風の音を感じてみる

筑波山のブログの記事は、「稲架かけ」の頃に始めた活動を12月初旬に掲載したものである。 こんな時に、俳句は季語が入るので都合が良い。 そんな頃から始めた筑波山の立体地図作りもようやく完成した。 当時の言い回しでいうと「登頂した」ということだろうか。 6ヶ月、87層のボール紙を、10m間隔の等高線を描いて、切って、貼っての繰り返しであった。 途中中断したり、土台の変形などで創作意欲も薄れたりしたが、やっと完成! 国土地理院の売店の女性にも(立体地図のための地図を購入した時に、立体地図模型を進められた)報告したいくらいであるが、自慢できるような出来栄えでもなく…。(自分でもこの執念深さに次の言葉が書けない。) ただ、ボール紙の材料が余ったことと、土台の材料の検討、その他改善できることは幾つかあり、気持ちが盛り上がったら、またいつか挑戦しよう。 お礼の意味も込めて、筑波山頂上に立ってみる。 本来なら歩いて登るところ、今回は時間短縮、体力温存! ケーブルカーでの登頂にした。 天候は晴れではあるがかすみがかって、残念ながら富士山もスカイツリーも見えない。 想定内ではあるが…。 南西方向から吹く風の音を聞きながら春を感じた。 今回の一句。

風光る 眼下はかすみける平野(説明は上記)

立体地図プロジェクトはひとまず終了ということで、次のプロジェクトに移ろう。 次は音楽活動か?! 3回目のブログ「貝塚遺跡に立って」に掲載した詩に曲をつけたい。 

 プロの方々のインタビューなどでよく聞かれるのが、曲が先に作られ、そのイメージに合わせて詩を付けるようであるが、アマチュアの私はそんなレベルの高いことはできず、まずは詩を作り、その詩に合わせて曲のイメージを考える。 ただ、「作りたい」が前のめりになると言葉遊びになってしまうので、アマチュアらしく詩ができてから曲を付けるというパターンである。 簡単に工程をまとめると、①思ったことを表現し(文でも落書きでもなんでもよい)メロディが付きそうな塊に整形する。 ②詩のイメージに合わせてリズムとコード進行(伴奏)を検討し、曲全体の構成を作る。 ③曲の構成と詩を繰り返し見比べながら湧いたメロディを記憶する。(昔は浮かんだものをすぐに忘れていたが、最近はスマホに口ずさむなど便利になってきた) ④コードとメロディをDTMで演奏してみるため、楽譜入力をする。(コードは、簡単な四分音符の和音を、ギターかピアノの音色で刻むだけ) ⑤入力した音を鳴らして自己満足でジーンとしながら詩と曲を微調整する。(ジーンとしないものはボツ) ⑥曲全体の構成を再検討、伴奏・ハーモニー・ボーカルを録音または楽譜入力する。 以上であるが、②③④の状態で先に進まない残骸がパソコンの中にはたくさんあり、あとで聞くとはずかしくなったり、復活させたくなったりいろいろである。 今回は、①は前回のブログで終わっている状態、ということでこれからが②である。 縄文時代の貝塚の暮しをイメージして…。 風の音・森の香り・鳥の鳴き声・波の音など…、はじめと最後だけでも素朴さと神秘性をイメージしたい。 通常はギターコードでC(ハ長調ドミソド)の和音から始めるところ神秘性を意識してCメジャー7(ドミソシ)、ベースが単調なリズムを刻むことにする。 余談だが、キーの決め方は自分の声の音域の幅によって決まることが多いが、伴奏する楽器によって曲の雰囲気に合わせた響きがあり、特にギターの場合は最大で弦の数6本、押える指5本で和音を構成するという限界があるが、押えるポジションにより、同じドミソ(コードC)でも何通りかの演奏が可能である。

ちなみに、音楽と人間の関係までは調べていないが、私が言えることは人間が心地よいと感じる和音と、それ以外の”和”にならない複数の音の塊がある。 また、その中でもちょっとだけ許されている気持ち悪さのある和音の刺激性が心地よかったりで、それを不協和音と呼ぶ。(今回使ったメジャー7のドミソシの”シ”がそれである。) 和音のつながりも同じであり(ドミソ、ドファラ、シレソのように)、小学校の時の音楽の授業の挨拶は、ドミソ→ドファラ→ドミソであり、ハ長調でのコードはC→F→C、このつながりは安心感がある。 このように、和音の組み合わせは無限大ではなく有限で、”音”を”楽しく”受け止める”音楽”は、人間が心地よく感じる(楽しい、悲しい、他いろいろの感情の琴線に響く)和音とリズムのつながりであると思う。 メロディはその和音の制限の上で、音の高さを組み合わせたもの(長さもあるが…)。 音と音の高さのつながりは、(鍵盤を思い浮かべると)ドから次のドまでの13種類の組み合わせ。 前後の音の組み合わせは13(音)x13(音)=169(音)通りもあるが、例えばドミソという和音の制限の中では3x3=9通りしかない(経過音を入れるともう少し増えるが…)。 すでに限界を超えているかも知れず、曲作りで「できたぁ~!」と思っても「どこかで聞いたことがあるような曲だねぇ!」という感想で終わったりする。 私は”意図的ではないが結果的に”曲のイメージが似てしまったり、メロディの一部が似てしまったり、することは当然ありうると思っていて、作る側が意図的に引用しないことと聞く側が心地よく感じること、が大事でそれが”音楽”だと思う。 昔、4小節までは著作権を侵害しない(真似したことにならない)と聞いたことがあったがそうではないらしく、ただ、盗作を立証するのは裁判でも大変なようである。

最近では、デジタルでの音楽が主流になりその技術の向上を駆使して、楽譜も読めない、楽器も弾けない人でも、創作活動ができ、ヒット曲を出せる時代になってきて驚いている。 誰でも音楽の創作活動ができることは良いことだと思う。 ただ、私の図画工作のように超下手なものにはなかなか手を出さないものである。 長年生きてくると様々な良い作品が脳に刻み込まれているため、脳のイメージと自分の創作のギャップが大きくなってしまうものである。 ギャップによるショックの大きさを脳の中でどのように処理するかの問題である。 結論を根性とか忍耐とかの問題にしたくはないが、楽しさはいつも耐えることの向こうにあるのかもしれない。 もしもよければ、私と”風の音”を感じてみませんか?! 

コメント

  1. 匿名5/07/2022

     流されずに一日一日を大事に生きると、すべての行為がいとおしく感じられて、今までいやになりそうだったことも、楽しい時間に代わりますね。 一期一会の経験を重ねたいと思います。動画の音いいね!(^^)! 新作期待しています。SKYROOMやろうねー
     

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