庶民の力!侮るなかれ!

 成田と言えば、成田国際空港である。 日本の玄関口である。 ただ、よくよく考えると、成田山新勝寺の歴史は古い。 940年平将門の乱を平定したことで、その拠点でもあった成田に新勝寺を開山したとある。 その後も源頼朝、水戸光圀(茨城県だけでなくここにも登場する)の信仰を受け、歌舞伎の市川團十郎は屋号「成田屋」を名乗り、演目にもなった。 国道51号線(千葉市と太平洋岸経由水戸市をつなぐ)沿いの交差点「参道入口」の案内から参道が始まり、石畳の坂で緩やかなカーブの参道を登ると、その突き当りが境内となることをイメージしていたら、街並みに入り成田駅に到着した。 国道の「参道入口」の次の交差点である。 狐に抓まれた心境で引き返す。 参道沿いに門がある珍しい配置である。 気を取り直して、総門、仁王門と急な階段を上ると、ちょっとした広場があり、大本堂と三重塔がある。 テレビで観るより(関東地方では節分の豆まきで必ず登場)こじんまりとしている。 ただ、パンフレットによると建立物は奥に延びていて、いまだに進化中のようである。 ちなみにマラソンの解説で有名な増田明美の母校、成田高校は境内マップに載っている。 名門である。 参道を歩くとうなぎと鉄砲漬の店を多く見かけた。

うなぎといえば浜松が有名であるが、成田山もなのである。 成田山が庶民に浸透するのは江戸時代であり、歌舞伎の「成田屋」である。 江戸からは約60キロ、当時は徒歩12時間、他の地域(例えば伊勢)などに比べるとお手頃だが一日がかりでへとへとになって宿泊する。 食事と言えば、印旛沼の川魚類、もちろんうなぎもいたはず。 江戸ではすでにうなぎは好まれていて、ここでも疲労回復に食され、成田山の参道に集中していった。 江戸時代から続く秘伝のたれが今も残る。 もう一つの名物の鉄砲漬。 もともと千葉県は瓜の生産が盛んだったようで、冬の保存食としての家庭料理であったらしいが、成田山参道の有名な宿がお土産として販売したことが始まりの様である。 瓜の真ん中あたりの種の部分を円筒形にくり抜く技術のお陰で、量産可能になったという説明を見たことがある。 そのくり抜いた部分に、赤唐辛子をシソの葉で巻いたものを、鉄砲に玉を詰めるように詰めるのである。 江戸の庶民文化の中に、手軽なスポット「近い、由緒ある寺、歌舞伎、宿、食事、お土産」として溶け込んでいくのである。 庶民の力恐るべしである。

成田空港付近を車で通過する際、以前から気になっていた案内がある。 「航空科学博物館」である。 千葉に単身赴任中よく見かけていた。 当時は目的に追われていたのかいつも素通りしていたが、立ち寄ってみた。 最近、飛行機の撮影で有名になった「成田さくらの山公園」の近くとイメージしていたが、公園はメイン滑走路の北側に面しているが、「航空科学博物館」は南側に面していて、それぞれ飛行機の離着陸を見るには立地がいい。 訪問してみると、「航空科学博物館」に隣接して「空と大地の歴史館」という建物があり、興味をそそられた。 成田空港の歴史! 闘争の歴史である。 1960年代の初めにはすでに、航空需要の拡大で羽田空港の限界が近いと予想され、海外の国際空港とのハブ化(拠点空港)競争もあり、東京近郊での新空港構想が持ち上がる。 当初は千葉県浦安沖、印旛沼、茨城県霞ケ浦、谷田部が浮上。 その後、千葉県富里、霞ケ浦に絞られ調査が進んだが、両地区の反対運動もありすでに難航。 1966年、大どんでん返しで、富里ではなく、そこから10キロほど離れた成田市三里塚ということで突然閣議決定された。 条件的に富里と大差がない上に、下総御料牧場という国有地があり、住民とのトラブルが最小限にできると配慮したはずであるが、結局、政府のやり方は当時も現在(沖縄辺野古、処理水放出など)も、まずは決定してから強引に調整し、なし崩しにするのである。 影響する市町村の議会での反対決議、住民運動、それに、当時は過激だった学生運動まで合流し、大騒動が続くわけである。 庶民の力をなめている! それでも1970年には代執行が行われ、その後反対闘争の激化の中、必要な工事が着々と進められ、1978年混乱の中開港した。 その後も反対派との調整や協議は2000年代まで続いた。 結局、ハブ化競争には勝てなかったわけだが、人口密度の高い日本では政府構想に無理があったか、国民の国際化に対する理解のずれか?

私が最初に成田国際空港を利用したのは1981年夏であった。 開港わずか3年後、重々しいゲートで荷物チェックを受けていた。 大学および社会人当初は、今ならチコちゃんに怒られそうだが「ボーッと生きて」いて、日本の将来、庶民の生活など真剣に考えて参加した同年代の学生もいたというのに、音楽や大リーグなどの情報から自由の国、あの原爆を落としたアメリカに憧れ、空港を利用したのである。 それから数年、外資系企業に入社してからは、最盛期には年3、4回は利用した。 そのまた最も激しい時期では、成田(北緯35度東経136度)からロンドン(北緯51度経度0度)、ロンドンからニューヨーク(北緯40度西経73度)、ニューヨークからサンフランシスコ(北緯37度西経122度)、サンフランシスコから成田に戻る弾丸海外出張も経験した。 世界一周である。 飛行機は最短ルートを通るので厳密に言えば、北緯60度付近、北極に近いところを回ったわけで、一周と呼ぶには恥ずかしい。 経度的には、まず136度、次に73度、次に49度、最後に102度、約10日間地球の自転に逆らい続けたというか、実は飛行機を使って真上に飛び上がる下がるを繰り返したというか?  何日間の旅だったのか頭が錯乱する。 西周りは時差ボケは軽いはずであったが、この時ばかりはボケた。 ただ、飛行機に乗るたびにその不思議に悩まされる。 日付変更線の向こうとこちらで1日違う? 飛行機が墜落激突の瞬間に飛び上がったら生き残れそうな?

こんなことが学習できたかもしれなかったが、「空と大地の歴史館」が私のスウィートスポットにハマりすぎて時間を使い、本来の目的だった「航空科学博物館」は、入館料700円と親子連れの多さを自分の中の言い訳にして、外の広場(館長の張り紙ではここも有料)に展示されている小型飛行機とヘリコプターを見学して帰った。 空港を抜け、1980年代当初から存在したイオンモール成田店を抜け、国道408号線を走る。 長豊橋で利根川を越えると茨城県である。 牛久大仏を横目に牛久市でJR常磐線と国道6号線と交差し、つくば市に入ると突然立派な片側二車線の整備された道になる。 一時間余の道のりである(土浦方面は途中で横道にそれるが…)。 成田空港、イオン(大店法)、つくば市(首都移転)、考えてみると国道408号線は政策に振り回された地域を貫通する道路である。 今の私が半世紀タイムスリップしたら、政府に抗議する庶民になるのか、なおも便利を受け入れる庶民になるのか、悩ましくもあり楽しくもあり! 見てみたい!



コメント

  1. 匿名9/27/2023

    大型公共事業、特に社会インフラは、効能が見えてくるのが、開始から20-30年かかることが多いように思うね。 社会的な関心を持ち出して、社会の中 核にいる時間は、18歳-55歳の35年前後であるから、人生の流れとしてはとらえにくく、現状変更反対の意見が多くなることは自明の理かなー。 会議で、全員賛成の議案は、実行すべきでない・・なーんていう言葉もあったから、考え抜いた人の思いに託してみるのもええかなーと思うこの頃です。

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  2. 匿名4/07/2024

    米軍基地の上を飛行できたり、千葉県上空を通過できたら、羽田の拡張でよかったのかもしれないという話を聞いたことがあります。 米軍➡無理 千葉県➡政府に反対 だったから、ご推察の選択になったんだろうなー。 あとで考えると、おいおい と思うけど、そのとこその時は、低いほうに流れるんだろうね。 成田は、滑走路2本になったんだっけ?

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