半年ほど前にダウンサイジングで、軽のワゴン車に取り替えた記事を掲載したが、買い替えから1年が過ぎ、快適に乗り回している。 加速が悪いのは事実で周りに迷惑をかけない様に走ると、エンジンに付加をかける運転となり、燃費が落ちることになるという悩ましいところもあるのだが、風の抵抗の大きいワゴン車なので目をつぶるしかない。 最近わかってきた別の現象は、高速道路やバイパスなどの片側二車線以上の道路で、後ろから来た普通車は老若男女問わず、私の車を追い越し前に入ろうとする。 ちょっと強引すぎたり、入った割にはノロノロだったり、その都度年甲斐もなくブツブツ言いながら走るのだが、結局早く走るということでは、最大出力では負けていると諦めるしかないということを肌で感じる。 相対的には弱い方ということである。 コロナの流行は収まらず、4回目のワクチン接種を終了したが、優先順位は基礎疾患のある方に次いで高齢者である。 高齢者の中では若い方、シニアデビュー間もないのだが、それでも優先順位は高い。 これもやはり抵抗力の最大出力という意味では相対的には弱い方に属するのだろう。
バスや電車に乗ると優先席があるが、自分はまだまだ優先席カテゴリーとは思っていない。 優先席でない状態では、よくテレビなどでエピソードになるような…、席を譲られた経験はないが、そんな場面が来たとしたら、「ありがとう」と言って素直に譲ってもらえるだろうか? そう言えば最近、殻の外の生活では整髪・髭剃り・ネクタイなどの機会が減少し、鏡の前に立つことが減少している。 見た目の自分と自分の脳が認識している自分とのギャップが、益々大きくなっていることは逃れられない事実である。 誰しも感じることではあり自分だけ特別ではないと思うが、見るもの、聞くもの、感じるものを脳が判断をする時、若い頃の自分と今の自分の違いというものを自分では理解できていないとよく思うことがある。 脳は宿っている個体を客観的に評価することはできていない。 大昔、確かアメリカで購入した壁掛けのことを思い出した。 ”What matters most is how you see yourself.”(私の理解の訳では…何が一番重要かは自分が自分のことをどう見ているかだ!)と書いてある。 シニアの私が鏡に写った20代くらいの自分を見ているということか! 席を譲る強い方と譲られる弱い方の選択肢は4種類。 ①譲りたい-譲られたい、②譲りたい-譲られたくない、③譲りたくない-譲られたい、④譲りたくない-譲られたくない。 ①④はある意味では意見の一致で問題にはならないが、②と③は問題である。 相対的に強い方は貢献の心かつ弱い方は感謝の心なしには成立しない関係かもしれない。
最近、SDG’sなるものが国連で決議され、日本も世界に倣ってそれらの活動をはじめている。 会社では、取引銀行がパンフレットを持ってきて、宣言をするように要請されたりする。 SDG’s(Sustainable Deveropment Goals:持続可能な開発ゴール)は、貧困、格差、環境、医療、教育などから17項目を打ち出している。 SDG`sのロゴマークがあるが、使用するためには支援の表明などややこしい条件があるようで、私の意見は支援を表明しているか不明なので掲載しない。 取り上げている目標に関しては、どの項目もこれからの人類と地球の将来には必要なことであり、共感している。 ただし、戦争中の何処かの大統領や発展途上の経済大国が主張するように、自由にやり続け、そのメリットを受け続けてきた人々が気づき、全世界に行いを改めようと言う主張に見えてしまう。 そんなことを考えていると生き物の宿命的なものを感じてしまう。 周りよりも自分が…という競争心。 一定の資源の中では、得をした人がいれば損をした人がいる。 言い換えると、損をした人がいなければ得をした人はいない。 比較相対が根底にある以上は、それを抑制しようとする重しがない限り、平和や平等などはありえないということだろう。
もう少しSDG’sの話題を続ける。 そんな壮大な人類(生き物を代表して?)の挑戦ではあるが、企業に下りてくる時は、支援の表明が企業価値をあげるとのプロモーションスタイルに早変わりしている。 あくまでも競争原理の比較相対である。 どんな形であれ、企業活動の中に”抑制の重し”を…、それもありなのだろう。 ただ、支援を表明する企業、特に日本企業の大半を占める中小企業は、壮大な人類の挑戦を具現化しなければならない。 かつて環境ISOという国際標準を取得しようとして、どの企業も環境影響のある目標に、電力使用削減として昼休みの消灯などを目標に上げたが、そんなごまかしではこの目標は達成が難しい気がする。 項目の一つとして、ジェンダー平等という目標がある。 日本の現状は、男女平等ですら実現に程遠い状況にある中、弱い方の人々の就業機会創出の問題を考えるとすれば…、例えば言葉のハンディがない仕事のような、「平等」を目指すとするとある条件下で最大出力で負けていると思う必要がない仕事改革が必要で、業務フローや個々の役割の棚卸しから始まることになる。 国の仕組み、社会の仕組み、会社の仕組みがわかっているシニアの働き場所はまだまだ無くならないということか! 「貢献」と「感謝」の気持ちを持つことで幸福感を感じながら…、鏡に写った20代の自分を感じながら…、弱い方のカテゴリーに片足突っ込んで来たことに気づきながら…、SDG`sを考えながら…。


社会的弱者まで行かなくても、収入の減少と年を重ねることで、先行きが無限の広がりを持たなくなってきますね。ま、いっか~ で、人との見た目競争から降りることと、他と違う誇れるものを有形、無形に、保持することで、安らかな第二線生活を送れるような気がうっすらとしています。社会的傍観者として、子供たちの世界を眺めるまであと少しかなー!(^^)!
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