園はまたの機会に訪問することとしたい。 新たな宿題が残ってしまったが、今日も東京を歩くことにする。 現在地、「六義園」に隣接した住宅街である。

免許返納すると、荷物を持ってのお出かけはおっくうになるのかなー(´;ω;`)
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