天城越えも肩甲骨も…

 殻の外の生活で、これまでやりたくても時間の余裕がなくできなかったり、うまくやる理屈がわからなかったりで、満たされていなかった様々なことにチャレンジでき、そのことをこのブログで報告し、頭の整理をしてきたようでもあるが、今回は趣味の分野でそのことを書き残すことにする。 私の音楽活動は、弦楽器中心であるが欲目にもうまいとは言えず、パソコンを使っての自作自演自己満足の世界に切り替わってきている。 ずっと作詞が苦手だったこともあり、少ない言葉で的確な表現を目指す俳句を始めてみたりして、言葉を工夫しながら新しい歌を作ったり、記憶に残っている昔作った古い歌を掘り起こして楽譜に残したりしてきた。 掘り起こした古い歌の中には、当時は満足していたが曲や詩がくどかったり、幼稚だったりで、ちょっと恥ずかしさがあるのだが、それも受け入れながら”自作”のCD(15曲以上)にまとめてみたいと思い始めている。 パソコン音楽の場合は”自作”、自分で歌い演奏する場合は”自作自演”となるのだが…。 今回の掘り起こしたのは、失恋の歌のつもりで作っていたが内容が独りよがりで恥ずかしい! そもそも、作詞や文章のプロの方々は、自分の経験であれ、想像の世界であれ、ストーリーを作るのは自分の内面が現れることであり、そのことへの躊躇はないのだろうか。 私は躊躇しながらも、この歌を今も覚えているということで、記録に残して置こうと思った。 詩の独りよがりを大改造し、くどさをなくすために四拍子を三拍子に変えてみることにした。 三拍子の曲、つまり「ワルツ」のリズムは初挑戦となる。 頭から消えないのはビリー・ジョエル「ピアノマン」、吉田拓郎「青春の詩」。 例によって、ボーカロイドKENくんの歌声で表現してみる。 当時のメロディを極力生かした。 つなぎや伴奏の部分が、頭から消えない曲に似ているかもしれないが、確かにくどさは抑えられ、曲の進行が軽快になるような気がした。 流石はワルツである。 ブルース、転調、律音階、三拍子(ワルツ)と以前から挑戦したかった基本の学習は、とりあえず思いつくところはやってみた気がする。 あとは恥ずかしくない(たぶん体験に基づかない)失恋の歌…? 
先日、数少ないテレビの音楽番組の一つで、石川さゆりの「天城越え」を久々に聞き、改めて感動した。 
曲が後半に進むにつれて、歌詞もメロディも歌い方もボリュームも徐々に盛り上がっていき、「天城~~~越え~~♫」で絶頂になる。 すごい! コンピュータ音楽でもボーカロイドでもそんな表現はできるのかもしれないが、私の技量では難しい。 たぶん、お金と時間もかかるのだろう。 独学では無理なようである。 

ゴルフでは記事にするたびに、止まっているボールに体を向けて…など、自己流の屁理屈を繰り返してきたのだが、スコアには改善の兆しすら見えず低迷してきた。 改善のためのフォームいじりが改悪になっているのか、老化による体力の衰えか、または三年前に痛めた鎖骨の問題か、それらの複合的な問題かは定かではないが、これまでスコアを意識し、知らず知らずに同伴者との競争心、つまり「よ~し今度は…」と力み、同伴者のロングパットが入りそうになると、思わず心の中で「入るな!!」と叫ぶみたいな…メンタルから、想定内でコントロールすることが楽しいと思うようになってきた。 俗に言う”年寄りゴルフ”である! 年寄りだから仕方がないと開き直るしかない。 例えば、1ラウンドを100打で回る場合、どれくらい想定内ではない打数があるのかの割合を数えてみる(つまり失敗率)と3回1度(約33%)、1ラウンドで33回失敗する。 ”年寄りゴルフ”の想定は90打を目指しているので、33回の失敗が10打の打数増となるのである。 ゴルフは楽しいもので、想定以上によい一打になる時があったり、失敗の一打でもそれなりにグリーンに向かって前進はしていたりで、失敗数がすべて打数に反映するものでなく、この場合は約三分の一が打数増に影響するということである。 私としてはメイクセンスである。 この失敗率を20%にすると想定より6打、10%にすると想定より3打増えるのであるが、理屈は現実とは違う。 ただ、そう考えると、想定以上によい一打をたまに打つよりも、常に想定内でいることが望ましいと思う。 自分の骨格や筋肉を考えながら”なるべく同じ軌道で速くクラブを操る”ことである。 そのことを考えながら練習していると、プロや上級者がよく言う、長年無視し続けた言葉にたどり着く。 「ボールを打つのではなくボールの前で自分のスウィングをする」、「肩甲骨を意識してスウィングする」、「左の壁(右利きの場合)を作る」などなど。 クラブがボールに当たる前に左腰が動くと、体とボールとの距離が変わり正確さを欠き、振り遅れる結果となる。 バックスウィングで右肩を回転させるときにボールを見続けるためには、肩甲骨にストレスを感じることになる。 ボールに当たる前にこれらの準備をしながら、当たった後に適正にそのクラブの回転を終わらせなければ、当たる前の身体の状態に影響してしまう。 よって、全体のスウィングを意識する必要がある。 
私のゴルフ人生においては目からうろこである(ただ、見た目が変わっているかどうかは別問題であるが…)。 ただ、ゴルフの難しさはホールに近づくと、これらの練習ではうまくいかず、飛ばしすぎない方法を探す必要があり、一難去ってまた一難、こちらはゴルフセンスの問題の様でもある。 

友人と終活の話をすることも多くなっている。 そんな友人の一人から「ミニマリスト」という聞き慣れない言葉が出てきて、早速調べてみると「生活の質を維持・担保できる最低限の量を保有するライフスタイルを送る人」ということ。 コートを一つ買うと前のコートは処分する。 本はほとんど処分し図書館に通う。 まさに「ミニマリスト」で、終活の一環である。 そんな話を聞くと、自分のモノに関する終活は遅れているのだろうかと焦る。 私もそろそろ「ミニマリスト」を目指さなければならない。 私の生活の質の維持を考えるときに、「生活の質を維持・担保できる最低限の量を保有するライフスタイル」とは、服や食事、住む場所などの生きるための環境をまずイメージするが、私としてはそれらエンゲル係数にはカウントしない”心の質の維持・担保”こそが「生活の質」と位置付けてしまう。 私はいつまでも「天城越え~♫」とか、肩甲骨とか言いながら、身勝手は屁理屈をまとめて行くのだろう。 ただ、これまで徐々にではあるが、増加の一途をたどってきたゴルフクラブ、楽器、パソコン関連機器・ソフト、碁盤碁石なども、どこかのタイミングでは減少傾向に移行させなければならない。 今回の気づきも、数十年前に気づいていれば、もっと楽しい”心の質の維持・担保”ができたのだろうと思いつつも、遅すぎることはなかったと自分に言い聞かせる。 私の「ミニマリスト」計画! これもいつものように計画倒れを続けながら…、残念ながらその評価は私ではなく家族が行うのだろう、と思う。







コメント

  1. 匿名4/17/2024

    楽器を終活するのはいつになることやら・・・ ほーんと、迷うな― (´;ω;`)

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