昭和生まれの暴力反対!

 ロシアのウクライナ侵攻! ショッキングなニュースである。 ロシアの動機も再三報道されてはいるが、動機はともかくニュースで見る限り明らかに限度を超えている。 その上、西側の出方によっては「核兵器使用」らしき発言が気になる。 真剣に考えてもみなかったが、地球上には13,130発の核兵器がほんの数カ国により保有されている。(長崎大学核兵器廃絶研究センターのデータ) 抑止力と言われるが、報復の連鎖を想定すると一発目の使用が問題で、どんな理屈や優先順位付けでも肯定されるべきものはないだろうと思うのだが…。 悲惨な世界が、数名の権力者たちの手の内にあるとすると恐ろしい。

私はこの歳になっても、自分の頭の中が整理できていないことが多い。 その一つ。 暴力は悪! どんなことがあっても暴力を行使してはいけない、と学校でも習い、家でも聞かされた。 昭和生まれの私は、身近な話から戦争の話まで嫌というほど聞かされた。 ところが、子供の頃実際に味わったのは、喧嘩の強い子、腕白な子、それに今でいうところの反社会的勢力予備軍的な近しい人がそばにいる子など、何かされることへの不安であった。 だから、子供の頃のヒーローは、体の強い、スポーツマンの活発な子であった。 期待するのは、なんとなくではあるが相手にダメージを与えてくれそうな抑止力だったような気がする。 そうだとすると、私の子供の頃大人たちから聞かされたことは間違っていたのだろうか? 電車の中で怖い人に絡まれている人を見つけた時私はどうする? 会社でも報復されないとわかっている会議では相手を傷つける発言をしていないか? 結局力の原理が生活の多くを支配していないか? 理想と現実の違いぐらいは分かっているが、今の小学生に何と教えればよいのだろうか? 今回のロシアのウクライナ侵攻のニュースは、私の整理できていない脳の中をかき乱している。

少しでも整理が進めばと思い、関連してそうな本や史実を手にしてみた。  新約聖書に復讐を禁じている有名な言葉がある。 「右の頬に平手打ちを加えるものには、もう一方の頬を出してやれ」 これは悪人を相手にするな!という教えである。 解釈が様々ある様だが…。 抵抗する手段を奪われた者の唯一の手段が「無抵抗の抵抗」であり、それにより加害者側の「回心」を迫る結果になるというのが主流。 非暴力を掲げたインド独立運動は有名である。 マハトマ・ガンジーである。 非暴力・不服従という独自の方法論で、宗教の違いを克服した(イスラム教とヒンズー教)インド民族の結合した民族独立という目標であった。 米国ではキング牧師の有名な言葉がある。「I have a dream. …」 黒人差別の廃止の抗議運動を指導した。  南アフリカの反アパルトヘイト運動を指導したノーベル平和賞受賞のネルソン・マンデラ大統領も有名だが、非暴力という確固たるメッセージは見つからなかった。 ただ、暴力や権力的圧力では平和は訪れないことを実証した運動だったのかもしれない。

これらの史実は武器に頼らず自由を勝ち取った有名なケースであるが、今のウクライナとは少し違う。 インドの場合、仕掛けたのは目標を持っている側。 ウクライナの場合は仕掛けたのは自由を奪う側である。 聖書のいうところの”悪人”なのだが、当事者たちの主観的な評価では結論が出ないかもしれない。 70余年前、日本では今も終戦記念日とされている日の後も、原爆が投下され弱りきった国に侵攻してきたのが当時のソビエト連邦その占領地域は今も返還されずである。 傍観者的だが、騒ぎが収まってもウクライナの原状復帰は期待薄か? ただ、つい最近まで世界で2番の経済大国と言われてきた日本の脆弱さ、不完全な体制が表面化している。 日本はウクライナに何をしてあげられるのだろうか? 欧米が宣言した制裁措置にちょっと後から賛同する、(避)難民を数人受け入れる以外に…!

私の脳の整理は今回の記事調べでちょっとだけ前進したか!  
無防備に戦わないことと、目標に向かって策略的に戦わないことは違うのである。 太平洋戦争後の私たちは、米国式民主主義と米国に守られることを前提にした戦争放棄を国の体制に組み込んだ、生活をし教育を受けてきた。 それと日本人の倫理観、武士道の潔白性、「ならぬものはならぬ」の精神的美学のようなものがある。 いまだに自衛隊が違憲か合憲かの議論は続いているし、飛行機や小麦のように当時の圧力がいまだに日本の産業基盤の中で継続されていたり、米国の傘の下で生きている感はある。 昭和生まれの少年は、細い体の頭でっかちな子供で、暴力を否定し、策略的な考え方をも良しとせず、潔く理想を追いながら、強いものには従う生き方をしてきたような気がする。 腕力であれ、策略的な考え方であれ、もしものことを想定した準備やシミュレーションが必要なのではなかろうか! 少なくともお金、時間、肉体、頭脳など自分を犠牲にしながら、その準備をしなければなれないのだろう。 言うは易しである! 未来のために率先垂範と言いたいが、この歳ではちょっと遅かったか…?! せめて、明日から考える時間だけでも作らう!!

コメント

  1. 暴力はいけない・・は最優先事項。実社会で力関係(社会的影響力を含め)があるのは、動物の社会でも序列があるように自然なこと。問題は序列を保つのに、他に、危害を加える、自由を奪う、武器を使用してはいけない・・は必須でしょう。いかに大義があろうと、これは主張する側の意見であり、執行される側の大義ではないはず。まず話し合いましょう・・と国連作ったが、常任理事国という枠組みに、反社のような国々(我々の立場から見て)が入って運営していることから、機能不全に至っている。起こっていることにどう対処するかが現時点の論点だとすれば、起こるべくして起こることが、きっかけを得て起こるのだろうと思います。落ち着いたとき、また「話し合いましょう」となるのかな? 子供達には「暴力を使ってはいけない。でも自分の身は自分で守ろうね」と教え、逃げる、避ける、言いつけるを含め教えたいと思います。

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