「ここぞ!」の感覚

書き出し早々脱線する。 ちょうど1年前の2月27日「最近の将棋のニュースが…」というタイトルで掲載した。 その中で、タイトル取りまくりの藤井くんは、令和4年中に名人位を獲得することはないと書いた。 それは名人戦の仕組み上、不可能だったのでそう断言したのだが、驚いたことに、掲載直後B1級(上から2番目のリーグ戦)で優勝昇級し、その後今年度のA級(1番上のリーグでここの1位が名人位挑戦者となる)で、トップタイとなり、そのプレイオフに勝利し挑戦権を獲得した。 名人戦第1局は4月5,6日東京で開催される。 昨年のブログ掲載からこれしかないという最短での挑戦権獲得。 すごい若者である。 突然の脱線での緊急速報!! その藤井くんの頑張りにも共通するかもしれない。 もう少し緩い話題であるが…。

京都単身赴任で数年が経った頃、隣県に住んでいる 幼馴染みに連絡を取ってみた。 赴任当初は、会社に慣れることと京都観光で彼のことを考える余裕もなかった。 やっと少し時間を作れるようになり連絡を取りすぐに日程調整。 彼からの待ち合わせ場所が大津駅前のびわこボートレースの無料送迎バス乗り場。 久しぶりの宴の場所はボートレース場の指定席である。 私は昼間酒で懐かしい話をしたい。 彼はアルコールが入ると真っ赤な顔になり、昼間の街中では恥ずかしい、それとボートレースを楽しみたいということで、すべてを満たす場所、彼のベストチョイスがボートレース場の指定席であったらしい。 当然大学の教室のように私語を楽しむ場所ではなく、全席外向きの前列が低い傾斜になっている。 アルコールやツマミはフロアの売店まで買いに行く。 その買い出し以外はそれなりに心地よい。 その買い出しも2回目以降は、私は缶ビールと保冷剤を入れたリュックを背負って、彼は競艇新聞と柿の種を持って、さすがは長い付き合いで自然と担当決めができ、待ち合わせることとなった。 ボートレース自体は初めての経験だったが、我々には合っている。 島育ちの我々は、船着き場の到着出発時の船、地元の夏の風物詩のぺーロン競争などで、水上の船の動きの難しさが分かる! 私としては競X(X=”馬”、”輪”、”艇”など)のどれも初めてだが、他の競Xと違って、競艇はインコースが絶対的に有利であり、専門的な知識がなくても順位予想したくなる。 操縦士(レーサー)の技量、ボート、エンジン、風や波の向き、彼はいろんなことを考慮しているようだが、私はインコースの1号艇中心で、少しだけ穴を狙う戦略である。 子供の頃のトランプやその他のゲームと変わらない! 私は小心者、彼は勝負師!! 1つのレースだけでもそうだが、彼の場合は「ここぞ!」というときに大勝負をする。 一日12レースの中で、(ボクシングで言えば)軽快にジャブを出すところと強烈なフックを打つ時がある。 「ここぞ!」という読みは何なのだろうか?

勝負を観戦する側の「ここぞ!」という場面もあるが、必死で勝負を行っている側の「ここぞ!」もある。 大学時代に一時期熱中した、卓上のゲーム、麻雀の時の感覚もそうである。 麻雀のルールそのものの説明は省略するが、1テーブル(麻雀では卓という)4人で2周、順番に親(ゲームを仕切る役目で上がり点、払う点が増加する)が回ってきて、最短では8回ゲームを行い、終了時点で持ち点の大小で勝敗(混乱しないように1試合の中に最低8回ゲームを行うという呼び方にする)を決める。 よって、1試合で2ゲーム上がれば確率的にはまあまあということになる。 難しい上がり手を作ると配点は高くなるが遅い。 簡単な上がり手は配点は低いが早い。 そのバランス感覚が難しい。 ところが、ゲームの流れのようなものがあり、一生上がれないような配牌(最初に配られた牌の組み合わせ)が続く時もあれば、何をやっても上がれそうな配牌が続くこともある。 どう考えても確率以外にはあり得ないはずなのだが、そんな登り調子の人と沈み調子の人がいる。 私の場合は、沈み調子のまま終わるか、登り調子の時に流れに乗れずその後は沈み調子で終わるか…、 麻雀は好きなのだが勝てない! ちょっとだけ負け惜しみを言うと、何をやっても勝てそうな時は、相対的に他の3人は沈み調子になっていて、ゲームの雰囲気自体が暗い感じで、ゲーム自体として考えも戦略もなく、ただ突き進むだけになってしまう。 その運に左右される「流れ」のようなものが好きになれず、そのうちに囲碁将棋のように運の介在が少ないゲームの方を好むようになる。 またも脱線するが、最近耳障りな言葉で、気持ちがいっぱいいっぱいになっている状態を「テンパる」と聞くことがある。 どちらかと言えば悪い状態の表現である。  「聴牌(テンパイ)」という麻雀用語で上がりを待っている状態、特に高い上がり手の時は、ドキドキしながら待つためそのイメージなのだろうが、私はもうすぐ上がれる時のドキドキ感と安堵感などのよい状態の表現としか聞こえず、最近の使われ方には違和感がある。 話を「流れ」に戻そう。 スポーツでも似たような話はある。 野球の解説者が「流れ」という説明をよくする。 「流れ」が悪い方のチームは、エラーをしたりフォアボールを出したり、やっとの思いで2アウトにした後でホームランを打たれたり…。 最近良くテレビ中継がある卓球では大量リードしていてもあり得ない程の連続ポイントを取られたり、駅伝ではもう限界そうなランナーが予想以上に健闘し、レースの展開が変わったりする。 どの選手も鍛錬を積み重ねているにもかかわらず、もしくは、鍛錬を積み重ねているが故に、気持ちの問題が勝敗を左右することになるのである。 つまり、「ここぞ!」というタイミングを察知して、うまくものにして勝ちを手にする。 「筋力」の後ろにいるのは「気持ち」である。

私は、そのようなスポーツもゲームも大好きであるが、その「ここぞ!」の感じ方が、鈍かったり、ヌルかったりするのだろう。 競艇の話に戻るが、我々は観戦しているのだが、操縦士(レーサー)は勝負をしており、やはり「ここぞ!」のタイミングを獲得しようとしているわけで、私の友人がいろんなことを考慮する中に、操縦士の精神面も含まれるのかもしれない。 そうだとすると、勝負を決めるスポーツやゲームは、人間が介在して勝負するところに面白さがあり、今流行りのAIではこの面白さは生まれないのかもしれない。 日常的な生活や仕事においては、そのような精神面の影響は、「感情的(エモーショナル)」と言われ必ずしも良い意味では使われない。 現に私も「根性」とか「気力」という言葉を聞くと、理屈に合わないことの逃げ道として活用されているようなイメージを持ってしまう。 それ故に、私は日々論理的でありたいと思ってきた。 ただ、実力伯仲の勝負を観戦するときには、「感情的」な人間の衝突を感じなければならないし、その事自体が面白いという気持ちにさせるのだろう。 機会があればもう一度、私は缶ビールの詰まったリュックを背負って、かつ、操縦士の「感情的」な部分を学習して、指定の待ち合わせ場所で幼馴染を待ちたいと思うのだが、大津駅前は遠い。 しかし、この感覚の今こそが私の「ここぞ!」かもしれない。




コメント

  1. 匿名3/27/2023

    藤井聡太君がどのような感情の流れで勝負しているのか、コメント聞いてみたいね!(^^)!

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