信憑性? 即時性?

トランプ元大統領から始まったような気がしているが、自分に都合の悪いニュースはフェイクニュースという。 当時は、地球温暖化と二酸化炭素排出量の関係を、彼はフェイクニュースと主張していたが、「もしトラ…」が実現したら、今でもフェイクと言えるのだろうか。 新聞や本のような出版物は、記事の文章や信憑性を何人もの人が目を通した上で公開されてきたが、今では記事を書きたい人が、文字を打ち込んで、文章や信憑性の確認もないままに発信することができ、しかもその情報は即座に場所と時間の壁を越えて、世界中に流れていく。 マスコミの価値は、信憑性なのか? 即時性なのか? 取材する側はその両方を追うと、情報源が集中し、どのメディアも同じ情報を同じ写真とともに同じ時間に流すことになる。 そんなことを考えながら、自分が多少なりとも知っている業界の話を例にしてみると…。

最近、半導体のニュースが増えている。 熊本や北海道に新たな半導体の工場ができるとかで、電子立国ニッポンの半導体産業復活のような勢いのある内容が多い。 同じ説明の中で、半導体業界のトップランナーが台湾と韓国で、米国ですらも後れを取り、日本は遅れはしているが復活の兆しということ。 私の中では半導体の進化は、回路の微細化と光のハンドリングの進化であり、最先端の光の波は、つまり光の波の強さとその波を透過させる材料の開発など多大な努力の賜物で、紫外線(可視光線紫の外側で、正確には”超”紫外線らしい)であり、韓国、台湾、米国など数カ国が到達している。 よってその差は同じテクノロジーであり微差、また微細化の表現方法の違いもあるようである。 日本は数十年前から”超”紫外線の取り組みをチャレンジしながら、先細りしてしまった可視光線世代で、テクノロジー自体が周回遅れで、同じ車でもエンジン車とモーターぐらいの別物である。 追いつくためにはエンジニアの育成と経験からであり先は長~い。 
話は変わるが、「2024年問題」も同様である。 医療、建築、運送業界の2024年問題が大きく報道されているが、「働き方改革関連法」が施行されたのは2019年で、まずは大企業から実施、翌年には中小企業となるわけで、その流れで当時から最も業界的に難しいとされていた医療、建築、運送業界が最後まで残っていたのである。 よって、今に始まった話のように報道しているが、五年前からの決まった路線であり、準備を進める必要があったにも関わらず、改善が進まぬままに当年を迎えてしまったということである。 その意味で、私の違和感も今頃になって?と思うのである。 

半導体業界の友人と話をしていると、マスコミの担当者が内容を理解するだけでも数年かかり、やっと理解できて来た頃には職場替えになり、新たな担当者にもゼロから始めなければならず、話が本質、深くなりにくいとのこと。 組織や仕組みが、要求される即時性についていけていないような印象を受ける。 組織や仕組みの話になると、工場人としては気になることがある。 大手やJRなどで、昔なら起きてないだろう事故が増えてきたような気がする。 最近ちょっと耳にすることが減ってきた技術伝承の問題、すなわち団塊の世代の職人的技術者の方々が、技術伝承が行き届かぬままに現場を去り、残された技術者はコンピュータ時代で、自分の体の機能に十分体験させずにタスクが実行されているのではなかろうか? 単純な例だが、工場敷地内の道路の横断で、工場勤務当初20年ほど前は「異常なし」と指差し確認する先輩を見かけたが、最近では大きな工場でも見かけなくなった。 もう一つ、先程の「2024年問題」に戻ると、役所の対応自体が、手軽に資料ができ配信できるようになったことで、実施させ完結させるという確認と評価の活動が重要視されていないのではないか?

話はもう少しだけ飛躍する。 これは”即時性”とは関係のない違和感であるのだが…。 例えば、最近のニュースの自民党の裏金問題。 もう半年近く報道されているが、実態が見えてこず、何やら日本の最高責任者である総理大臣よりも上位の黒幕の存在。 国会などでも理屈の通らない答弁が続くのはそのせいでは? 原発事故も当初は津波で破損した部品の話があったが、すぐに報道されなくなったり…。 冷静に考えると理屈の通らない不可解なニュースの裏には、報道されない裏側がありそうな気がする。 過去にも、米軍基地の核兵器持ち込みや沖縄返還など、当時は真実の報道はないままに…。 太平洋戦争も…。 明治維新も…。 マスコミ情報が均一化されればされるほど、得られる情報に対して気持ちが悪い。

民主主義は、主権者である国民が正しい情報を得て、多くの国民が考えた判断によって成り立っている国の形である。 日本の個々人のレベルを支えてきた団塊の世代が社会の一線から離れ、コンピュータの容易さにより体で覚える機会が減少し、インターネットの”即時性”によって(意図的ではないかもしれないが)情報が均一化し、結果として、情報の質が落ち、信憑性が問われ、判断材料としては乏しくなっている。 また、そんな状況になっていながらも、組織や仕組みの変革が追いつかないのが現状のようである。 こういう文章をブログに掲載すること自体、その恩恵を受けながら、一線を離れた一人のシニアの好き勝手な遠吠え状態である。 遠吠えついでに言う。 米国のようにメディアが情報に自分たちの主張を載せて報道すること(選挙の時に報道機関がどちらかに偏る)、政府が時効になった機密情報を公開すること、は悪くはないのではなかろうか。 それにより、”即時性”よりも中身の濃い、均一化していない、体験ベースの、信憑性は問われるものの、真実を追求する、判断材料になりやすい情報が得られるのではないだろうか。 IT業界に長く身を置き、便利さの流れの中で対策は後回しだったと今更ながら振り返る。 今流行りのAIの利用をちょっと憂いながら…。 今は民主主義の原点でもあるマスコミの進化に期待して…。









コメント

  1. 匿名5/23/2024

    主にニュースソースとしてのマスコミのありようを見ると、記事を書くもののレベルにより、伝えることの真実性や、背景に関する情報の量が違っているように思います。最新技術に関する情報などは、最新の文献を読み込んでいる科学者とのたゆまぬコミュニケーションがないと、海外春のニュースの表紙を自分で推測したよう記事にしかなってないと思います。

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