同い年の仲間たち!

一度は名前と顔を覚えた人だけで、一生のうちで誰でも数百人、いや千人は優に超えるだろう人と会ってきたはずである。 しかし、その中で今でも付き合いがある人、または会おうとすれば会う手がかりのある人は、何人くらいいるだろうか。 人によって異なるだろうが、年賀状などでパソコンに登録済みの住所録でもぎりぎり三桁、全体からするとたぶん1~2%だろうと思う。 つまりは、会った人の数のうちで98~9%は別れた人の数ということになる。 なにか寂しい気もするが、お互いの連絡先の更新が滞った時点で別れた人に分類される訳である。 最近はスマホで簡単登録ができるかもしれないが、スマホ移行からまだ10年未満、スマホの不自由さを実感するのはこれからである。 そのたくさんの別れた人の中には、私の人生に影響を与えた・ユニークで忘れられない同い年の仲間がいる。 振り返ってみたくなる。

私は田舎の校区外の中学から長崎市の公立高校へ入学した。 元々運動系の部活をやっていたが事情があり、続けることができなくなった頃、同じような境遇のクラスメートと親しくなる。 お互いギターを始めた時期で、「ヤングギター」とか「新譜ジャーナル」(今でも「ヤングギター」は継続だが相当ヘビーな感じ…)なる音楽雑誌を購入しては、流行りの洋楽・邦楽のコード進行や弾き方情報を仕入れて遊んでいたが、練習場所の問題やもっといろんな楽器に興味も湧き始めて、一緒にオーケストラ部に入部することにした。 二人共経験はなかったが、ギターと同じ弦楽器つながり、バイオリンはほぼ全員女子だったこともあり、当時アキがあったチェロを希望した。 彼は几帳面で練習熱心でメキメキ腕を上げ、三年時には部長を務めた。 顧問の先生がいない全体練習では、指揮をやるのである。 私と同じ動機で入部したヤツがである。 部は思った通り、装備や練習場所は豊富。 その上、楽器も演奏者付きで見つかるので便利で楽しかったが、顧問の先生からは、「ここはオーケストラ部で軽音楽部ではない!」との愚痴をよく聞かされた。 高校卒業後数年で交流はなくなってしまった。 後で思い出すと、どうやらフルートの女子がお気に入りだったようである(私と同じで…)。

私は大学からは徒歩20分くらいの少し遠い下宿(正確には下宿風木造アパート)に住んでいたが、大学1年の秋、教室で見かける髪の長い目鼻立ちのハッキリした”美青年”を、下宿の前で頻繁に見かけ(私よりも遠い下宿からの自転車通学)、声をかけてみると容姿に似合わずおっとりとした親しみのある話しぶり。 ロック好きで、囲碁に興味があるという変わったヤツ(というか私と同じ)。 大学一年の頃は知り合いのいない遠方出身者には、気持ちの通じる友達探しが必須だった。 彼とは学生時代長い腐れ縁になる。 イーグルスを知ったのは彼のアパートで…。 お酒を飲みながら、彼の弾くブルースのコード進行に楽器や歌を乗せて楽しんだりした。 彼は栃木県出身で、以前掲載したブログの亜関東亜東北問題の、亜東北の張本人。 四年生の学部も同じで、ゼミでは登校すると卒論の作業の前にまずは碁盤を開く。 卒業後も大学付近に残る私は、彼が就職先の栃木県に去るときには、駅まで彼を見送った。 その後数年で、私が最初の会社を退社し、米国”遊学”の際に連絡が途絶え、帰国後、勤務先に連絡しても、実家の電話番号でも見つけられず、隣県である栃木県に訪問の際に実家付近に立ち寄ったがわからずじまいで、今日に至る。   

大学卒業して最初の就職先。 以前のブログの大恩人の先輩が直属の上司の部署への配属である。 この会社は、新卒はほとんど工業高校出身のところ、その年は同期3名が大卒であった。 私はそれまで学歴に関してはほとんど興味がなかったが、初めてその試練を受ける。 こちらが少数派で、いじられ、厳しく対応され、それなりに大変だったのだが、その中に分け隔てなく対応してくれる人もいた。 配属先の隣の席にいた工業高校卒業の同い年のヤツ。 つまり会社人としては4年先輩。 何よりも明るい人気者! 人気者の隣にいると立ち寄る人も多く会話が増え、冷たい対応も少なくなり、会社に溶け込めた気がした。 最近のニュースで思い出すこと、彼の発案で夏の富士登山に出かけた。 昼下がりから登り始めて頂上で日の出を見て降りてくる、まさにニュースで非難されている弾丸登山! 残念ながら、当時から登山客渋滞で、8合目付近で日の出、頂上は気温約零度で凍える寒さ! Tシャツの上に薄いヤッケだった我々は、震えながらわずかな時間の頂上滞在で下山した。 上りの途中からは1歩踏み出しても半歩分は足を取られ、下りは砂とともに走り下りる感じで、我々だけでも富士山のメートル表示への影響を心配するほど砂を押し下げた。 当時からあまりきれいではなく、遠くから見る方が美しいというのが正直な感想だが…。 彼のお陰で、日本一の山に登ったこと(100メートルで気温1度下がることの体験を含む)、「明るくポジティブ」が道を開くこと、学歴の壁の向こう側を見ることができたこと、などその後役に立った。 上司つながりで長らく名前を聞くことができたが、最近では上司も連絡が取れないとか…。

たまに懐かしくなり、WEBの検索サイトで昔の知人の名前を検索してみることがある。 当然上述の3名の名前も検索してみたことがあるが、残念ながら見つからない。 同姓同名(漢字まで同じ)の別人は意外と出くわすのだが…。 検索サイトに載る人は、サイトに載りそうな文章・会議・イベント・SNSアカウントなど、何かを自身で発信している人が多い。 子供の頃からサラリーマンを一直線に目指したような私と境遇の近い集合体は、検索サイトには引っかかりにくい。 数名発見した同い年の仲間は医者とマラソン大会参加者であった。 数年前に、アフガニスタンの民間の発展に貢献した医者が殺害されたニュースがあったが、高校時代に同姓同名(漢字まで同じ)のクラスメートがいた。 医学部志望であったはずである。 彼とはよく、山の上の高校からわざわざ通学バスに乗らず、つづら折りの階段を1時間以上かけて帰宅した。 彼はビートルズのことは何でも知っていた。 ビートルズの曲を歌いながら帰った。 私は「Nowhere Man」を彼とハモるのが好きだった。 歌の通りその功績は「どこにもいない人」で、ニュースの写真は50年後の彼と言えなくもないが、深く追求はしていない。 みんなはどんなシニアになっているのだろうか。 なんとなくではあるが、結果的にいつも少数派側で右往左往していた私に、自然体で活力を与えてくれていた同い年の仲間たち! 今どこで何しているだろう?



コメント

  1. 匿名8/28/2023

    栃木県出身者以外は、皆さん、ずいぶんとまともな方たちのような気がしますね~(^^♪ 栃木県は、どこにいったんだろうなー? TVで探してくんないかね

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  2. 匿名8/28/2023

    自らの生きざまの確認と、楽しかった日々の再現、思い出の定着化のため、「生きてるうちに会おうぜ」活動を実行中です。会った人の属性、飲みを含めた活動記録をしながら、先の日程で、だれに会うかを、毎月決めています。今10月末まで埋まりました。 活動年齢上限まであと5~7年かと思うと、会いたい人がそろっている時間は短いかもです。(>_<)

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