昨年は9月に入ってから「武士道の潔さ」の目線から、78回目の終戦記念日を記事にしていたが、原爆のことを記事にしたことがなかった。 長崎県生まれの私としては、原爆とはつながりが強く、思いを記事にする必要があると思っていた。 そもそも私は長崎県の離れ小島の出身で、長崎市からは直線距離にして約40kmのところにある。 そんな田舎の離れ小島は、戦争など関係なさそうにも見えるが、炭鉱があったせいか当時は空襲を目の当たりにしていたようだ。 長崎の原爆投下は8月9日11時2分、長崎中心部よりJR一駅の地点。 私の両親はともにまだ10代だったようであるが、母親はリアス式海岸の島の小高い丘のまさに猫の額程度の畑にいたそうで、キノコ雲を目撃したようである。 父親は恐ろしいことに広島の学校に居たらしい。 こちらは8月6日8時15分、直線距離で約20km、地響きでクラス全員で窓の外のキノコ雲を目撃したらしい。 両親ともに違う場所で二つの原爆のキノコ雲を目撃していたという偶然である。 小学校の修学旅行は、長崎市から雲仙という省エネ旅行だったが、何泊したのか、どこを観光したかはほとんど記憶にない。 しかし、写真も残っているように平和公園と道を挟んでの原爆資料館は確かに訪問した。 正直に言う! 不遜な言い方かもしれないが、気持ちが悪かった。 想像の域をはるかに超えている資料と説明だったからである。 子供心にはインパクトが強すぎたようだ。
今年で79年ということである。 今年の原爆の日は奇妙なニュースが流れた。 広島市と長崎市での見解の違い。 中東ガザ地区に一方的に、しかも国連の制止を無視して攻撃を続けるイスラエルの式典への参加問題で、広島はイスラエルを招待し、長崎は招待しなかったこと、そのため、欧米諸国も長崎には出席しないという事態だったらしい。 ちょうど開催中であったオリンピックの報道にかき消されて、少なくとも私の中ではインパクトは小さかった。 そのオリンピックもそうである。 ロシアの参加は認めず、イスラエルの参加は認めている。 スポーツに国境はないとか、政治を持ち込まないとか、青臭い理想論を振りかざす気持ちもなく、民主主義と覇権主義とか、保守と革新とかの政治思想的な話でもないのだが、起きている現象に対して素直に判断ができるようにはならないものだろうか。 ダブルスタンダードで非常に解りにくい。 ロシアのオリンピック参加を考えると、国際ルールを破っての一方的なロシアの侵攻は、スポーツであってもウクライナの選手からすると純粋にフェアプレイの戦いをすることは難しく、参加を認めないのは理屈が通る。 とすると、イスラエルに対して、難民選手団として参加しているパレスチナの選手からしても同様である。
原爆の話に戻す。 今だからこそ唯一の被爆国という立場で、平和を原爆不使用を訴えている日本ですらも、原爆開発を進めていたようで逆の立場はあり得た。 その場合はもっと悲惨な結末だった気がするが…。 終戦後はいち早く米国とソ連は核保有国となったが、その後、二度と世界大戦の様な戦争は起こさないと誓ったはずの国連の安保理常任理事国は、世界大戦の戦勝国であり、その後も安保理常任理事国で在りながら、核実験を繰り返し、米ソ英仏中が核保有国となるのである。 その上で、核拡散防止条約なる条約を結び、自分たち以外の核保有を認めないという理屈である。 そもそも、核兵器を持たないと戦争を有利に進められないと思った張本人たちである。 その後は、ルールを守った国は非保有国、ルールを破った国は認められずとも保有を宣言する。 ただ、現にその脅しは怖いわけである。 核拡散防止条約なるものは、1968年に国連で採択された国際条約で、大きくは三点、核不拡散(五か国だけが核保有国)、核軍縮(核保有国には交渉の義務)、原子力の平和利用、である。 つまりは、五か国にとって都合の良い核不拡散だけを振りかざし(それすらも破られているが…)、核軍縮は実行されないというザル状態である。
最近よく話題に上っている「核兵器禁止条約」なるものがある。 唯一の被爆国である日本が批准しないのはいかがなものか…というもの。 米国の核の傘下にいる日本だから…、保有国と非保有国の橋渡し…、などが政府見解となっている。 理屈が苦しい! 唯一の被爆国は世界に何が訴えられるか?と考えると、戦前は自分も持ちたいと思っていたのだから、高い理想論では話ができない。 唯一の被爆国にできることは、核兵器の恐ろしさ、被害の悲惨さを訴え続けることと、それを使用した国の非道さを主張することである。 「核拡散防止条約」が今や”ザル”条約である以上、「核兵器禁止条約」に批准しリーダー格として推進することは日本の役目であろうと思う。 米国の核の傘下にあるがゆえに、「核兵器禁止」を叫ばないのは悲しい。 戦後、核兵器どころか、軍隊も持たず、飛行機製造ですらも許されない状態で、米国の言いなりでかつ米国寄りの姿勢を貫いてきた日本の戦後の歴史を眺めていると、もし「核兵器禁止」を叫ぶ日本に対して、「米国の核の傘下」から外すとなることを恐れるのは、臆病すぎはしないだろうか。 主義は主義、政治は政治、ダブルスタンダードにならない、国や世界を支える”生活者”に解り易いルールになることを願う。 ただ、誰がそれをできるのか? お金を多く出している人でもなく、強い軍隊を持っている人でもなく、巧みな言葉で多くの賛同を得る人でもなく…。 人間として正しい?判断をする人なのだ! 隣町の阿見町に「予科練平和記念館」がある。 訪れた日は、駐車場はいつもと違い満車であった。 「予科練」よく聞くが、正式名称は「海軍飛行予科練習生」で、今で言う中学高校生を全国から選抜し、この地で飛行技術の習得を目指した。 パンフレットには志願、英語訳では”volunteer”となっている! 通常大人500円のところ、終戦記念日の本日は無料、年配者だけでなく、多くの若者や子供たちも来場していた。 練習生の実生活や遺品を展示しているのであるが、私の目を引いたのは、終戦後の予科練生たち、”昭和の少年たち”が戦後の復興に貢献したという記述。 確かに彼らも”昭和の少年たち”であり、私も”昭和の少年たち”であった。 この日には各地で様々なイベントが行われている。 本日この記念館を訪れた我々生活者は、何を感じ、何を正しいと判断するのだろうか?


戦争は嫌だ、起こってもたたかいたくない・・・っていう人いっぱいいる。国を守るということは、領地と、独立性を守ることっていう理屈も、持たず、戦争は自衛隊と、アメリカに・・・っていう人もいる。あかんよね~
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