「えきねっと」の戸惑い

 以前はプライベートでも、ビジネスでも、出張または旅行する機会は頻繁にあった。
 よって、乗り物に乗る機会も多く、見慣れた風景や初めての風景、少し離れた友人知人との再会も、その気にさえなれば作ることができていた。 それになにより、乗り物での移動、いつもと違うホテルや旅館での宿泊、食事など、スーツと革靴であったとしても、旅行気分が味合えるものであり、なんとなくワクワクした。 ところが、殻の外の年金生活者になるとちょっと事情が変わってくる。 殻の外の住人でも旅行は行かないわけではない。 しかし、自分で在りながら会社に提供している仕事時間と会社のお金(経費)を使わせてもらっていたこれまでのケースと違い、今となっては、自分の時間とお金を使っての一大イベントであり、目的に見合う意義や収穫物を代償として求めている自分がいるのである。 なんとなく気軽さがないのである。 私は年金生活者とは言え、自分の経験で貢献できることがあり、フルタイムでない条件であれば一生現役もあり、と思ってはいるが、なかなか以前の様な機会には恵まれない。 今回、仕事のお手伝いで、以前単身赴任をしていた京都を訪れることになった。 会社経費である! なんとなくワクワク、気軽なのである。 

今後このような機会がどれくらいあるかわからない、などと考えていると、やり残しは作るまいと、好奇心が湧いてくる。 まずは「えきねっと」。 JR東日本が運営する旅行サイトの様なもので、JRの割引切符、提携宿泊先やレンタカーの手配、JREポイントがたまる制度も付いており、JR中心とは言え、IT系の旅行予約サイトとほぼ同様のサービスが提供されている。 今回は、「えきねっと」の登録に、スイカとJREポイントの紐づけを行い、在来線と新幹線の予約を行った。 大変便利に実行できた。 当然”チケットレス”乗車を選択したのであるが、何か腑に落ちない。 説明には乗車前までに指定席券売機で発券しなければならず、発券可能な場所があるようである。 ”チケットレス”なのに発券? まあ、東京駅であればどの発券機でも問題なかろうと思いつつ当日に…。 土浦~東京間の特急指定席。 これは”チケットレス”であった。 乗車時に、指定した座席の上のランプが緑になっており、以前の様に車掌が乗客一人一人の特急券をチェックする工程は省かれていた。 ランプが赤の席の客及び立客のみのチェックである。 東京駅では、余り時間の余裕がなかったのだが、在来線からの乗り換え新幹線改札口近くの指定席券売機で発券を試みたが、受付できない。 付近にある券売機数か所を走り回ってやっと「発券」できた。 やっぱり、”チケットレス”なのに発券?なのだ。 後日調べてみると、購入時のクレジットカード、予約番号、QRコードなどを使って、新幹線指定席を発券できるのは、JR東日本の指定席券売機(見た目では区別できず…)であったらしい。 また、私の場合は土浦駅で発券するのが正解だったらしい。 土浦~東京間の乗車がスイカ使用だったため、余分な手続きが必要となった。 それから、スマホでのタッチアンドゴー的な新幹線改札通過は、自由席のみ可能なようである。 これがまったく正しいのかどうかはいまだに不明ではあるが、一応納得。 発券後はこれまで通り乗車券と新幹線指定席券が付きまとうことになった。

仕事は想定よりも1時間ほど早く終了した。 京都見物も楽しかろうとも思ったが、真夏の40℃近い気温。 前倒しして涼しい車内でビールでも…。 不安が走る。 発券がJR東日本であり、管轄外の京都駅で指定席変更ができるか否か。 幸運にも1時間の前倒し難なく完了! 東京駅には1時間早く戻った。 最後の常磐線特急は、品川、東京始発もあるのだが、なぜか指定席が上野~土浦になっており、まずは上野まで移動した。 上野駅では先程同様にみどりの窓口で前倒しの指定席券への変更を試みたが、不幸にもどれも満席らしい。 常磐線恐るべし! 残念ながら上野駅付近で1時間の暇つぶしが必要となってしまった。 駅ナカの飲み屋! 現役時代には同僚と最後の一杯などと言って利用したことはあったが、一人で利用したことはほとんどなく、最近以前より充実している感じがして誘惑にかられた。 

一人席、生中とつまみ一皿、財布の中の野口英世札(この表現もそろそろお別れと思いながら…)が十円玉数枚に代わる程度で実現した。 飲食付きとは言え、時間つぶしであることには変わりなく、最初はちょっと退屈であったが、失礼とは思いながら、周りの客の観察と聞こえてくる会話で十分楽しめた。 隣の席のおそらく30代後半の夫婦またはカップルの会話は男性女性で8対2の占有率。 ほとんどの会話は、知ったかぶり的に様々な話題を持ち出しては持論を展開する男性と、本当に知らないか知らないフリかは不明だが、相槌ちを打ちながら油をさすことを楽しんでいる様に見える女性。 自分の数十年前を見ているようでちょっと恥ずかしくなる。 その向こうには、私よりも少し若いくらいの年配の男性と多分20代の女性のカップル。 親子か会社の上下関係か、それとも年の離れたカップルか、など大きなお世話な想像をしてしまう。 先日、娘とふたりで北千住で食事をしたが、そのときも誰かがこのように見ていたとしたらどう見られたのだろうか? 確かあの時支払いは娘だったような…。 ますます想像が膨らみそうである。 OLらしき女性3人組。 会話が聞こえそうで聞こえない。 気になる。 男性2人組の会話は気にも止めず聞きたくもないのに、無駄に声がでかい。 いらぬ観察をしながら、野口英世一枚で時間はあっという間であった。 実体験のあるものはそれから発展し思いを巡らすことができるが、実体験にないものは残念ながら思いが巡らない。 要するに、実体験が多い人はいろんなことを想像でき、生活に彩りがあるのかもしれない。 最近はそうでもないようだが、我々の若いときは、様々な経験を積むよりも一つのことを全うすること、「◯◯一筋」を良しとしたような気がする。 ただ、「◯◯一筋」の先にも実体験の要素はたくさんあるとすれば、どれも立派な人生と言うことか? 今回は「えきねっと」という新たな実体験を積むことができ、たぶんこれも生活の彩りにつながるのだろうと思えば、今後出てくるであろう「戸惑い」や「慌て」も新たな実体験で、楽しいことと思えるかもしれない。



コメント

  1. 匿名8/13/2024

    老人と若いお嬢さんがカップルに見えたなら、パパ活やろな~(笑) 昼間の大阪市内、11時前後に、輸入女性と自営業の爺の組み合わせをよく見かけますよ(^^♪

    返信削除

コメントを投稿