先延ばしにしてきたものが、気持ちとして延ばせなくなる時がある。 スマホの買い替え時期である。 その気はなかったのだが、2年前、ある日突然Lineが使えなくなった。 OSが古く更新ができなくなり、OSの更新にはハードが古すぎ、結局スマホの買い換えになってしまった。 国産品へのこだわり、iPhone以外のこだわりもあり、大手3社以外の流行りの格安スマホにした(製造元は海外かも知れないと思いながら…)。 通話料やデータ通信量のことの意味はわかるつもりだが肌感がなく迷った挙げ句、格安を感じられる仕様にした。 今も問題なく使えている。 味を占めたか、単身赴任終了後、いろいろ目に付き始めた。 固定電話! 親と親類以外はいたずら電話の類いばかりである。 撤去! 何かの住所登録をする際、この歳で固定電話なしと記載するのが多少気になるが、問題なし。 ネットワークプロバイダ! テレビと固定電話と一体型にしていたが、解約しWiFiの小型端末に切り替えた。 これは多少問題が…。 通信が安定しないため、容量の必要な、遅れの気にならない通信ができず、格安の…ひかりに再切り替え!
ライフラインとしては電気、ガス、上下水道などがある。 以前は家庭の電力としては、使用最大アンペア数くらいしか選択肢がなかったが、最近は電力会社が乱立状態でわけがわからない。 私としては先延ばし中である。 給料天引きで公的仕組みに組み込まれているのが、健康保険と年金(21世紀に入ってからは介護保険もある)で公的仕組みで概ねカバーできているが、民間の保険、年金関連の商品もたくさんある。 基本は「もしも」の時や貯金代わりに、定期的に積み立てるがごとく支払って行くものである。 集団で資金を出し合って、「もしも」の時に備えるわけだが、「もしも」があった人に高額な保険金が配分され、「もしも」がなかった人は支払い損という制度である(差額は保険会社の利益)。 家族としては「もしも」は起きない方がよいし、損得勘定としても人生として、いや地球貢献としては、得をするより損をする人になりたい気がする(狐につままれたような話だが…)。 ただ、「転ばぬ先」の杖ばかりを準備しても、今日の食事にありつけないかもしれない。 バランスが大事なのだろう。
生命保険(命に対する残された人への保障)から医療保険(残された人への迷惑を少なくするための保障)に切り替えることにした。 ちょうど65歳で命の保障額が激減することもあり、昔の生命保険は医療保険の一部がオプションになっていたところを、激減した生命保険のベース部分だけ残して解約。 医療保険に変更するにあたり、同じセールスレディからの勧誘でがん保険に加入していた。 これは今でいうところのがん専用の医療保険のようなものだが、医療保険部分の内容変更を問い合わせたところ、融通がきかなかったため、これも思い切って解約。 改めてネット契約の7大疾病対応の医療保険に切り替えた。 気分的にはちょっと心細さがある。 この心の隙間が必要以上に保障範囲を増やし、保険会社の大型化を生むのだと自分に言い聞かせたが、不幸にもそのネット契約の保険会社も最近では頻繁にテレビコマーシャルを始めている。
心細さを補う意味でも、更なる「残された人への迷惑を少なくするための保障」を検討しようと思い、ネットで「介護保険」のことを調べ始めた。 今では、所得税、地方税、国保税、介護保険料を徴収されているが、この介護保険料、一生続く様である。 メカニズムは、財源の半分はこの給料や年金から天引きの介護保険料、残りの半分は税金から賄われ、在宅・施設サービスなどの介護サービス利用の70~90%、認定される要介護レベルにより個人負担額10~30%が決まるようである。 この中には衣食住費は含まれていない。 民間介護保険の記事を見てみると、一人あたりの介護サービスに係る費用は平均1500万円、そのうち徴収されている公的介護保険から1000万円、不足分の500万円(この中に個人負担額も含まれる)が民間介護保険のターゲットのようである。 退職2年目の6月以降で、地方税、国保税が身の丈に合う額になってきたら、残された人への迷惑削減を検討しよう。
「人は、土から生まれて、土に還る」とよく言われる。 仏教的な輪廻の発想かもしれないが、私はよい言葉だと思っている。 本当の意味とは違うかもしれないが、私の解釈では”ゼロから始まり、ゼロで終わる”と思っていて、人生究極の効率の良さを意味する理想の形と思うのだが、科学の進歩は武器と医学をますます進化させ、人生100年時代到来と考えると、最初の扶養されている約20年間の子供時代のあと、40年間仕事をして40年間年金をもらう、つまり若いうちから給料の半分は天引きされていないと理屈に合わず、公的なサポートに限界があるのは当然のように思える。 自分の長生き度の予測は無理だろうが、”土に還る”感覚は持ちたいものである。 好きな言葉ではないがいわゆる「終活」かも知れず、わたし的には「ダウンサイジング」と呼ばせてもらおう。 様々なサポートや遺産など親から譲り受けた相当のものを予備の蓄えとしながら、子どもたちに引き継ぐと思えば、それほど無茶な話ではないと思う。 これからも、恐る恐る手探りで、延ばせる間は先延ばししながらダウンサイジングに挑戦しよう! 理想の形に近づくために…!

ダウンサイジング、就活、ぼちぼちやらんとな~ 17年かかって、楽しんだ楽器たちも、娘たちの里帰りスペース確保のため、居場所をなくしそうです。まずは、実家への疎開のため、実家整理がこの夏の大イベントになりそうです。いずれは全部処分するつもりですが、もう5年くらい、思い出に浸りながら楽器を愛でたいなーと願っています。!(^^)!
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