自己完結で楽しく…

WBC(ワールドベースボールクラシック)は興奮した。 優勝候補とは言え、東京ドームでの一次ラウンドからハラハラの連続。 早くコメントしたかったのだが、日本の全メディアでありとあらゆる取り上げられ方をしていたので、野球小僧としては手も足も出なかったわけである。 硬式野球・軟式野球・ソフトボール・草野球などの”自称”経験者から、ただの野球好きやにわかファンまで、様々なファンが応援し、報道を見たいと思った!  どんなレベルの好き(周りとの比較)かではなく、自分の中でどれくらい楽しいか、である。 プレイする選手たちは…、真剣の上に自身の楽しさを表現するMLB(メジャーリーグベースボール)の選手たち、真剣の上になおかつ周りの期待に真面目に向き合い押しつぶされそうなNPB(日本プロ野球)の選手たち、対象的であった。 優勝という結果を出せて本当にホッとした! 特にNPB選手たち!  私は、軟式野球までで野球を離れたが、高校時代野球を続けている友人たちのために記録したスコアブック以来、50年ぶりにスコアを記録に付けながら、東京ラウンドをテレビ観戦した。 懐かしくスコアを記録することができ、ハラハラもできて楽しかった。 次回も優勝してほしいと思いつつ…。

レベルはガクーンと下がってしまうが、自分の趣味の領域でも向き合い方を”楽しく”に変え始めている。 これまでは「飽くなき挑戦」とか「ストウイックな挑戦」とか言い続けてきたが、ある意味では、時間を掛ければ…、パソコンソフトがうまくなれば…、などの”タラレバ付き”であり、 その上でどこまでやれるか試したかったところもある。 最近感じているのは、その”タラレバ”は付けないということ。 それ自体が自分の楽しむ環境の条件であり、限界であるということである。 「今頃かい!」と突っ込みが入りそうだが…。 今までもわかってはいたのだが、結果には常に”タラレバ”が付くというか…。 ”タラレバ”を進めることが伸びしろというか…。 それ自体”不要な前向きさ”というか…。 ”タラレバ”付では消化不良であり、不完全燃焼のように思えてきたのである。 立ち位置の違いだけかもしれないが、「やることを決め、やり方を考え、やってみたらこうなった。 そしてこれが分かった。」の方が一瞬ごとに楽しい!  

ふるさとの島の立体地図(隣の島も含めた)は、約一ヶ月半で完成を迎えた。 前回の失敗を受けて、塩化ビニールを基盤に起点と終点が決まっている等高線(つまり一周して元に戻る形)での作成は思惑通りにできたようである。 25,000分の1の縮尺。 つまり、実寸250mが地図上1cm、10mは0.4mmということである。 等高線は10m毎に描かれているが、使用する市販(100円ショップ)の厚紙は0.5mmが主流のため、厳密には高さ方向の縮尺は20,000分の1ということ、実寸よりも25%高く出来上がることになる。 この25%もコストと時間(調達の)の限界であるが、本当の限界に直面するのはここから…。 厚紙は薄い紙を重ねてミルフィーユのようにして作られているようで、理屈としても0.5mmよりも狭い幅での切断、糊付けはミルフィーユが剥がれて困難。 現実的には1mm幅でもヤバい。 「鋭い刃物で一刀両断し、寸分の狂いなく一回で接着」すればよいが、そう行かない! 昔その道のプロに聞いた話を思い出した。 半導体の製造過程の微細な電気配線をシリコン板(ウェハーという)の上に落とし込む工程は、写真の現像と同じでネガに光を当てウェハーに映し出すのだが(リソグラフィという)、光の波長よりも短い輪郭に光を当てても、輪郭の線はボケてしまって配線をくっきりと映し出せなくなるらしい。 既存の工程での半導体技術の限界はここにあり、性能を上げるためにはより短い光の波長(可視光線→紫外線…)を使用する工程を追い求めることになる。 というわけで、私のこの作り方の限界は、山や丘の頂上付近は、1mm角よりも小さくはできないということである。 そんな限界に気づきながら島は何とか完成した。 頂上は「一刀両断」の四角形だが、満足である。 

音楽も同様、自分のやってみたいことを一人でも実行できるようにするために、パソコンソフトを利用して音を出すことに挑戦してきた。 それなりに面白く数年にわたって楽しく活動しているが、自分が体験していないことは、特徴のあるところはイメージでき表現できるが、細かなところやどうでもよく聞き流しているところはわからない。 それをなんとかしようとしても、肉体、技術、知識など限界がある。 例えば楽器、例えばリード演奏、例えば音楽のジャンル…。 それでも、自分でイメージできる範囲でやってみること自体が楽しい。 四分音符と八分音符を主に使うと、音が少なくなり取り付き易い。 曲にはそれなりの法則があるようで、今回はブルースに挑戦。 ブルースの典型的なそれらしく聞こえる法則は音階とリズムにあり、音階はド・♭ミ・ファ・ソ・♭シ・ド、リズムは八分音符の三連符。 この法則ならブルース調? これらの音階が入った音を、リズムに合わせて演奏しメロディを付ければ、なんとなくブルースになるような気がしてきた。 この延長線上に、つまり八分音符を二倍から四倍詰め込んだ音を演奏するところに、エリック・クラプトンがいると思うとワクワクする。 音色の構成は、ハーモニカ、アコースティックギター2本、エレキギター、ベース、ドラム、ボーカル2人、詩は以前掲載した「いつも少年」という詩を修正して使うことにした。 この詩への思い入れ…、最初の就職先の同期(以前掲載したKくん)で、彼の緑のサニークーペでいつもいっしょに遊んだものであり、私はその頃を思い、いくつになっても容姿さえ見なければ当時と変わらないと表現した。 その彼は残念ながら数年前、若くして他界してしまった。 いつかお互い”少年”になろうと思いつつ、いつかが来ないままに…。

先日ラジオの「子ども相談室」の子供と先生のやり取りで、子ども「外出の時、知ってる人と会わないときでも、格好いい服を着ていこうとするのはなぜか?」という質問に、先生「理屈では正解を説明できるかわからないが、自分のことが好きだからだと思う」という回答。 これはこれでナルシストっぽい状態とも言えベストアンサーかどうかはわからないが…、シンプルで共感できた。 「周りを意識して自分の行動を決め、周りとの比較で自分の満足を感じる」のでは相対的でつまらない。 特にシニアは、動機・行動・結果とすべて自己完結し、自己評価で満足感に達することに心掛けた方がよいと感じてきている。 それ以外の不純物は、いまや登場させる意味がないようである。 ただ、若い頃のギターを始める時のお決まりの動機は”モテたい”。 今も、容姿さえ見なければ”いつも少年”だとすると…。


コメント

  1. 匿名4/19/2023

    なぜ人前で演奏したくなるかっていうところに、深層心理があるんだろうなー!(^^)! 老人施設に行っても、やっぱりこの気持ちは無くならないんだろうなー・・・恩師の言葉に、好きになればうまくなる、強くなるには、苦しみを楽しめ・・のがあります。凡人の僕は、前半だけでいいや・・と思ってしましました。 ま、いいか~( ^^) _U~~

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