前回と今回採用した写真は梅の花である。 旅行中、満開の梅の花を発見し、誰かの家の庭先で咲いていた風景を撮ったものである。 許可なく掲載しても大丈夫だっただろうか? 紅梅にメジロが数羽飛んできていて、蜜を吸っている(口の中を負圧にしないと吸えないので、くちばしでは無理で表現的には正しくない)のだろう。 メジロと言えば、子供の頃、近所のオジサンがたくさん飼っていて、よく遊びに行った。 オジサンは世話をしながら、メジロの鳴き声を口で鳴らす。 どのようにするのか真似をしてみても音は出ない。 舌と唇と歯を上手に使って出すらしい。 一羽もらって飼ったことがある。 今では鳥獣保護管理法で規制されているが…。 毛並みがよく、まさにウグイス色で、目の周りは白い縁取りで美しい。 餌は、黄粉と大根の葉っぱを混ぜてすり潰したもの、すりおろしたリンゴ、などだったが、雑食でいろんなものを食べた。 椿の花をカゴに入れてあげると、花に顔を埋め、花粉で顔が黄色くなりながら、蜜を吸って?いたのを思い出す。 メジロの鳴き声は、単発ではオスがきれいで「チヨリ~」と鳴き、メスは「ツー」と鳴きオスほどきれいではない。 さえずる時は「キリキリキリ…」と鳴く。 私はその後も、鳴き声を出すことができなかったが、中学の野球の練習でボールが前歯に当たり、ちょっと隙間ができてしまった。 非常に痛かったが、唇を丸めて歯の隙間から息を吐くと、メジロの鳴き声のような音を出すことができるようになった。 残念ながら「ツー」と鳴くのだが…。 大人になってからは、虫歯のせいか、歯周病のせいか、歯並びが変化して出せなくなってしまった。 邪道ではあったが残念である。
「指笛」は、沖縄民謡ではよく聞かれるが、子供の頃は練習してできるようになっていた。 親指と人差し指で輪を作り(OKサインのように)、舌を丸めてその裏側に輪を添えて鳴らす。 子供が小さい頃、驚かせたくてやって見せようとしたが、残念ながら鳴らなくなっていた。 「口笛」は昔から上手くはなく、高い澄んだ音にはならなかったが、自分の中での自慢は、吐いても吸っても音が出ることだった。(誰でもできるのかどうかは確認したことがない) 最近になって、はしだのりひことシューベルツという50年ほど前の”新しい”グループの「風」という曲の前奏と間奏の口笛をやってみようとしたが、余りにも音が汚く断念していた。 「まめ笛」というのもあった。 路肩に勝手に茂っているが、豆がなっていない春先にはなぜか認識困難。 カラスノエンドウというらしいが、スナップエンドウを小型化したような”美味しそうな”豆である。 中身をすべて出し、ツル側を少し切り(上達すると半分以上切っても大丈夫)、サヤの先端部の方を咥えて吹くと音が出る。 (上達後は)すべて口の中に入れて吹くと言葉のような発音ができ、ちょうど楽器のカズ-(ドナルドダックの声みたいな…)のように、歌い、しゃべりながら通学したものである。 これは子供には大うけだったが、ある日、私の収穫場所付近が近所の犬の散歩で縄張り主張の用足しの場所になっていることに気づき、敢え無く禁止行為になってしまった。 今日の一句は…。
種を出し吹くまめ笛今も楽し
(文章の説明通りであるが、季節的には5月以降だろうか。 まめ笛を季語としたつもりだが、季語一覧には「まめ」しか載っておらず微妙である。 ただ歳を取っても、子供の頃のように非常に楽しい遊びで、詠んでみたかった。)
子供の頃難なくできていたが、歳を取って様々な理由でやらなくなった行動はたくさんある。 メジロ飼育は法整備、メジロの鳴き声は体の変化。 「指笛」は原因不明だがたぶん音が大きいので周りを気にしてだろうか。 もう少し挙げてみるが、私の場合なのでそうでない方もいるかもしれないし、「あるある」と相槌を打つ方もいるかもしれない。 鉄棒の逆上がり、逆立ち歩き、ちょっと広い溝の飛び越え、階段数段の飛び降り、分単位の予定設定、テーマパーク、人前での「初めて」のこと…、などなど。 これらの例も様々な理由があるが、分類しようとして面白いことに気づいた。 まずは、「体の衰えによりできない」。 そこから進んで、「万一できないとき危ない」(危ないのは、物理的に危ないのと、精神的なショックとある)。 そこから進んで、「危ないリスクは避ける」。 そこから進んで、「大事さの天秤にかける」。 そこから進んで「天秤に人の迷惑/人目が加わる」。 そこから進んで「端から諦める」。 昔工場でよく使った「なぜなぜ分析」のようである。 分類してみて気が付く。 「体の衰え」は誰にでもあることであるし、それ自体は受け止めるしかない。 「端から諦める」には言葉からしてもポジティブさがない。 事情があってそうせざるを得ない方もいると思うが、私のテーマからは外れることは確かである。 これら2つの理由を両端に置き、残りの4つのどこかに私の行動の”分水嶺”があるのだとすると、自分のこれから(年寄りのポジティブ度)を決める重要な要素ということにならないだろうか。 0:「衰え感」~5:「諦め」の”年寄りのポジティブ度ものさし”(ドラえもんの道具みたいだが…そのドラえもんの声すら今は昔とは違う)
を使った自己評価を取り入れてみよう。 現在の自己評価は4だろうか。 目指すは…2である。 メジロの鳴きマネはできなくなったが、春が来るとあの鳴き声が聞こえてくる。 誰かの家の庭であっても、笑顔で挨拶をして美しい姿を鑑賞させてもらおう。 きれいに洗った「まめ笛」で、「サンフランシスコベイブルース」というカズ-に合うアメリカ民謡の様な曲を演奏してみよう。 日に日に春はやってくる。


指笛は鳴らしてみたいなー!(^^)! ボカロに口笛の音はないのかな? キーボードにもありそうかもね~
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