茨城県に「かすみがうら市」という市がある。 平成の市町村大合併で、霞ヶ浦町と千代田町が合併してできた市である。 エクセルシートに住所を入力する際、住所欄の幅が広くなり困ってしまう。 ひらがなの市は住所欄が広くなりがちだが、茨城県には他にも「つくばみらい市」「ひたちなか市」などもある。 霞ヶ浦は日本第二位の広さの湖であるが、河川法上では利根川水系の河川として管理されており、たくさんの川が流れ込んでいる。 元となる”霞ヶ浦川”に流れ込んでいた主な河川は、石岡市付近の恋瀬川、土浦市付近の桜川であり、その二つの川の流れが湖として拡大して行く過程で小高い丘が陸地として残り、まるで半島のような陸の孤島を形成した。 町制施行して霞ヶ浦町になるまではまさに出島村であり、長崎の出島のように隔離されていたのだろう。 1987年に霞ヶ浦大橋が開通し、2005年に通行料が無料化され、太平洋岸や千葉方面への交通量が増えた。 出島解消である。 その無料化の年に「かすみがうら市」は誕生した。 農産物ではレンコン、梨、水産物ではワカサギなどが県内では有名であるが、目立った見どころはない。 その中でも今回取り上げたいのは、霞ヶ浦大橋のある半島の突端付近、歩崎公園(あゆみざき)とこのあたりの名物の帆引き船である。
帆引き船の図柄は土浦市のナンバープレートやマンホールにもなっているが、図柄的にはよくある日本の昔の船と変わらず、風力を使って航行するものである。 よって発明と言ってよいのかどうかは不明だが、かすみがうら市のホームページによれば、このあたりの出身の漁師経験者の発明とされている。 明治初期のことである。 漁法的には底引き網なのだろうが、ユニークな原理を考案したところが発明なのだろう。 船の前後方向に帆を固定し、側面から風を受けて船を横に流して進行させ、風上側に網を張って引っ張る仕組みである。 ユニークなところは、帆の高い部分と水面下の網の上端を結び、船べりと網の下端を結ぶことで、網の効果的な広がりを助け、船の航行も助ける構造のようである。 手綱の役割の縄で帆の上部の向きを変えると船の進む方向も調整でき、帆布を膨らませることで凧の原理と同じように、風力から進む力と浮き上がる力を生み出している。 とは言え、無風・強風の時には漁は取りやめとなったとのこと。 主にシラウオ、ワカサギ漁が行われたようである。 昭和後期にはこの名物の漁は行われなくなるが、その後は観光船として復活している。 7月から11月にかけて、周辺のかすみがうら市、土浦市、行方市(なめかた)で運行している。 今回は、桜に合わせて記事を作成したため、観光船や観光内容の掲載はできず、ホームページから引用した写真だけ掲載する。
歩崎公園付近は、観光地と言えば観光地で、かすみがうら市水族館、歴史資料館、サイクリングロード、花見スポットなどがある。 何かのついでであれば掘り出しものであるが、これらを見るための訪問は物足りないかもしれない。 私は近隣のゴルフ場でのプレイ前の訪問であった。 水族館は霞ヶ浦に生息する生きものの展示のようで、珍しいものは期待できないと思いつつ、9時開館と同時に訪問したが、平日だったこともあり開館中にもかかわらず受付が不在で入館できずに諦めた。 水族館脇の広場には帆引き船発祥の地の石碑があり、土手を登ると一面に広がる霞ヶ浦、サイクリングロードと成長過程の桜が咲き並んでいた。 歴史資料館までは車で数分。 突然、悠然としたお城が現れ、桜との調和はまるで本物の城の風景、ここが歴史資料館である。
4階建ての建物で1階に入るとやはり帆引き船の実物、大迫力である。 それ以外はご当地の貴重なものを集めた資料が展示されていて、お城にする意味があったかと思いつつ最上階(天守閣?)まで登ると、筑波山と霞ケ浦が雄大に広がり、主のいないお城ではあるが、ここにお城を立てた人の気持ちは通じた。 とりあえず同市内にある、戦国時代の宍倉城跡と戸崎城跡を統合したもの?と勝手に納得することにした。 宍倉城も戸崎城も、当時茨城南部で勢力を伸ばした小田氏の家臣が気づいた城で、宍倉は石岡側、戸崎は土浦側の霞ヶ浦を監視していたと思われ、霞ヶ浦は当時の要所であったことがうかがえる。 お城と桜の風景としては一見の価値はある。
霞ヶ浦に流れ込む桜川及び新川は、どちらも土浦市街地を流れる川で、桜の名所である。 川幅が違うため違った趣がある。 新川は川と桜の距離が近く、すべて一緒にしてコンパクトに撮影したくなるスポットである。 一方、桜川は川幅が広く、両岸には葦の茂みなどもある比較的大きな川(有名な土浦花火大会もこの河川敷で開催)であるが、その両側には数キロの桜並木が広がっていて、スマホ撮影ではスポットを探すのが難しい。 両方の川はすぐ上流で枝分かれしていて、土浦の名前からしても、以前紹介した土浦城「亀城」の由来からしても、市街地一帯は三角洲の様な湿地帯であったことは推測できる。 土浦の歴史は水との戦いであったようである。


霞ヶ浦 行ってみたくなるいい文章だね!(^^)!
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