このブログを始めて三年経過した。 三年間で約6000回のアクセスをいただいている。 心より感謝である。 10日に1度、7の付く日に掲載していて前回までで108回ということになる。 考えること、茨城県のこと、趣味のこと、エピソードの4つのテーマで、1ページ約二千四百字(原稿用紙6枚)の文章と、写真やファイルを掲載している。 「徒然なるままに…」、殻の外の人となった”老人”が、日頃感じた「よしなしごと」を書き留めているのである。 最もアクセスが多かったのは初回の「ブログ掲載にあたって…」、日本語の掲載なので当然国内のアクセスが主流だが、外国からのアクセスはちらほら目にする程度。 当然、日本語が読める方だろうと想像していて、インターネットを通じて世界とつながっていることを痛感すると同時に、以前から海外に出向く時にいつも感じていた、自分を通して「日本」が広まっていくことに対して、歪んだ情報発信は避けなければと思う。 10日ごとにテーマを決め、文章を書き、写真やファイルを準備するのは、週休四日のパートタイマーだからこそできていて、これでも頭の体操、ボケ防止としては役に立っていると思われる。 このブログのお陰で、俳句短歌、立体地図、エクセルフォント点画、ボーカロイドなど、様々なことをこれまでも始めてきたが、これからも頭や体の強化につながる様、自分の役には立っているということを糧にアクセス数がゼロになっても続けていきたいと思う。
今年は(今年も)暖冬である。 冬の中でも最も寒いはずの二月、それなのに二月初旬には立春がやってくる。 俳句の世界では、最も寒いこの時期に春を匂わせる季語を使わなければならないが、今年は暖かく合点がいく。 これからはますます合点がいくのだろう。 とりあえず一句。
「春遠し証憑の山に溜め息」
(確定申告でトレイに溜まった一年分のレシートを処理するのだが、破棄しないで溜めた意図を振り返る。 季語は「春遠し」。 春が待ち遠しいときであるが、税金の支払額決定に気持ちはまだまだ暗い。)
気象は変われど、一年を締めくくる時期であることには変わらない。 確定申告のシーズンである。 通常の会社員は年末調整で終わらせるところ、フリーター個人事業主としては、自分で納税の手続きをするわけである。 前回、e-taxでの電子確定申告を実施したが、マイナンバーカードの電子スキャンによる本人認証がないと、結局、税務署からの通知メールの内容も見ることができず、出来上がった申告書もコピーして郵送(または持参)しなければならなかった。 前回訪問時の確認で税務署職員の「システムの不備」発言とは裏腹に、今回も改善はなく、通知メールの内容は閲覧できず。 たぶん、政府の一貫した姿勢、税務処理にはマイナンバーカード紐付けが必須なのだろう。 やはり、なにか国民側への監視の目を感じてしまうのは、うがった見方だろうか。 今年もまた、年金受給時の源泉とは別に納税しなければならないが、細々でも仕事での収入があることを意味するのである。
この時期には、フリーター個人事業主である”当社”の一年間の収支とそれに伴う資産状況の確認を行うことにしている。 大したものはないのだが、その年の収支の赤字は、日本政府と同じで資産が減るか負債が増えるかであり、収入源に限りがあるシニアとしては、日本政府と同じにならぬ様、支出で管理するしかないのである。 今回からは、このタイミングで、エンディングノートの更新も行うことにした。 国民健康保険の新しいカードが届いた時に、裏面にある臓器提供の可否の記入に迷ったからである。 家族とは言え、人それぞれの思いがある。 私としては、提供できる部位があれば提供しても良いとは思っている。 しかし、家族は心情的、いや感情的に、私の死に直面している時に、別の目的を持った方々がその瞬間を待っているということを、受け入れられるのだろうか。 私は当然何が起こってもわからないのであるが…。 そのようなことを考えていると、ノートは独りよがりではなく、世帯主パート・個人意思パート、その中に後処理をする私以外の家族の同意が必要なパート、一人で決められるパートの四つに分かれていなければならないと思うわけである。 昨年6月の記事の二つの課題の一つである家族の同意である。 もう一つの課題は「お墓」であった。
先日、ネットで有名人の埋葬方法で「海洋散骨」が意外に多いとの記事があり、調べてみると、石原裕次郎、立川談志、勝新太郎、アインシュタイン、ジョンレノン、Hideなどたくさんいた。 しかも、業界・時代を変えたような有名人。 お世話になっている会社が廃棄物処理ということもあり(焼骨は廃棄物ではないが…)、職業柄というか、法令の規制はないのか興味が湧いた。 主たる法律は「墓地、埋葬等に関する法律」であるが、墓地や火葬場の許可と運営に関するもので市町村の管理下である。 他には刑法「遺体遺棄罪」や墓地埋葬法「墓地以外の埋葬の禁止」などがあるが、どちらも「散骨」には該当しないらしい。 また、市町村の条例などには、「環境保全や風評被害」への配慮が挙げられているが、「散骨」自体を禁止している条例は少ないようである。 つまりは、”節度を持った対応”で、かつ対応する業者が存在すれば、海洋だけでなく、山林、空気中、宇宙、どこでも可能なのである。 「墓地、埋葬等に関する法律」による許可では、場所や管理者や管理方法が規制されていて、我々一般人の選択肢としては、墓地、納骨堂、樹木葬(街に近く樹木のシンボルのある納骨スペース)、樹木葬(里山奥深い本来の樹木葬)などの法令下の埋葬か、法令の枠の外での”節度を持った対応”なのである。
こうなると、「お墓」の記述は、世帯主パートなのか、個人意思パートなのか、微妙である。 まずは、自分の思いで今年度のエンディングノートの更新をたたき台として進めてみるしかない。 大昔に外資系の会社での最初の米国人のマネジャーが、帰国後退社し、始めようとしたビジネスのことを思い出した。 焼骨の欠片を高温高圧?で加工して人工ダイヤモンドにするとか…。 技術の革新は進んでおり、当時マユツバものだったこの話も現実になっている。 納骨堂と同等の費用で胸のペンダントになる時代は遠くはない。



ペンダントを誰が欲しいかな~・・・悩ましいね( ´∀` )
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