私が島育ちであること、しかも半島と言う陸の孤島に隣接していたことが影響しているかもしれないが、日本地図を見ているとどうしても半島が印象的な県が目に付く。 県自体が半島というイメージが強いのが、千葉県、石川県。 県の中のアクセントとして一つせり出しているのが、宮城県、愛媛県、静岡県。 大分県、秋田県、神奈川県なども同様かもしれないが、私の定義としては陸の孤島的な意味合いからは少し外れる。 複数の半島とそれらが作る海岸線や湾の地形が印象的な県は、青森県、愛知県、長崎県、鹿児島県である。 このような県を訪れると、どうしても岬巡りをしたくなってしまう。 以前、青森の記事をエピソードとしてまとめた。 今回、鹿児島県の記事をまとめることができるのは幸運である。 鹿児島県には、薩摩半島と大隅半島があり、薩摩半島の枕崎は台風の通り道として、よく名前を聞いていたが、調べてみると、枕崎と言う岬は存在せず長崎鼻。 大隅半島側は佐多岬で、これは愛媛県にある半島の先端の佐田岬と字ずらも読みも似ている。 さたみさき(佐多岬)、さだみさき(佐田岬)らしい。 それから、霧島、桜島に代表される火山帯が南北に走っている。 そのまま南西諸島につながり、プレートが沈み込む海溝と平行して火山帯があるようである。 以前放送されたブラタモリでは、薩摩半島の東側先端指宿辺りと大隅半島の先端近くの西海岸線は、大きな火山のカルデラと紹介されている。 カルデラで有名な阿蘇に匹敵? いやそれ以上である。 言われてみれば、錦江湾は微妙にカルデラの円を幾つかコンパスで描いて、そこに海水が流れ込んだ気がする。 しかし、今回は両方の岬を制覇することは諦めた。 鹿児島はそれ以外にも私の興味を引くものが多い。
まずは、例によってアルコール製造である。 これまでも、ビール、日本酒と記事にしてきたが、鹿児島と言えば芋焼酎である。 芋焼酎の原料となるのはサツマイモであるが、鹿児島県は至る所で火山の影響を受け、火山灰というか噴火物というか、痩せた、水はけのよすぎる土壌は稲作には向かず、昔からサツマイモが主食だったようである。 私の飲酒歴初期には、芋焼酎と言えば「さつま白波」しかなく、安いが匂いが強く、どちらかと言うと麦やコメの焼酎を好んだ気がするが、鹿児島県には(宮崎県南部や南西諸島も)多くの焼酎の蔵元があり、焼酎ブームに乗って一大観光産業となっている。 焼酎製造の流れは簡単に言うと、デンプンを糖に変え、糖をアルコールに変え、そのまま飲むかアルコール成分を抽出するかである。 よって、デンプン質の食べ物は何でもアルコールにでき、元から糖を含む果実などは最初の工程が省略できることになる。 デンプンを糖に変える工程は麹菌、糖をアルコールに変える工程は酵母菌、どちらも微生物の力を借りる。 芋焼酎製造では、まずはデンプン濃度の高いコメに植え付けた麹菌、こだわりの水、酵母菌を混合。 温度、湿度、微生物の管理を徹底して培養する。 この時点でもアルコールは発生するのだがここでは、微生物培養液の生成とでも呼ぼう。 酒母(しゅぼ)と言うらしい。 ここまでは日本酒やビールの工程とほぼ同じ。 ただ、焼酎製造では、麹菌の種類として白麹、黒麹、黄麹があり、製品の特長を分ける。 次の工程が原料のサツマイモの登場。 微生物培養液にサツマイモと水を投入し、麹菌、酵母菌のそれぞれの役割でデンプンをアルコールに変えていく。 約8日間で完了。 この状態なら醸造酒だが、醸造においては微生物が液体に残ると製品化後も反応が進むため、ろ過とか加熱の工程で微生物を取り除く。 焼酎は蒸留と言う工程で、蒸気により気化させ、その気体を冷却してアルコールを抽出する。 小学生の頃は蒸留では不純物のない水が抽出できると習ったが、もともと気体の香や匂い成分や、沸点の低い成分はアルコールと共に抽出されてしまう。 微生物活動停止の後処理は不要だが、”寝かせる”という保存工程で味を整える。 この工程が”強い匂い”を進化させたのか? 見学だけでは未解決! その保存容器(樽やカメ)の材質によっても美味さが変わる。 おさらいする。 麹菌の種類、水のこだわり、原料の種類、”寝かせ方”、それからそれを管理する人によって味が大きく変わるということである。 にわか学習の私は、白麹、白いも、木樽が一押しである。
私のもう一つの興味は薩摩藩である。 好きか嫌いかと言うと…、私の中では外国の力を借りて、ときの日本政府を倒し、富国強兵で戦争に突き進み、現在のこの国のあり様の基となる思想を植え付けた藩である。 武士道と潔さが思い浮かぶ。 私の中では、若い下級武士たちの行動力と、その頃藩を率いた、国の姿にも言及できた立場だったはずの「殿様」の判断力や自己統治力など今で言うマネジメント能力の関係が腹落ちしない。 下級武士たちは行動力はあっても、マネジメント能力は低かったはずであり、生涯「殿様」を尊敬し理想としたはずである。 その結果、必要以上の”武士道”の様な気がしている。 そんなことを思いながらも、その生い立ちとなった史跡を肌で感じることはうれしい。 まずは、「殿様」である島津藩の別邸「仙巌園」、整備された庭から見る錦江湾と桜島は雄大であり、今私はここから国の将来を考えていた「殿様」と同じ景色を見ているのである。 敷地内に、鉄を溶かして形作る鋳造のための反射炉を作り国力を高めようとしたこと、その対比も印象的である。 薩摩藩の居城、通称鶴丸城は今は黎明館と言う資料館、その裏山は、下級武士を率いた西郷隆盛が最後に立てこもった城山である。 小高い丘なのだが、急斜面で攻守ともに大変な戦いだったろうと想像する。 倒幕と言う行動力発揮の後、継続と言うマネジメント能力を要した場面、さぞ無念だったに違いない。 ここで一句、「静かなる朝城山で流す汗」。 島津斉彬、島津久光、島津忠義、小松帯刀、西郷隆盛、天璋院篤姫など多くの像を見ながら、繁華街の天文館周辺にたどり着く。 明治維新後一番活躍したはずの大久保利通像は中心部周辺にはなく、ちょっと離れた生家近くの川沿いにひっそりと立っている。 薩摩の誇りは明治維新前後で微妙に変わるのかも…、または私のうがった見方かも…。
この地で目にした新たな情報で、腹落ちしていなかった明治維新のことを、また自分なりの屁理屈で考えてみたいと思った。 夜は鹿児島名物のきびなごの刺身、つけあげ(さつま揚げ)、がね(サツマイモと野菜のかき揚げ)に、お湯を先に入れた容器に多めの芋焼酎で楽しんだ。 下級武士たちは気高いお城を見上げながら、九州人からしても通じない独特のイントネーションの薩摩弁で議論を戦わせながら変革の源泉…、焼酎製造工程に例えれば、長州が酵母菌で薩摩はサツマイモの役割、芋はデンプン効率が悪くそれに独特の匂い…、想像していたら酒が進んだ。 九州西回りの鹿児島本線と東回りの日豊本線の終着は鹿児島駅だったのだが、当時から鹿児島本線の特急・急行などの終着は西鹿児島駅であった。 九州新幹線の開業前の2004年頃、西鹿児島駅は鹿児島中央駅に名称変更となり、鹿児島市の交通の拠点も変遷する…。


芋焼酎を好むようになったのは、50歳を過ぎてからだったように記憶しています。白波のにおいが和らぎ、芋特有の香りと化していたことを覚えています。これは、鹿児島大学農学部のおかげだそうで、なんと焼酎発酵・微生物科学コースには、焼酎製造学、醸造微生物学、応用分子微生物学 三つの研究室があり、彼らのおかげであの耐え難いにおいがなくなったそうですよ。!(^^)!
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