傷ありガットギター

 先日、思わず口ずさんだ歌があり、たいへん懐かしく思い出した。 ギターを弾き始めて間もない頃、高校の音楽の授業で歌を作るという課題があった。 詩を書くのが苦手だった私は、市販の詩集から詩を選び、曲をつけて提出した(合法? それでも可という先生のコメント)。 懐かしさは”自作第一号”の歌であったからである。 父親のことは何度か記事にしたことがあるが、母親のことはまだ記事にしたことがなかった。 私の実家は、父親の代で終戦後の仕事探しで地方公務員として働き始めたが、元は半農半漁、昔の典型的な大人数家族であった。 幼い頃から母親は大家族のために黙々と家事を行っていた印象があるが、実は絵や歌や本などが好きな少女時代だったようである。 学校の授業や活動で覚えてきた歌を練習していると家事をしながら、よくその高・低音部を合わせて歌ってくれたりしたような…、唯一の接点というか楽しみというか…。 中学三年のクラブ活動が終了した夏、私が深夜ラジオの影響でギターがほしいと言い出したところ、高校受験もあり反対されるかと思いきや、さっさと佐世保の商店街から傷ありの安売りガットギターを買ってきてくれた。 半農半漁の家族や地域の雰囲気では、ギターを持つなどその価値観から外れていて、不良の…。 今にして思うと、私が音楽が好きなことが母親にはうれしかったのだろう。

「ふるさとは遠く」なってしまったが、その母親に会いに行くことにした。 私と三十歳近く離れており、すでに介護施設のお世話になっている。 長崎県の山と海に囲まれた環境のよい施設であった。 コロナ禍からの制限で面会時間は少人数の三十分、話には聞いてはいたが、あれだけ表情も表現も豊かだった母親が無表情。 私が自分の子供であることすらも記憶からは消えているようで、耳が遠いため筆談で会話がやっと成立。 心なしか表情が緩んだか? 私の顔認証は成立できたのかは不明だが…。 以前からたまの帰省時には「お前は誰の子かぁ~?」ととぼけてみせていたが今や現実となった。 誰でもよく使うものはすぐ出せるところに、使わないものは奥の方に埋もれて行くのだろう。 自然界では生きていくために外界と接点を持ち、接点の分だけ記憶の出し入れが必要となるが、施設ではその生きるためのサービスは提供されるだろうから、身体の衰えも相まって外界との接触機会は激減し、記憶の出し入れ(脳の活動)自体も激減するのだろう。 元気であること、施設の親切な対応など、やっと会えてホッとしたが、何か複雑な心境になった。 今度いつ会えるのだろうか?

ちょっとだけ感傷的になりながら、「家族」というものを考える。 この歳になって、当たり前のことをさも今発見したかのように書いてしまうが、同じ一親等でも、同じ「幸せ」を実感するとしても、立場によって感じ方が全く違う。 雨が降り出したときに傘をかざしてくれたのは親であった。 私は雨が降っていてもいなくても、濡れないという状況は変わらず安心であった。 子供に対しては傘をかざしているのは私である。 手がきつい! 濡れる! 冷たい! ただ、子供は安心して傘の中にいる。 高齢者になった大の大人が言うセリフではないが、あの安心感にはいつでも戻りたいと思う。 ただ、残念ながら戻ることはできない。 その時傘の中で一緒に安心していた兄弟姉妹という同士も、当時は傘がそっちに傾いているとか言ってけんかしていたが、たぶん同じ安心感に戻りたいと思っていることだろう。 いつまでも同士(二親等ではあるが…)。 同じ経験をいつまでも覚えている数少ない同士である。 自然界は不思議な仕組みを作ったものである。 自分一人では子供は作れず(動植物の中には変異した珍種はあるようだが…)、”元は他人”のパートナーと力を合わせて傘を広げ、安心感を作るという共同作業のリレーを当然のように脈々と積み重ねている。

ふるさとを離れた後も、母親とは家族の話や生活のエピソードを電話で伝えてはいたが、細々と続けていた音楽や文章の創作活動についての情報伝達はできなかった。 インターネットを使うと可能であり、喜んでもらえるに違いないと思い何度か勧めてみたが、筆はキーボードには置き換わらず、「拒絶反応」は崩せなかった。 今からでも遅くはないと思う気持ちもあったが、今回の訪問で全くないと確信した。 ただ、伝達できなくても、創作活動は続けなければならないと思った。 なにか、傘に施されたワンポイントの刺繍、これも脈々と続くだろうリレーの対象のような気がした。

自作第一号の記憶をたどった。 自作の歌は、詩や楽譜や録音で残そうとした時期はあった。 この第一号は何度かやろうとしたのか、記憶にはあるが記録にはない。 メロディは思い出せたが、詩は一番しか思い出せない。 なんとかパソコン演奏として残しておきたい。 覚えている部分に継ぎ足しで創作活動をすることにした。 厳密に言えば、一番の詩を生かすことは、著作権の問題はあるが、五十年以上前のこととして、作者の方も多めに見てくれると想定して…(一部自作ではない旨、注意書きは残したい)。 「あの頃の子守歌」とタイトルを付けた。 殻の外の世界をポジティブに表現するブログであることに努めてきたが、今回はポジティブ感を残したエンディングが見つからない。 私もいつかは…。 そのいつかも…。 三十年前、パソコン・携帯電話が広まった頃、神戸大地震の頃、オウムサリン事件の頃、初代の「スラムダンク」が流行った頃、彼女は今の私と同年代! そんなに遠くない!
                        

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コメント

  1. 匿名7/27/2023

    思いが伝わるメロデイーだね!(^^)! お母さま、合う回数多くできるといいね。うちも同様ですが、ひ孫の動画を見せると少しばかり、家族の距離が縮まるような感じです。2週間に一度、15分に制限された面会なんですが、欠かせない日常です。

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