ステレオタイプ

以前理系の学生の減少というのがニュースになり、理系出身の私としてはモノづくりニッポンの将来を心配していた。 状況はニュースになった数年前とあまり変わらないと思うのだが、学生の割合では、文系:理系=7:3の様でこれはなんとなく以前と変わっていない気がする。 私の高校時代(50年前)は、一学年13クラス中5クラスが理系コースだったことを思うと、心配するほどの変化ではないようである。 モノづくりニッポンの将来の心配は、入口の学生の割合ではなく、出口(退職する我々)と入口の人数の変化かもしれない。 人口減少、特に団塊の世代の退職である。 補足だが、当時の理系には体育系、デザイン系は含まれていなかったが、時代の変化もあり、また考えてみると体育系、デザイン系、商船系なども理系である。 本題に戻るが、
理系を目指す生徒は同種類ではなく、大分すると2つのパターンに分かれるような気がする。 私はその片方のパターンの典型だったかもしれない。 以前から触れている苦手な工作のみならず、プラモデル作り、自転車の修理、カエルの解剖、化石探し、宇宙のこと??? どれをとっても興味があったわけではなく、むしろ苦手であった。 ただ、教育熱心な叔母の監視下で、予習とドリルが小学時代の生活に入り込んできていた。 それらは、クイズのように答えがはっきりしている教科には効果を発揮し、算数や広範囲な理科の中の物理系(坂道を引き上げる力とか天秤の釣り合いとか…)に強かったようである。 つまり大分すると、クイズ形式の問題に強いタイプと興味がある(根っから好きな)タイプである。 そのまま高校まで続いた。 地理と歴史ものは根っから好きなタイプだったのだが、受験戦略上は補助科目と位置づけ理系コースで受験した。 幸運にも合格できる学校はあったがその結果はすぐに出た。 大学の数学や物理化学は、「答えが出る」クイズ形式ではなく、「答えが出ない」その向こうを考える”学問”(仮想空間のデジタル・有限の数字に対する処理ではなく、自然界のアナログ・無限の数字に対する処理や考え方)で、究極的には、数学者が哲学者だったりするのである。 繰り返しになるが、私はクイズ形式の教育に特化した、当時では大学受験が目的のようにして近道を進んだ”クイズ形式な理系人”である。 その後同じ”数字系を学んだ”とは言え、1から9までの牌の配列や確率を考える麻雀に興味が向いていった?記憶がある。

仕事についてからも理系の話はつきまとうことになるのだが…。 大学時代の経験は、社会人になってからの取っ掛かりのきっかけは作ってくれたが、それ以降は、それが理系的であれ文系的であれ、眼の前のものに興味を持ち下向きに取り組むだけであった。 モノづくりの現場では、発想は個性であるが処理には個性は不要で、標準化や品質の安定が重視され、誰がやっても同じものができなければならない。 そんな中でも、子供の頃から”クイズ形式”の考え方に慣れていることがプラスして、通常業務の処理の変数が多いアナログな現象を、ある意味では自分が考えられるパターンに置き換えて、簡略化したデジタルな業務として処理をすることで、希少価値(30%未満)の理系は重宝されてきたような気がする。 ただ付け加えて置きたいのは、最も理屈っぽい職業であるはずの弁護士や心理学関連の方々は文系出身の方が多く、専門書や特許資料の難しい文献を読むのは(しかも外国語で)理系出身のエンジニアだったりする。

stereo type(ステレオタイプ)という英語の言葉がある。 固定概念や思い込みと直訳されているが、覚え始めの頃に不思議な感覚になった。 ステレオはよく知っていた言葉で、モノラルとステレオなので、左右のスピーカから同じ音が流れるのがモノラル(AMラジオの音)であり、左右別々のマイクから収録された音が聞こえるのがステレオ(FMラジオの音)である。 最近分かったのだが、同じstereoという単語なのだが、印刷用の型の「ステロ版」の”ステロ”が語源の様である。 型にはめたように同じものができるのである。 私の経験では、英語で使用する時は悪い意味で個性を無視して型にはめたような発言のときにたしなめられる言葉だった記憶がある。 ただ、商品を販売する際の販売促進策を考える時、個性を重視すると傾向がつかめないが、ある項目で多少なりとも偏りが見つかると、販売促進策が見えてくる。 マーケティング的な手法としては大事な考え方である。 概念的に考えた方が近道を見いだせる時と個性を傷つけてしまう時があり、ステレオタイプという考え方の活用の仕方が問題なのだろう。

今回は、〈理系・文系〉を題材にしたが、性別、人種、出身地、血液型などなど、私たちは日常的に限りなくステレオタイプな言動を展開している。 それらは便利で分かりやすい分類になっているのだが、的確かどうかは定かではなく、データの裏付けも乏しかったりして、特徴を掴むちょっとした偏りだけでもウェルカムなケースと、微小な偏りを特徴化され迷惑を被るケースがあることをわきまえなければならない。 最近のテレビの特集で、「女らしくない」という悪気のない常識から、理系コースを選ばない女子生徒が多いという結果があることを聞き、そう言えば、大学時代工学部のキャンパスは、学生も先生も女性の姿は見当たらなかったこと、寂しく思ったものである。 ”リケ女”という言葉が一時期流行っていたが、これも日本のステレオタイプを知らず知らずに押し付けている言葉かもしれない(だとすると50年前私も”リケダン”?)。 「理系」や「文系」というクイズ形式教育の弊害や、「男らしく」も「女らしく」もない「人間らしく」生きることを考えるこの頃であるが、ちょっと遅かったか…!

コメント

  1. 匿名5/17/2022

    型にはまる→硬直てきな→かたくな  型にはまらない→柔軟な→ユニーク どっちかといえば、後者で有りたいと願い、過ごした学生時代! 社会人になってみたら、傍若無人→勝手なやつ→常識がない な〜んていわれたりしました。程よさはどこにあるのか? 終生の課題ですね(^^)

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