歳を取ると、様々なことを知り、若い時のような純粋な憧れは消えている。 というよりも、アメリカ合衆国(以下、アメリカと呼ぶ)との付き合い方が戦後変わっていないことを非常に残念に思っている。 当初はただの憧れだったが、大決心してアメリカ行きを決行し、内側から見ることができ、アメリカ感も日本感も変わった気がする。
私のアメリカへの思いが現実化したのは、
42年前だったか? 大学卒業3年目で、自分の現状と将来に悶々としながら停滞した毎日を送っていた頃、当時の上司と頻繁に打ち合わせで得意先に車を走らせていた。 その行き帰りではいつもアメリカの話で盛り上がった。(上司はアメリカに知り合いがいて、何度か訪れていた。) 私は、アメリカからやって来る様々な音楽とメジャーリーグの映像のこと。 あのごっつい風貌の男たちのハイテックな、心にしみる演奏。 球場での選手と観客の自由で、明るく、基本に忠実でないプレイの数々。
なにか眩しかった。 憧れだった。 3年目の冬、上司からアメリカの外国人向け英語学校のパンフレットを手渡され、「日本人が少なそうなアメリカ中部の英語学校に学生ビザで行ってみたらどうだ」と。 飛行機にも大学受験で
1度だけ2時間足らずしか乗ったことのない私に…である。 英語学校への申込み、招待状が届いたら学生ビザ(通称I-20 )の取得、飛行機の手配(片道)、必需品の準備、トラベラーズチェック(当時はまだクレジットカード未普及)、ほとんど上司のアドバイス。 その上、バックパックと「地球の歩き方」という旅行ガイドまでもらって…。 仕事は3年3ヶ月で退職、その直後の出発であった。
憧れが現実に! あまり不安はなかったのだが、言葉がわからない! 通じない! バスターミナルのチケット売り場で、「Do you have a reservation?」と聞かれ思わず「I don’t
know.」。 西海岸からグレイハウンドバス(高速バス)で東へ。 後で気がついたのだが、大体の大都市でグレイハウンドバスのターミナルがあるところは最も治安が悪い所で、今だったら近寄らないエリア。 こちらもアジア系の浮浪児の様な風貌で、どっちが怖かっただろうか? アメリカ中部の英語学校、こんなところにも日本人がいた! 最初は、ここまで来て日本人と触れ合うのは少しためらった。 だが、すぐに考えが変わった。 英語の暮らしは想像以上で、大の大人が日々自分の言葉で表現できることが、おはよう、元気ですか、はい、いいえ、日本人です、英語わかりません、腹減った、おやすみ、みたいな…。 母国語で自分の感情の起伏や考えを表現することは、精神衛生上非常に大事なことである。 ”日本”を受け入れるかどうかは心の持ち方である。 英会話に関して…、英語が通じない理由として、発音もあるが、聞き手の関心が大きいことに気が付いた。 言葉は単なるツールである。 人間そのものか、話題かに興味がないと、相手としては聞く気になれない。 それに、日本人はなまじっか文法を学んでいるので、頭の中で文を考えていると話題が終わってしまう。 こちらは英語の勉強だが相手は日常である。 ジェスチャーでも良い。 対話(矢印が双方向に伸びていること)が大事である。
留学ではなく”遊学”である。 英語学校に所属しながら、グレイハウンドバスは常用した。 地理的にも多くの都市へ訪れたが、アメリカ観察に興味が湧いていた。 まずは宗教との結びつき。 少なくとも日本人よりは遥かに強い。 話し言葉の中にも宗教用語や賛美歌のフレーズが登場する。 日本語に訳せない! 体も大きく大胆でかつ理論的と思っていたが、意外とナイーブで感情的である。 というよりは、自分の意見を通すときに大げさに表現する傾向にあり、不慣れな日本人はひるむ! 世界ナンバーワンの大国で生活しているためか、住民たちは人種の不平等を当たり前に受け入れていて気がついていない、と感じるのは私の偏見だったのだろうか? 私が憧れていたアメリカの魅力…自由とか、明るさとか、何でもできそうな感じは、国そのものの豊かさのイメージだったのかもしれない。 思い描いたものとはちょっと違う気がしたが、その後日本に戻ってからもアメリカ及びアメリカの文化と向き合いながら、数十年暮らして来て今日に至る。
滞在中アメリカ人の友だちから「アメリカが日本を防衛してあげていることに対して、不公平とは思わないのか」と質問されたことがある。 私の当時の回答は「その分、お金を払っていればいいのではないか」 これ以上の議論は避けてくれたようだが…。 帰省したのち親父との会話の中で、公務員でいつも冷静で論理的と思っていた親父の声のトーンが少し変わって「アメリカがそんな日本にしたんだろう!!」 琴線に触れた気がしてちょっと驚いた。 そう言えば、子供の頃、戦争モノのテレビ番組はまったく見たことがない。 戦争体験者であった。
先日の読んだ本の記事、戦中戦後のアメリカと日本の関係にも関連してくるが…。 近代化が早く進んだおかげでヨーロッパの国々による覇権争い、自国内に資源豊富なアメリカがその波に乗って200年余り、いつも自国優先で、今流行りで言うとサスティナブル(持続可能な)ではない暮らしの豊かさを続けてきたが、その国にいる者も、そんな豊かさを目指してきた者も、自分たちに影響しない程度にしか軌道修正できないだろう。 アメリカが本場である、美しい音色と響きのアコースティックギターの木も、多くのファンを魅了するメジャーリーグのバットの木も、軌道修正できないままに枯渇してしまうかもしれない。 “アメリカ”は近くになったが、私の“憧れ”にはますます遠くなった?気がする。 一人勝ちの豊かさもサスティナブルではない。 話は大きくなる! 私のできること! ”憧れのアメリカ”は遠のいたかもしれないが、自由で、明るい、そして誠実に暮らせる、みんなの憧れの地球のために、少しでも貢献できれば…と思う!

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言葉が文化・・なまじ頭の中で日本語変換すると、間に合わないし、受け答えの中に、現地の文化を理解した順番で話をしないと、会話にならない。痛感しましたね。 展示会で、通訳足りないから、しょうがなしに説明をしているうちに、受け答えに慣れていったことを思い出しました。 ギターの木の問題は、困ったことですが、僕たちの残り人生の時間では、何とかなりそうですね。SDGSは、息子たちの世代に影響しますから、今手持ちの楽器をしっかり後世に残したいと思います
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