日曜日の人気テレビ番組で、今年のリスクというテーマの話が出てきた。 米国内の分断、中東問題、ウクライナ問題、AIのガバナンス、ならず者国家などなど、具体的な10項目を指摘した専門家たちからするとそれぞれが個別の重要課題だろうが、私にとってはそれらのすべてが人間の欲から始まる身勝手な考え方の問題である。 それら以外はインフレ問題と気候問題であったが、これらも間接的ではあるが、やはり、人間の欲から始まった身勝手な行動の結果が引き起こした問題と言える。 私の様なまとめ方をしてしまうと、10大リスクも1項目で終わってしまい 番組が成り立たないのである。 非常に悲しい話で、世界の今年のリスクのほとんどが人間の欲と考え方が原因で、そのことに振り回される一年になるということである。 そもそもの話であるが、横の人(生き物)よりもより安全に生きることを求めてしまうのだろう。 より、食料の心配がなく、病気の心配がなく、襲われる危険もなく、災害の危険もなく、長く生きていきたいと思うのだろう。 横の人と同程度に安全に生きるではダメなのだろうか。 自分の内面を覗いても、それではダメなのだろうと思う。 生き物というのは悲しいものである。
では、シニアの仲間入り(たぶん65歳以上?)も板について来た私が思う今年のリスク、個人的なリスクは心配とか願いとかになってしまうのかもしれない。 まずは「今の生活を”より”長く続けること」であり、それは、精神的にも、肉体的にも、経済的にもである。 ただ、ちょっとホッとするのは、”より”の対象は、必ずしも横の人ではなく、自分の昨日のような気がする。 そのためには、生活習慣や家計、それから自分が日常接している人や物に対しての、プライマリーバランスゼロ、つまり、一定期間で貸し借りゼロにして負荷を蓄積させないことである。 ただし、不幸にも周りからのトバッチリもある。 それはそれで受け入れるしかないのだが…。 次に考えることはやはり「高齢者の自動車事故」。 自分が加害者にならないこと、自分は大丈夫と思っているが、感覚のズレは必ず起きてくる。 一度に複数のことを処理しようとすると、脳と筋肉との間の電気信号回路が混線するのである。 パソコンも昔はすぐにモニター上に砂時計マークがグルグル回って、フリーズ(反応しなくなる)した、あれである。 マルチタスク(一度に複数の情報を処理する)ではなく、運転中はシングルタスク(一つずつ情報を処理する)でなければならない。 もう一つ気になるのは、コンピュータと通信機器周りの技術革新にどこまでついて行けるかである。 技術革新に追従して様々なサービスが登場している。 今でもすでに想像を少し超えてきたと思っているが、チャレンジしないと取り残されるし、チャレンジしているとそのうちになにかとんでもない間違いを犯しそうな気がする。
能登半島の報道を見ていると、本当に居た堪れなくなる。 住む場所、上下水道、電気、食料など命を守るための復旧が第一であるのだが、何度も地震やその他の災害の経験のあるGNP世界第三位の日本の避難所は未だに小学校の体育館に雑魚寝状態である。 我々世代は、上下水道や電気が未整備な状況下で、プライベートの空間の殆どないところでの生活は想像が付くとは言え、ちょっと前の確かイタリアの地震災害の映像では、避難所の設備で家族単位のプライベート空間が確保された映像が流れていた。 映像を鵜呑みにするわけには行かないだろうが、何か豊かさの基準というか、最低レベルの考え方が違うようである。 世界に誇れる治安の良さ、倫理観などがよく報道される中、私はそれらの根底にあるのが「お上の指示に従い我慢する」意識が強いのだろうと思う。 日頃から”お上”に任せずに口も手も出す意識で有りたいと思うが、このタイミングでは結果論である。 ライフライン問題もあるが、本当に心を痛めたのは、私よりも年配の男性の方が、家を失い、家族を失い、仕事環境を失い、途方に暮れていた映像だった。 偶然ではあるが、ここ数か月、高齢になると積み上げたものを守ること、リカバリーができないものへの保険対応などの記事を書いていた。 改めて人の一生とは何だろうと考えてしまう。 人よりも知識や技能を高めるために努力し、人よりも家族を幸せにするために頑張り、人よりも安全な衣食住を確保して歳を刻み、いつしか自分の昨日よりも満足できることを考え、生きてきたのだが、その努力や頑張りや年輪の証として残った物、家族、仕事が、自分が原因ではない天災によって、一瞬のうちに無くなるわけである。 途方に暮れるだろうと思う。

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