茨城に引っ越してからは東京へ向かうときは、出張かイベントでどちらも目的地に一目散で用事が済むと飲食店経由かまっすぐ帰路に着く。 もしくは旅行の経由地としてである。 どのケースも東京中心部は電車網が発達していて、1キロ程度ですらも歩くことはない。 そんな東京を歩くというのが、今回のテーマである。 特に私としてはターミナル駅的様相が強い、上野駅から東京駅間を回り道。 まずは上野。 JRの内回りで上野駅に到着する電車の左手に見えるのが、上野恩賜公園である。 私の経験としては、駅周辺は最終電車に乗り遅れた後の宿探しか、ごく稀に非日常的に知人と会うときに使う程度で、どちらにしても恩賜公園とは反対側であり、時間も目的もなしに、上野恩賜公園を訪れたことはない。 何と言っても有名な「上野の西郷さんの銅像」から始まり、坂を登ると彰義隊の慰霊碑、びっくりするくらいに美術館、博物館、図書館が並んでいる。 パンダで有名な上野動物園、上野にも家康を祀る東照宮がある。 広大な敷地であり、上野の山と言われるように小高い丘である。 丘から見下ろすところに不忍池がある。 歩いた後で文章を書くために調べてみると、この辺り一帯が徳川将軍家の菩提寺「寛永寺」であったらしく、考えてみると公園内の至る所にお寺の名残がある。 彰義隊と明治政府軍との衝突で全焼。 徳川時代の終わり明治時代の始まりがここに有るのである。
上野からスカイツリーを目指して歩いてみる。 約30分で浅草のシンボル雷門に到着する。 途中、あの有名な「かっぱ橋商店街」を横目に見ながら歩いた。 平日だったからだろうか? ある一角を除くと、ニュースで報道されるほどの観光客、特に外国人の姿は少なかった。 それが雷門を中心とした数ブロックである。 歩いて感じたのは、手っ取り早い日本体験ができることだろうか。 ちなみにちょっとがっかりするのが、「あさくさでら」ではなく、「せんそうじ」と呼ぶ由来。 不思議に思っていたのだが…。 中国から伝来した仏教の施設は「音読み」ということだけのようである。 では「きよみずでら」は「せいすいじ」などと考えても意味がないのだが…。 浅草で思い浮かぶのは、当時日本一の高さを誇った「凌雲閣」。 建物自体は展望台であった。 「浅草花やしき」と呼ばれる遊園地と新設つくばエキスプレスの浅草駅のちょうど間に立っていたようである。 その辺りは「浅草六区」と呼ばれる当時の歓楽街で、劇場、花街、遊園地など明治から昭和にかけて賑わったようである。 もう少し北に歩くとこれも有名な「吉原」につながるのだが、この辺り一帯は関東大震災で破壊もしくは焼失した。 「凌雲閣」の半壊した写真は象徴的である。 その後復興するも、東京大空襲では改めて焼け野原になるのである。
当時日本一高い建物があった場所から隅田川を渡るとスカイツリーがある。 あまりの大きさにすぐ到着すると思いきや、20分も歩いていた。 やっと到着し、エスカレータで四階まで上がると展望入口となる。 大人3100円也。 この歳になるとますます高い所、ゴルフ練習場の二階打席ですらも腰が引けるところ、好き好んで地上634メートル(ムサシ)まではお金をもらっても登らないだろうと思いつつ、四階建てのソラマチというショッピングモールを通って出口に向かった。 三角形を基本とした三本足は、見た目の圧迫感や風の影響も最小限にする設計であること、心柱と三本のかなえ柱(かなえ柱にも三角形が巧みに組み合わせられている)からなるなどの説明文を読んだ後、南下することにした。 目指すは錦糸町、徒歩約20分。 この間は名所はなかったが開発の進んだ下町を歩く。 錦糸町はなんとなく下町の盛り場的な夜の街である。 ここから秋葉原まで約4キロ歩く予定だったが、すでに1時間超歩き体力の限界近し! JRでは錦糸町から両国(現国技館)、浅草橋(以前の蔵前国技館)と、相撲に縁のある駅を過ぎると秋葉原である。 秋葉原の人気は、電気部品、電気製品、パソコン、ゲーム、メイドカフェと変遷するのであるが、一貫してオタク系の街である。 「パソコン」までは私もその渦中にいて…、私もオタクの仲間ということか?と思いつつ…。 もとは鉄道貨物と水運の拠点であったらしく、戦後の闇市から現在に向かい動き始める。 上野から素直に東京に向かうと、アメ横を抜けて秋葉原、神田となるJRの駅の通りである。
上野駅同様で、東京駅も乗り換えと待ち合わせの飲食以外は余り馴染みがない。 皇居見物に行ったのも「殻の外」の暮らしが始まった後である。 東京駅から国会議事堂までは3キロ弱である。 国会議事堂前は警備が重々しく、写真を撮るだけでも職務尋問されそうな張り詰めた空気であるが、私には議事堂前に興味を引くスポットがある。 まず、この辺りの緑地が、井伊家の屋敷跡であり、皇居(江戸城)を左に見ながら坂を降りお堀端を数百メートル歩くと、有名な「桜田門」である。 敷地内(井伊家とは無関係だが)には、三権分立の塔(三角形の塔の時計台)や日本水準原点などもある。 日本水準原点は、東京湾の平均水位から24.5メートルの場所を原点としているのだが、関東大震災と東日本大震災でそれぞれ、86ミリ、24ミリ地盤沈下したらしく、現在では24.39メートルに修正されている。 警視庁、皇居、皇居前広場、煉瓦作りの東京駅へと続く。
大学卒業後、地元の浜松市に就職していた私に、東京近郊に就職していた友人の一人は、会うたびに上京を勧めた。 私はもともとが九州の西の果て出身でもあり都会志向はなく、社交辞令の一環のような会話として受け止めていた。 結果的には、東京近郊からの東京都内への通勤を2年ほど経験した後、茨城県に住むことになり、東京経験は短命に終わった。 ただ、その勧めには、「殻の外」の世界でこんな一人歩きの体験も経て、たどり着きつつあるかもしれない。 人口が多い街、つまり東京は電車の中などの意識しない関係も含めると、日々膨大な個性と接触する。 その分、様々な生き方やもがきを知ることができる。 自分探しにもがき苦しんでいる人には、自分を見つけ出す最高の機会を得るわけである。 地方でありがちな人間関係の足かせもなく自由に…。 友人からは当時の私はもがいているように見えたのだろう。 もう一つ、実体験によってのみ自分に刻み込まれていくDNAが人間には必ずあると日頃から思っているのだが、”押し”のコンサートを観るときの気分で、自分の興味や憧れに対して、自分の五感で体感することで感動を得る。 地理的にも、歴史的にも、政治的にも、文化的にも、メディア的にも、この街を歩くことは、感動や満足感、時には優越感的な感情まで芽生える。 ただ、大勢の人々の集合体によって生み出されていることと、自分個人で生み出していることを、勘違いしがちである。 自分の中にも二つの東京がある。 偉大な東京! チャラい東京! 「徳川将軍家」、「明治新政府」、「関東大震災」、「東京大空襲」、この街に影響を与える次の漢字五文字は何なのだろうか?

面白いエッセイになってる。これシリーズ化してもいいね
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