はじめの一歩は…?

いつから日本はこうなってしまったのだろうか? テレビやラジオのニュース番組を見ていると問題だらけである。 国防問題、貿易収支、少子化問題、労働者不足、国の借金、不景気、老朽化インフラ問題、等々、挙げれば限りなく出てくる。 なぜ?も気になるのだが、どうすれば?も気になるところである。 好きなように生きてきて、政治のこともろくに考えずに、会社の利益と自分の利益のベクトルが同じ方向のところだけは、それなりに頑張ってきて、やっと殻の外に出て(定年退職して)、この国の将来を憂いたくなる身になると、途端に何か言いたくなる。 若い頃から真面目に勉強し、真面目に取り組み、志を持って生きてきた人たちからすると失礼な話である。 私なんかの意見などお呼びでないほど、複雑に絡み合っていることではあるが、実は、私がちょっとだけ真面目に取り組んできた、工場経営上の課題と通ずるところがある気がしてならない。 国防問題は敷地管理と警備【保安】、貿易収支は製品とその品質【生産工程】、少子化問題と労働者不足は工数(作業量)【人】、国の借金と不景気は【経費削減】、老朽化インフラ問題は【設備投資】となる。 これなら少しは話ができる。 

「なぜなぜ分析」という問題解決の手法は、工場のような質の向上を目論む現場ではよく使われているが、私はそれに習って、「ためには分析」と名付けてやっていた手法がある。 「なぜなぜ」は現状の問題から過去へと掘り下げるのだが、「ためには」は未来の姿から現状の一歩目に掘り下げようとしてみるのである。 網の目のような非常に複雑でマニアックな、どこまで行っても未完成な図になるのだが、それでもキーワードを見つけるとすると意味がある。 例えば、先ほど書き出した五項目を非常に簡素化して、「ためには」と掘り下げていくと、【保安→工場価値→生産工程】【生産工程→設備・技術・人】【人→教育、やる気、環境】【経費削減→ノウハウ→人】【設備投資→工場価値→生産工程】となり、全ては【人】に集約されていく。 工場いや集団を立て直すためには【人】、即ち、教育、やる気、環境を植え付けることが第一歩と思ってきた。 働きやすい職場、女性・定年退職者・外国人を迎える体制、企業活動による一人ひとりへの還元、それを支える教育、などの【人】への投資である。 ただし、【人】への教育という投資は、10月17日の記事「真似をするのが嫌いな集団」に直結していて、一筋縄では根は張らないのだが…。 

工場や集団での「ためには分析」を国に置き換えると、少子化・労働者不足などの施策が、その他の課題にも好影響をもたらすことが分かる。 ただ、工場という狭い世界ですらも、改善を指導する体制(本部)が必要であり、本社や業界への根回し(忖度)のようなものも大事である。 改善活動の前にこれらの準備が必要なのだが、忖度問題は奥が深くドロドロしていて、失敗ばかりで私には語る資格がない。 国ともなれば、立法行政府の仕組みや体制の強化、米国・長老・多数派などへの忖度、知名度や得票数への配慮、など改善活動の前に目を向けることが増え、改善の一歩はなかなか踏み出せなくなるのだろう。

もう一度言う。 いつから日本はこうなってしまったのだろうか? 数十年間世界二位の経済大国であったのである。 国の財政や仕組み、暮らしに直結した地方自治体の活動など、世界のお手本でなければならないところ、問題が山積みなのである。 なぜ、政府の借金が世界一位の国なのだろう。 今でも世界三位の経済大国である。 図書館やネットの情報をこの数年間、機会があるごとに漁ってみているが、私の能力では腹落ちする理由にはたどり着けない。 ただ、目からウロコのような事実に遭遇する。 太平洋戦争の戦費は国民からの借金で賄われたが戦後のスーパーインフレで紙切れ同然になった事実(2022/10/27掲載の親父の文章「尺祝い」関連)。 戦争による海外領土や資産の没収と国内の物的被害は今の金額だと数十兆円に及ぶだろうことは想像がつく。 国民への賠償(保障)は今も続いていて、恩給や遺族年金は90年代後半のデータでは国家予算の2%以上。 敗戦国としての賠償は、第一次大戦後のドイツの悲惨な状態(結果、ナチスを生む)から学び、お金による賠償だけでなく、設備や製品や役務による賠償なども行われた。 東南アジア諸国への賠償として、彼らが要求する製品を無償提供し政府が代金を肩代わりする対応は、1970年代(つまり、私の学生時代)にも継続。 今もよくニュースになる日本のODA(政府開発援助)は敗戦の賠償から始まった制度らしい。 国情が不安定だったり、地図上の色分け(赤色に染まる)を嫌ったりで賠償の権利を放棄した国もあった。 戦勝国からの食糧援助の借金も払えない日本は、お隣の国での内紛で立ち直ることになる。 当時は朗報とは言え、その頃の曖昧な決着が、未だにお隣りの国々との歴史問題を引きづらせているとも言える。 私が戦勝国に関わった頃でも、その国内では戦後の賠償の裁判が行われていたらしい。 ここまで来ると、被害の有無よりももらえるものはもらっておこう状態か? 東南アジア諸国への敗戦の賠償が終わる頃には、1ドル360円固定だった為替相場は変動相場制になり、また、半導体、家電、自動車などの貿易規制など頻発した。 あの「思いやり予算」はある意味では敗戦の賠償かもしれない。 当初は二桁億円だったが最近は1兆円に届きそうで、防衛費の10%を超える。 経済大国とは言われたものの、国の仕組みや状態としては、体制的にも金銭的にも国際関係的にも戦争の爪痕は長く尾を引いてきたのだろう。 立法行政府は生命線である戦勝国とは忖度どころではなく、ほぼほぼ主従関係のようである。 
結局腹落ちしないとは思うが、自問に戻る。 GDP世界三位とは言え、一位が世界の24%に対して三位は6%弱。 一位! 二位! 以下同文!なのである。 そして、敗戦国の後始末と戦勝国の圧力。 この先は想像の域だが、水が低い方に流れるように、未成熟な国の仕組みの中で、税金が流れていく川があるような気がする。 そして、その仕組みを利用できる人(または国)は難なく富を得ることができるし、できない人は細る。 国防問題、経済問題など国情や国際関係の難しさはあるのだろうが、私が考える未来の「ためには分析」、はじめの一歩は主従関係の解消、それと人への投資である。 苦笑してしまうが、どこかの野党の意見と似ている。





コメント

  1. 匿名4/08/2024

    国を構成している人間の思考が、依存型から、独立自己責任型に変わらないと、変化の入口にならないかも。 だれかやってるから、俺は知らん。どうせ、俺が何か言ったって・・会社が変わらないと・・・ っていう感覚が蔓延してるように思います。能力ないと仕事にありつけず、ありついても、ずっと雇用関係がある保証がなく、でも生きていく➡日本以外こんな感じだと思うんだけどなー

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