回想3.11と「もしトラ…」

今年も3月11日がやってきた。 メディアでは13年前の東日本大震災の追悼が流れている。 もちろん東北地方ほどではなかったが、関東地方も被害を受け、私もそれなりに巻き込まれている。 13年前の3月11日は、東京で会議があり、外房の工場近くの赴任先アパートから、早朝の普通電車で東京へ。 午前中には会議を終え、昼食後雑用を済ませ、14時過ぎには帰り支度の雑談のひとときに地震発生。 いつもよりも激しい揺れで訓練さながらの屋外への避難、収まった気配のあと帰途についた。 しかし、近くのモノレールの駅でも少し歩いたところの京急線の駅でも運転見合わせ。 やむを得ず、途中タクシーを拾うつもりで大通りを東京駅方面に歩き始めた。 歩く人は疎ら。 今にして思うとこの辺りの宿泊場所は空いていたかもしれない。 タクシーは拾えないまま品川駅の近くでは人混みで渋滞するほど(すでに徒歩約4キロ、1時間)。 タクシーどころかすべての交通機関はごった返し。 携帯電話の回線はパンク状態だった上に公衆電話は長蛇の列。 家にも会社にも連絡が取れないまま、どんどん深みにハマっていく。 東京駅を過ぎると人は分かれ始めるが、すでに辺りは真っ暗(約10キロ、3時間)。 希望はタクシーまたは宿泊場所であったが見当たらず、余裕もなく…。 昼間は晴れていたが3月にしては寒い夜だった。 総武線の小岩駅到着。 革靴・スーツで歩き続けて、約24キロ、6時間以上経過していた。 駅前の銀行のATMが開いていて、20人ほどの人が暖を取っていた。 夜10時過ぎである。 銀行職員が暖かいお茶を配ってくれた。(地図で調べてみると、りそな銀行のようである。) そのATMコーナーで、警察に確保?され近くの小学校の体育館へ誘導される。 イワユル「帰宅難民」である。 薄いアルミ箔の貼られた毛布確か3枚、非常食とペットボトルを配られた。 学校職員の方か地域の人かはわからないが献身的であった。 一緒に誘導された人の中には、待遇に苦情をいう人あり、寝床の支度を自分でしない人あり。 この状態では眠れないと思いつつ気がつくと翌朝。 毛布を片付けて駅へ。 小岩駅で1時間ほど人混みの中にいると、総武線開通の知らせがあった。 改札やホームは人であふれていた。 私は外房に向かう下り電車であったが、点検済みとは言え一番電車は怖いので二番電車に乗り、総武本線佐倉駅まで到着。 佐倉駅でタクシーの列に並び、同方向の見知らぬ人と乗り合わせてやっとアパートに戻った。 部屋はさほどの被害はなく、多少食器や紙の散乱だけであった。 散々な一日であった。 幸か不幸か12日は土曜日であった。 工場に立寄り状況を確認した。 アパート同様停電断水、製品在庫が倒れた倉庫。 工場は月曜からの稼働困難と察知した。 茨城までの帰宅途中の道は破損箇所もあったが、なんとか通常の1時間遅れで、自宅にはたどり着くことができた。 家中の片付けは間に合っていなかった。 建物自体は壁紙の破れと、梁や板の微妙なズレが気になったが健気にも滞在可能状態(後日の住宅会社の査定は安全、地震保険は半壊扱い)であったが、残念ながら停電断水状態。 電気は数日で復旧したが、上下水道は約1週間後で、翌日から給水車に通い、近くのショッピングモールのトイレを多用した。 近くには屋根瓦が落ちた家も多く、それから半年程度ブルーシートの景色は続いた。 テレビでは、岩手・宮城の津波被害、福島原発の爆発。 衝撃的であった。

数年前に宮城県を訪問した。 福島県に入ると常磐高速自動車道にも線量計が設置されていた。 仙台南部では、高速道路の土手が津波の防波堤の役目を果たしたらしく、南北に通る高速道路の東側の民家の新築が目立ち、復興の姿が見えた。 しかし、福島原発関連は今も先が見えない。 デブリの取り出しは未経験の技術で大変なことは理解できるが、気になっているのは、処理水の放出と汚染土壌の貯蔵場所である。 被害にあった地域の復興を考えると、国民、いや地球人全体で協力し合うことはできないものかと思うが、考え方色々で難しい。 ただ、処理水放出にあたり、海に流す前に海水を汲んで薄めるというのは、何か腑に落ちない気がするのは私だけだろうか。

かつて民主党政権時代の「少なくとも県外」という沖縄での演説を思い出す。 米軍基地問題である。 国民全体で協力しなければならないと思いつつも、辺野古ではなく茨城県南の自衛隊基地に移転してきたらどうだろうか。 私は出身が佐世保に近かったこともあり、米軍基地の水兵さんはよく見てきた。 島に向かう船が19時半が最終のため、佐世保の夜の繁華街は知らず、水兵さんには悪いイメージはなかったのだが、夜な夜な飲み屋街が外国語であふれ、治外法権の屈強な男たちが暴れまわると思うと…。 先日、テレビの報道で驚いたことがある。 「もしトラ…」である。 米国南部の国境付近の共和党の知事たちが、「国境の壁建設」に反対する米国北部の都市部の民主党の知事の州に、中南米からの移民を送り付けているとか…。 どちらも、総論的には国民として地球人として、やるべきことはわかっているのだが、各論としては自分の家の近所だけは反対かもしれない。

思い起こすと、会社でも様々な局面で同じような議論をたくさんしてきた。 将来の「あるべき姿」を目標としてそれに向かって活動しなければならないのだが、その出発点は「現状の姿」である。 「あるべき姿」と「現状の姿」を結ぶ線を引くことになるのだが、関係者の会議では、「現状…」を出発点にすると「あるべき…」よりも低い所にしか線が引けず、「あるべき…」から引くと「現状…」よりも高い所に線を引くことになり、うまくいかない。 無理矢理に結ぶと、途中で線をぼかすしかなく、話は堂々巡りになってしまう。 世界では「もしトラ…」のように自国ファーストを掲げる権力者の出現が目立ち、独裁政権の国と仲良くなる傾向にある。 そう言えば、同系統の名前、都民ファーストという政党も日本にできている。 思想的には通ずる同系の考え方なのだろう。 あるべき姿のために現状をちょっと無理をして変えていく、という姿勢は不人気で、現実論に負け続けるのだろうか? そんな中、目標を立て現状を変えていくオオタニサ~ンの活躍が、最近では唯一成功例のお手本であり、救世主なのかもしれない。 









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