信号待ちで前の車との間隔が車数台入るくらい空けて停車している車を多く見かける。 理由は人それぞれだろうが、スマホを見ていたり、普通に前を見ていたりであるが、周りのことは余り気にしていないような気がする。 それで「まったく、近頃の若いヤツは…」となる。 思わずそんな言葉が出そうになり、苦笑してしまうことはよくある。 私もいろんな「近頃の若いヤツは…」を言われて育った。 「すごいうれしい!ではなくて、すごくうれしい!」でしょう!」(中学のヒステリックな国語の先生談) 言葉も変遷するが当時の耳障りな流行だったようで、今で言う「ヤバい!」である。 家でも「ごはん粒が残っている!」 大学生になり長髪にしていた私に祖母から「ビートルズのごたる(=みたいな)」と言われたものである。 初期のビートルズは、まだそれほど長髪ではなかったのであるが、十分センセーショナルであったようで、当時のお年寄りの例えに使われるくらい有名だったのである。
ビートルズは実は1962年~70年のたった8年間の活動で、東京公演と同じ年の1966年が最後のコンサートだったようである。 小学生の私の東京公演の記憶では、おそらくライブではないので録画のテレビ放送で、スタンドマイクが不安定に動くのを直しながらの演奏、お姉さんたちが失神している映像が印象的だった。 ナショナルの白黒テレビのスピーカ部分に、ソニーのテープレコーダの有線の四角い卓上マイクをぶら下げて、物音を出すと兄に睨まれたのを覚えている。 彼らは、英国の労働者階級から、スーツに長髪という奇抜なルックスで、黒人音楽だったロックンロールを電気ギターで、当時ではあり得ない自作自演で若者の身近な思いを表現した。 例えば、「Help!」という大ヒット曲を直訳すると、「私が今よりもずっと若かった頃、私は誰の助けもいらなかった!」と日本人としても中学英語、驚くほど簡単な表現である。 ただ、彼らの行き過ぎた発言や行動は”シキタリ”社会や熱狂するファンたちの標的にされ、彼らの行動や音楽活動は制限されることになる。 その結果、コンサートなどアイドル的な活動は止め、メディアから姿を消し哲学者のような風貌になるのである。「Help!」からほんの数年後には、「彼女は長年一人ぼっちを生きてきた家をあとにする」と深い余韻を残す歌に変貌するのである。 私はそんなビートルズに憧れてはいないつもりだったが、音楽なり、社会打破なり、無意識に間接的にその流れに乗っていたようである。
直接間接に関わらず、ほとんどの若者たちにビートルズという波が押し寄せ、音楽的にも、ファッション的にも、思考的にも、また1960年代から今日まで、その流れは多岐にわたって長く続いているのである。 井上陽水やチューリップ財津和夫のように直接的なケースはわかり易いが、「ビートルズが教えてくれた♫」と歌う吉田拓郎も間接的につながっているのである(作詞は拓郎ではないが…)。 このような時間の流れを考える時、私はいつも考え込んでしまうのであるが…、ちょうど日本史と世界史の時系列のように、同時代、同時間帯に地球上で起こっている事を同時にイメージできず、もどかしく感じる。 これも一種の四次元の世界だろうか? 私がソフトボールを始めた頃ビートルズはデビューし、ホウキやモップでタイガーズの真似をしていた頃姿を消し(グループサウンズは彼らの真似をしたと思っていたがほぼ同時代)、私がサイモンとガーファンクル(1964~70年)のLPレコードを購入したのはメキシコ五輪の年で解散前である。 彼らは、プレスリーに憧れて音楽を始めている。 そのプレスリーの現役生活は1954~77年で、私の理解では大きく3つの期間、黎明期(1954~57年)、兵役・映画活動主体の低迷期(1958~70年)、派手な復活期(1970~77年)に分かれており、彼らが憧れたのは黎明期で、プレスリーが低迷している間にデビューし、頂点に立ち、解散した。 その解散の年にイメージチェンジしたプレスリーが復活するのである。 米国で40万人を集めたあの有名なウッドストックコンサートも同時代の1969年のことで、ビートルズにも出演依頼があったが辞退したらしい。
「近頃の若いヤツは…」からとんでもなく回り道をしてしまった。 「近頃の若いヤツは…」と評価する”若くない”私と同年代の人たちは、当時「近頃の若いヤツは…」と言われながら、髪を伸ばし、洗濯すると色移りするジーンズと呼ばれる”作業着”を、どんな時でも愛用して自分を主張したかのように生きてきた世代である。 そして、髪は薄くなったがいまだTシャツとジーンズを愛用しながら、車間距離を見つめ、悪いときにだけ「ヤバい」と言いながら、「近頃の若いヤツは…」と言いそうになっているのである。 考えてみると、「近頃の若いヤツは…」の中には二つの要素がある。 考え方には同調できるが方法が違うというやり方問題。 もう一つは、技術や文化の進化で、自分には理解できない根本的違いの諦め問題。 どちらにしても違いに対する自己主張であり、話の主人公になるべく、周りにブレーキを掛けているようである。 年配者らしくやり方の違いくらいは大目に見てあげ、進化を感じたら諦めずにチャレンジして、同じ土俵で会話ができるように努めることである。 その結果、「近頃の年寄りは…」と言わせること! それでこそ年輪の有効活用であり、ひょっとすると主人公復活になるのかもしれない。

近頃の若い奴は、大したもんだと思うことがあります。昔より既成概念にとらわれず、自己責任感が強い人が周りに多くいます。他責にする癖の若者は、枠外に沈んでいますね。2極化は、昔より剥がしくなっているように感じます。日本以外では、沈むと生きていけないんで、自己責任がしっかりした社会に向かっていると思うのですが、日本はどうなるかなー
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