お正月と駅伝の話

お正月というイベントは、当然中国由来であろうが、素人なりに考えてみると結構難しい。 昔は太陰暦だろうから、今のお正月の時期ではなかっただろうし、太陽暦は太陽の周期によるとすると、微妙に31日の月と30日の月、4年に1回のうるう年、何か調整が入っている。 数え年の時代には、全国民がお正月で歳を取るため、全国民の一大行事であったことには間違いない。 イベント的にはやはり収穫とかお供えとかを考えると、神道系の行事なのだろう。 変わりつつあるお正月、いろいろあるだろうが、最近は駅伝のテレビ中継がトレンドというか。 何か我々日本人の国民性に合っているのである。  

 またも外国人が上司だった頃の経験談だが、たまに日本に訪れては海外のやり方を押し付けたがるところがあり、若気の至りで日本人を代表するような思いから、「私達はそれではうまく行かないと考えています。」と発言すると、その上司は「”私達”は止めてくれないか! ”あなた”がそう考えるのか? ”複数の人”が考えるのか? もし複数ならその名前を具体的に言ってくれないか!」。 考えてみると、日本人は英語で話す時に”I”を使わず”We”を使うことが非常に多い。 自分の中では、”I”を使うと自分を売り込んでいるような気分になり、聞いている周りの人が「お前だけじゃない! 俺もそう思っていたよ!」と思うだろうという気持ちも少しはある。 もともと島国で土地が少なく密集した農耕民族であるからか、自分だけ飛び出すことを嫌い、みんなで助け合おうとする。 それがチームを大事にする心を生むのか?

工場にいた頃、不幸にも組み立て不良が重なったことがある。 本社からやってきた偉い人たちが、工員全員集合で、「繰り返さないと肝に銘じて、作業にあたってくれ!」。 訓示の直後、工員数人にどうしなければならないかと尋ねても、一生懸命やりますとしか応えられない。 確かに「肝に銘じる」ことは「一生懸命やる」ことである。 工場では同じ製品が一日に何個も流れてくる。 一生懸命は最初はできるが長くは続かない。 なので、工場では精神論はなく、どの工程のどのやり方をどのように変えよう!と指示を出さなければならない。 というわけで、私は精神論は嫌いであるはずなのだが…。 日本の国技である大相撲! 知っての通り無差別級である。 甲子園! 技術のない体力のない高校生の試合を、プロ野球よりも好んで見ていたりする。 体力、技術力よりも、純粋な気力の戦いを良しと思うのは、私だけではなさそうで、日本人の特徴なのだろう!

年末年始は有名な駅伝大会が目白押し。 都大路を駆け抜ける全国高校駅伝、元日の群馬空っ風の日本一を決める実業団駅伝、2~3日の関東大学陸連の箱根駅伝。(大学女子の富士山駅伝もあるが、まだ新設で盛り上がりに欠ける) あくまでもファンの一人のつぶやきではあるが、理屈で考えるとチームのベストタイムの合計の速い方が勝つ可能性が高い。 ただし、そのベストタイムがいつの記録かわからないし、選手のコンディションに大きく左右されるだろうから、最も正確なのは、チームの監督かコーチの前日の予想タイムだろう。 それでも、走っている途中でケガをしたり、腹痛に襲われたり、大ブレーキの危険性はある。 良い方に予想外の記録となることもある。 これが私の警戒する”気”の部分である。 勝ちたい気持ちが強い方に勝機が出てくる、俗にいう「流れ」というものと、純粋に「気力・根性」の話になる。 ここに、襷とか絆とかいう別の精神論、つまりは”We”の力がある。 この3つが入り混じった力を生むと、論理的には考えられない領域になる。 どうしてもそれを見たくなる!

年末年始は様変わりしている。 仕事納め、餅つき、大掃除、飾り餅、門松、紅白歌合戦、お屠蘇、おせち料理、雑煮、お年玉、年賀状、かるた(百人一首)、年男、初男、年始挨拶、初売り、福袋、初詣、仕事始め…、いくつ継続しているだろうか? 我々が子供の頃は核家族になる前で、店という店はすべて閉まり、年始の挨拶での大勢の訪問者、家々に活気があったようである。 子供心に楽しかった。 酔っ払いの男性たちと話したり、作り置きのおせちのお陰で女性たちもこたつに入るゆとりがあったり。 お年玉はもらえるし、ゲーム相手もたくさんいた。 核家族、”満”で歳を数えること、ネットの浸透のためか、お正月の特別感が減り、店もオープンで保存食も不要、ネットで常時買い物や通信可能。 退職後で、子どもたちも旅立つと、お正月らしいイベントは極端に減少する。 私の中では近い将来には、お屠蘇(子供の頃は病院からもらって来る煎じ薬と砂糖で前の晩に漬け込むヤツだったが今は清酒)、ネットでの新年の挨拶、が残る程度か…。 お正月の食文化は、以前は母親から義娘(つまり嫁)に引き継がれるのが普通だったが、核家族では面倒な”しきたり(やり方)”はなく、実家で育ち・習ったやり方や味が引き継がれていく。 つまり母方のお正月の継承となるのだろう。 時代の変化でお正月の在り方も多様化する中、”見たくなる”駅伝はネットに押され気味のテレビ局の救世主なのだろう。 大家族経験者の我々シニア世代が作った核家族という新しい家族の在り方で、お正月の過ごし方も風物詩も変っていくのだろう。 日本の文化の”襷渡し”を”肝に銘じて”この時期を過ごすことにしよう! 



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コメント

  1. 外国人上司の話、工場の話、駅伝の監督の話・・・ 客観+具体性 と主観+モチベーション+メンタルの組み合わさり方が見え隠れする面白い事例ですね。 Weの話➡自分の主張をぼやかすために行ってる可能性への危惧と確認 または、他の人もそう思うだろうとの推定の元、我々はこう思う・・という
    こともあるよね。工場での朝礼の話は、社長訓示の後、工場長、管理課長が、立て続けに同じ表現で
    話をしたときに「どうせっちゅうねん(# ゚Д゚)」と頭にきたことがありましたね。下位管理職ほど方針をかみ砕いて指示しないといけないと思いますが、そうでないことを多く見かけますね。ここらは日本の生産性の低さの根底にある問題かなーと思います。駅伝では、青山学院の寮内での管理状況の話が良く報道されますが、連取―メニューの目的に対する具体性と、走ることへの筋力強化メニューの適正さ、量に対する確認と競争意識を芽生えさせる表示。見える管理に対しての選手の自主性を要求した自己管理とメンタルを推し量る細やかな観察と声かけが、混在した管理状況が素晴らしいなと思います。

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