遠くて近い70キロ

 日立市は茨城県の北東部に位置する。 水戸を中心にすると、水戸~日立は北へ約30キロ、水戸~土浦は南へ約40キロという位置関係。  日立製作所の企業城下町であり、私が茨城県に来た頃(1980年半ば)は、人口は20万人を超え、茨城県第一の都市であった。 「日立」の起源は不明だが、この県の昔の話では頻繁に登場する水戸光圀が名付けた、という説が最も有力らしい。 かつて茨城県の大半は常陸(ひたち)と呼ばれていたが、「風土記」の記述では現石岡市辺りに国府があり、「日立」は北のはずれで発音が同じである常陸(ひたち)とは無関係と思われる。 1980年半ばをピークに、日立市に本社を置く日立製作所の業績と追従するように、人口減少が起きている。 現在の茨城県人口ランキングは、水戸市(28万人)、つくば市(24万人)、日立市(17万人)、ひたちなか市(15万人)で、わが土浦市は当時からほぼ横ばい14万人で5位ある。

今回最初に訪れたのは日立駅である。 普通の駅と違い特殊な空間がある。 訪れたのは午前10時頃であったが、(茨城県で海関連の見せ場はどこも東向きであり)日の出の時刻が絶景のようである。 駅の建屋から出っ張ったスペースがあり、大きな水槽の中から水平線を眺める感じである。 駅の西側に街が広がるのだが、さすがは「日立」である。 奇抜な設計のシビックセンターには科学館やプラネタリウムがあり、そこを抜けるとわずか徒歩5分で大工場が広がる。 朝夕は多くの通勤者で賑わうことだろう。 日立製作所のことは以前にも記事にしたが、すでに有名になった家電メーカー「世界の日立」の工場のロケーションの話であった。 今回の記事では、同じ流れで「世界の日立」と日立市の記事になるものと想定していたが、訪問前の調べ物と実際の訪問で、当初の予定とは異なる記事の展開に…。 江戸時代からこの地では銅が産出され、本格的に始めたのは久原房之助という実業家で、買収後は地名をそのまま活用して日立銅山と名付けた。 日本四大銅山、小坂、足尾、別子、日立である。 二十世紀に入ってすぐのことである。 日立銅山はその後も日本の中心的な産業として多角的に続いていく。 久原鉱業、日本鉱業。共同石油、日鉱金属、ジャパンエナジー、JXホールディング、ENEOSと変遷するのである。 採掘、製錬、エネルギー分野で日本のトップランナーであるわけである。 市のシンボルとも言える大煙突は、銅の製錬で発生する亜硫酸ガスの煙害対策として苦心の末に作られたものである。 日鉱記念館も訪問したが、不運にも玄関口は工事の塀で覆われていたため撮影はしたがインパクトが薄く、展示物からの記事だけにする。 なにかいわきの記事やふるさとの石炭の町の歴史や文化に共通するものがあり、初めて訪問した気がしなかった。

日立製作所の企業城下町として日立市を訪問したのだが、日立銅山から話を進める必要があったのは、日立製作所は当初は日立銅山の設備・メンテナンス部門だったからである。 銅鉱石を坑道から引き揚げ、製錬し、輸送するための技術開発から始まったわけである。 もともとから弱電というよりもこてこての重電系(大きな電気を使って大きなものを動かす…かな?)の成り立ちである。 その成り立ちからしても、鉄道のそばに工場を配置して輸送する必要があったのだろう。 市内ではちょっと車で走るだけで、資本関係がありそうな工場だらけである。 日立製作所、日立金属、日立セメント、日立化成、JX金属、日立インダストリアルプロダクツなどなど。 ただ、ショックだったのは、前述の日立駅のすぐそばの大工場、海岸工場と呼ぶらしいが、よく見ると、正面近くのアルファベットでK棟(何棟あるのだ!)の屋根の下に、昔のマーク(鈴の様な外枠の中に「立」の字が見える、「日立」を合成したようなマーク)を撤去した跡がまだ残っている。 マーク変更はあったようだが、それよりも工場の玄関口は「日立製作所」ではなく「三菱重工業」となっている。 東日本大震災での被災後のことのようである。 太平洋戦争時代の狙い撃ちの空襲以来の大損壊であったらしい。 日立城下町の本丸である。 日立とは無関係な私でも何かショックである。 ただ、情勢の変化の中では固執せず、形を優先することも大事なことであると思った。 日立市の日常は変わらずここに有るのである。

日立市街は、大きな工場があることもあり大きめのホテルが目立ち、その上前述のとおり駅やシビックセンターなど近代的な建物が並ぶ。 数か月前に百貨店の閉店のニュースがあったが、城主の勢力により城下町が縮小しているだろうことは想像がつくが、さすがかつての茨城県第一の都市、それなりに整っている気がした。 訪問前は土浦市に住んでいる私は、なんとなく勝手にライバル視してきたが、これは敵わない! 東京から仙台まで続く国道6号線沿いの郊外の丘陵地一体は、かみね公園という大きな公園で、動物園、遊園地、郷土資料館、桜・ツツジの丘、頂上広場、展望施設などがある。 市民の憩いの場である。 その頂上の一角に、「吉田正音楽記念館」という施設がある。 数十年前は有料だったと覚えているが今や無料! 橋幸夫、吉永小百合、三田明などを育てた音楽家の出身地で、その功績をたたえる遺品などが展示されているが、われわれ年代が小学生の頃ヒットした歌手たちなので、今となっては有料の価値がないのだろう。 
「いつでもゆ~めをーいつでもゆめ~を♫」、「このみーちはながいけどあるきーながらゆこう♫」などなんとなく口ずさむだけで、なぜか歌える。 帰りの車は高速ではなく70キロの道のりを2時間かけて南下した。 日立、多賀、大みか…、案の定、駅が来るたびに日立の大きな工場が続いた。 まだまだ日立は元気である。 その海沿いには有名な東海村の原子力発電施設が続いた。 そこから5分くらいでこれも有名な「ひたち海浜公園」が見えてきたが、私の鼻歌は続く。 「しんさいばしはーわかいふたりのーあう~ところ♫」 どれもいい歌である。 楽しい一日であった。 明日からも続く真夏の日々への活力をもらった気がする。






コメント

  1. 匿名8/17/2023

    情景が目に浮かぶね!(^^)! 放浪の随筆家になれるよ! 立派なもんだ~ ('◇')ゞ

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