会社から業務で使用するスマホが支給されることになった。 私のようなパートタイマーにまで…と思ったが、出社しない日の連絡やカメラ代わりの使用など確かに用途があり、ありがたく提供を受けた。 ただ、前職で支給された経験では、電車内への置き忘れや破損などのトラブルは自腹での対応が必要で、思わぬ時間や修理代の出費が嵩んだため、今回は注意しようと、スマホカバーとガラスフィルムを早速購入した。 ところが、私はこのフィルム貼りが苦手である。 今回もフィルムとスマホ液晶の間に気泡が残り、それを排除しようと何度も貼り直しているうちに、フィルム接着面にたくさんのホコリが付着し諦めるしかなく、十粒以上の水玉模様の表面になってしまった。 予想通りとも言えるが…。 千葉の工場時代に、これを得意としたエンジニアがいて、周りの仲間のスマホのフィルム貼りを引き受けていたことを思い出した。
彼女には様々なエピソードがある。 まずは、フィルム貼り時の慎重さ、正確さ、集中力がすごい! 当時の会社では唯一の化学系エンジニアで、本社技術部の勤務であったが、関係技術者を一箇所に集めるということで、技術部の一部が工場に移設された。 最初の課題は制服(作業着)。 工場には一般職とパートの組立作業の女性社員がいて、男性社員とは異なる作業着であったが、彼女は男性社員と同じ作業着となった。 総合職の位置づけであり当然であったが、通常は個々の採用条件ではなく外見での識別になり易く、女性という括りがハードルになった。 ある日、男性技術部員と一緒に実験を行っていて、見ていると男性は重機(フォークリフト)を運転し、女性が小物(と言ってもその小物は鉄製)を移動させる力仕事をしていた。 指摘すると、早速、資格取得に動き、その後、颯爽と重機を運転する姿が頼もしかった。 また、お酒が好きで、飲むほどに人懐っこくなり、”酒豪”と同時に”ハグ魔”と呼ばれていて、日頃との落差が大きかった。
頼もしい女性の話はまだある。 高校時代の記憶で、三年間常にトップ数人の中にいた女子がいた。 医学部志望だった。 三年の時、なぜか私は彼女の隣りの席が多く、敬遠する男子生徒が多かったが、私は学力差が大きすぎてか…お互いに眼中になく、気軽に話していた。 だだ、私にとって唯一頭が痛かったことは、私が次の授業用の内職をしていると、必ず注意してきた。 休み時間に自分のノートを見せてあげるから止めろ…というのである。 ある日、彼女の提案?に従い、ノートを見せてもらったのだが、それが数学の証明問題。 これはまずかった。 時間があっても、考えても、解ける人と解けない人がいるのである。 事体は最悪のシナリオどおりに動くもので、数学の先生は私を指名し、黒板に回答を書く羽目になったのだが、先生からの細部の質問に応えられず、お隣の彼女が応えてくれた。 状況は誰もが理解していたのだろう。 時間は何もなかったかのように流れた。 受験や卒業のドサクサでその後どうなったか。 確か東京大学のはずだが、まさか東大医学部か?!
外資系IT企業の時代にもいた。 この会社では、営業部員のことをセールスエンジニアと呼んでいた。 当時私の所属は製品調達の役割で数人のスタッフと活動していたが、その一人にあっさりとした、ロジカルでポジティブに行動する女性スタッフがいた。 調達する製品に関して客先と直接話をすることもよくあり、内外から好感を持たれていた。 その彼女がセールスエンジニアになりたいと営業部への移動を相談してきた。 女性のセールスエンジニアは当時この会社では非常に珍しかったが、彼女には挑戦してほしく、了承し手続きを進め無事に見送った。 ある日、私が勤務する拠点にお客様同行で来ているのを見かけたが、数人いた同僚のセールスエンジニアの中で、彼女が配膳係を務めていた。 私は内心憤慨したが、彼女の立場になると理解できる気もしたし、彼女はそれも含めて朗らかに対応していた。 その後も頑張っている彼女を見かけるたびに、心の中でエールを送った。
思い起こせば、私が新卒で入社した中小の部品メーカーの本社兼工場では、女性社員の方が多かったが、女子トイレの数は非常に少なく、休憩時間になると列を作っていた。 女性の参政権は戦後になってからである。 男女雇用機会均等法が制定されたのは1985年、30歳の頃である。 体力的にも社会の雰囲気的にも、制定後改善されようとしているものの、未だに女性議員や女性経営者の数は世界で下から数えた方が早い国なのであり、私たち世代は、法律の制定前を経験し、制定後の超スローに進む改善の真っ只中で、スローの立役者だったのかもしれない。 女性たちは、体力的にも雰囲気的にも乗り越えなければならない男性社会を、少なくとも受け入れながらチャレンジしなければならなかったのだろう。 今にして思えば、そんな彼女たちに”対等な”チャレンジを要求してきたような気がしている。 励ましているつもりだったが、”対等”なんかではないこと、今にして改めて感じて後悔する。 「24時間働けますか♫」とか「ノミニュケーション」とか言っている場合ではなかったのである。 前述の仲間たちは、そんな男性社会の仕組みの中で、颯爽と挑戦し、傍から見ている限り自然体で楽しそうに、そんな”不平等”な社会に風穴を開けていたのだろう。
私たち世代は、頭でわかっていても新しい常識のイメージが湧いていないのかもしれない。 というか、そもそも女性のことをこの歳になってもよく分からないというべきかもしれない。 そんな男女のステレオタイプ的な表現自体も進化しているのだろうが、その性状からしても、男性は戦うことに適し、女性は生きていくことに適しているように発想してしまい、それが外の(戦う)社会と内の家族という役割の思い込みから抜け出せないのだろう。 ただ、社会の技術的、思想的な進歩や働き手の数という経済のメカニズムから、その”思い込み”では追いつかなくなっていることは、私たち世代にも理解できる。 性状の違いは理解した上で、まずは「戦う場」は”平等”であることを目指さなければならない。 しかしながら、例えば、運送業界では2024年問題が深刻である。 運転手の過酷な労働時間、運転だけでなく重い荷物の積み下ろしも役割なのである。 ”不平等”のすそ野は広く、文化に溶け込んでいるようである。 法令を作るだけでよいのだろうか? 男性社員の育児休暇、これは”平等”な「戦う場」を作るためではあるのだが、子供の気持ちに立つと、男性では役割を満たしていないような気がしてならない。 スローの立役者、発想の乏しい”思い込み”世代の考え方だろうか?



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