花時の探索!

街の中心部を歩いていると、この街に似つかわしくない奇妙な光景に出会った。 東京では桜の開花が報道される時期だが、今年は東京から100km圏内のこの街ではまだ開花まで数日かかりそうな時期である。 言葉から推測すると韓国人っぽい若い女性3人組が、自転車に乗って街を探索している模様。 最近はネットで紹介されるからか、その土地の住民でも知らないような名所やSNS映えするスポットなどに、外国人の観光客が目立つようになってきているようだ。 この街には何があるのだろうか? 中心部には市民には有名な亀城(きじょう)公園、霞ヶ浦・筑波山一帯のサイクリングロード、お城の南側の昔華やかりし頃の古い建物たち。 他の地方都市同様で法律改正以前は、商店が立ち並んで賑やかだった通りも今はシャッター街である。 
駅ビル1階の貸し自転車店から借りてきた自転車だろうが、彼女たちは全く場違いな観光になっていないか心配である。 市街地だけでは東京から電車で往復2時間以上使って観光するには物足りないが、サイクリング目的で1日がかりで霞ヶ浦から筑波山の麓まで足を延ばし、サイクリングロードをのんびり走り回るのであれば、それなりに楽しいかもしれない。 そういう観光または住民が知らないスポット観光だったことを祈るばかりである。

鎌倉時代は、水戸は佐竹氏、このあたり(霞ケ浦の水面(当時は海面だったかも)が高く現中心部の状況不明)は小田氏の支配で戦国時代まで続いたが、秀吉の小田原征伐の際、北条氏に味方した小田氏はその後取りつぶしに、関ケ原の戦いで家康に味方しなかった佐竹氏は国替えとなった。 その後水戸はご存知の通り、東北外様大名の見張り役として徳川御三家の拠点となった。 この街はしばらく入れ替わりが続いたが、譜代大名の土屋氏(元は武田氏配下)になってからは明治維新まで続き、特に5代~8代将軍時代は老中を務めている。 また、地理的な変化としても、江戸時代の五街道である水戸街道の宿場町として、霞ケ浦から利根川を経由して水路が江戸まで直結したことで内陸からの物資輸送の拠点として栄えた。 明治に入り鉄道(常磐線)が開通すると、水運の輸送拠点としては下火になったが、鉄道輸送では引き続き拠点となっていた。 茨城県は日本有数の農業県ではあるが、その工業化の波と、東京のベッドタウン化、常磐快速で1時間ちょっと、早朝通勤時はギリギリ乗客全員座っている状態で、1980年代後半のピーク時には、京成、丸井、西友(1号店)など大手百貨店や地元百貨店が街の中心部に存在した。 日立製作所の工場は、地元企業としての貢献か、この街から北の常磐線沿いの小さな駅に点在している(神立、勝田、佐和、東海、大みか、多賀、日立、十王)。 神立駅(かんだつ)には、日立の工場、日立建機の工場(すぐそばに日立電線も)が並んでいて、周辺の道路は朝夕はいまも混雑する。 1985年のつくば科学万博以降は、市としての勢いはつくばに移り、人気のつくばエクスプレスも「つくば」が終点。 駅前を賑やかにする秘策はいまだに模索中のようである。 ちなみに、最近マンホール蓋・ナンバープレートはご当地の特色を表した絵が描かれていて興味深いが、この街のマンホール蓋は、帆引き船(霞ヶ浦でわかさぎ漁などに使用する風力を生かした独特の形状の帆船)・霞ヶ浦・筑波山、ナンバープレートは、帆引き船と花火である。

昨年も4月7日のブログで茨城県の桜を紹介した。 千姫の弘経寺、訪れたのが満開ちょっと過ぎだったが、今回の方が数日遅いような気がする。 この街にある茨城県の桜の名所の一つは、土屋氏の居城址の亀城公園である。 城址公園としては小さくこじんまりとしており(本丸・二の丸址)、低湿地帯に築かれた水城で頻繁に水につかった姿が、亀の甲羅の上に立っている城のように見え亀城と呼ばれている。 天守閣は再現されていないが、中心部に入る櫓(門)は四方とも残っている。 公園内の中心(本丸址)には芝生の広場があり、老人たちがゲートボールをしていた。 二の丸址は市立博物館、旧国道6号線を挟んだ藩校郁文館址は第一中学校がある。 桜の木はどれも古い感じで枝ぶりが美しい。 水城らしく堀の水が近く桜との景観に趣がある。 

資本主義経済において成功するかしないかは、他よりも魅力があるかどうかの競い合いであり、魅力を生かして限られたパイの中でたくさん引き寄せること、またはパイを大きくすること、が必要である。 前回は武力での競い合い(一方的に攻め込むことも含めて)を取り上げたが、武力ではなくとも経済原理としては同じ”競争”なのである。 いや、経済原理だけではなく、結局は自然界の構造も弱肉強食なのである。 後者(パイを大きくすること)であれば努力は報いられるが、前者においては努力は報いられるとは限らず、より魅力的なもの、よりプロモーションのうまいもの、だけが弱肉強食の勝者かもしれない。 SNSの普及は、弱肉強食をもっと極端なものにしているような気がする。 なにが”強”でなにが”弱”なのかその定義は難しい。 それぞれの街の特徴を生かした個性と、それを感じる”単視眼的”ではない多様の楽しみ方が必要なのではなかろうか? がんばろう土浦!



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コメント

  1. 土浦がこんなに、はんなりした街並みだとは初めて知りました。控えめで静かっていいと思うな~!(^^)!頑張らなくてもいいんじゃないかなー

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