ゆかりの地での披露宴

親族の結婚式があった。 コロナ禍での一年の延期のあとの式であった。 開催者側、出席者側、式場側、それぞれに悩みながら開催することになった。 披露宴は、アクリル板などの仕切りはなかったが、広い会場に、1012人用の丸テーブルに6人掛け。 扉は常時オープン。 新郎新婦以外は飲食時以外はマスク着用。 少なめの祝辞、余興はなし、その代わりに新郎新婦との写真やメッセージコーナーなど、和気あいあいで披露宴の原点に戻った気がした。

 子供たちが小さい時には、帰省などで親戚に会う機会も多かったが、最近ではめっきり減り、子どもたちも家庭を持ち、親子でも会う機会が減ってきている。 冠婚葬祭は、そんなときにかつて見慣れていた親戚の変化を知る良い機会となる。 親戚が一堂に会すると、私はどうしても世代を意識した観察になってしまう。 親の世代、自分たち世代、子供の世代。 今回はコロナ禍でもあり親の世代はゼロ、子供の世代は仕事に子育てに活気があり、会話も弾み、行動的に活動する。 自分たち世代はまだまだ会話の中心ではあるが、体力や考え方の面では盛り上がりは少なく、早めのお開きとなる。 多少もの足りなさを感じるのは私だけだろうか。 世代間の情報の伝達・伝承という意味では、戦後核家族化が進み、我々はまさにその真っ只中で生きてきて、世代間のバトンタッチの希薄さを生み出してしまったかもしれないと思いつつも、お互いに気遣いながらの会話に、なにかホッとした思いである。

 開催場所は浜松市。 言葉の響きだけで気持ちが高ぶる。 私の第二のふるさと、約40年前多感な時期数年間を過ごした場所である。 「思い出はモノクローム♫」と歌うテレビCMがあるが、色は判らないが思い出す場面は鮮明に思える。 当時住んでいた下宿、いつも一緒だった仲間たち、面影を残す場所とともに蘇る楽しかったこと・苦しかったこと。  居場所不明になってしまったクラプトンの好きだったヤツ! 卒業直後に作った歌では…「ホームに夕べのウィスキーの匂いを二人で匂わせ列車を待つ♫ さよなら!あばよ!元気でいろよ!落ち着いたら手紙をくれよ♫」と別れたはず。 今、どうしているだろうか。 ずいぶん昔である! 浜松も変わった! 私も変わった! 

 浜松は工業の街であり、ウナギの養殖の街であり、徳川家康の最初の本拠地である。 NHKの「ブラタモリ」によればどれも天竜川なしで語れない。 暴れ川=天竜川が作った地形が、家康の城の立地に適し、養殖池の開拓に適し、綿花を苦労して栽培可能にし、軍の飛行場(今も自衛隊の訓練施設がある)に適していたことから始まる。 浜名湖は川からできた湖であるが、15世紀終わりに発生した地震と津波で河口の砂州部分が崩れて海水が侵入した栄養豊富な汽水湖に、うなぎの稚魚(シラスウナギ)が海洋から流れ込むようになり、養殖が始まり昭和の時代に最盛期となる。 シラスウナギの減少と中国・台湾からの輸入拡大で出荷高は減少した。 工業の街、ホンダ、スズキ、ヤマハの発祥の地である。 ホンダは飛行場→二輪・四輪車、スズキは綿花→織機→二輪・四輪車、ヤマハは綿花→織機→オルガン→航空部品→楽器・二輪車と、いずれも浜松ならではの変遷である。 

浜松城は浜松の中心部にあり、家康の出世の足がかりになった拠点である。 織田信長、武田信玄に挟まれた微妙な勢力図の頃である。 三方原の戦いで、敗走した家康軍は、城の北側に布の橋を張り、雪が積もった橋と見せかけて、武田軍をあざむいたという逸話がある、布橋という地名は今も残る。 天守閣は昭和
31年に復元された3
階建ての小さな城であり、当時は訪れたことがないくらい無名だったが、「出世のパワースポット」として今では浜松観光の中心的存在となっている。 浜名湖畔には、舘山寺や弁天島の温泉旅館、家族連れにはフラワーパークや遊園地もある。 ゴールデンウィークの頃の凧あげ祭りは浜松では一番の賑わうお祭り、中田島砂丘で勇壮に行われる。 工業の街らしく、公営・企業による楽器の博物館や歴史ミュージアムも作られ新たなスポットになっている。 観光スポットは多い。

思いがけない結婚式のお陰で、第二のふるさと浜松を訪問することができ、人工物の景色は様変わりしているものの、風景や地名は今も当時のままで、自分の若い頃の世界に”次の世代”の子供たちがはいりこんできているような、妙な気持ちになる。 このイベントで日頃考えが及ばなかった”世代”について考えてしまった。 親の世代には戦争及び戦後処理で、様々な制度が生まれ、なりふりかまわずの復興だった。 自分たち世代では戦争風化が始まり、グローバル化が進み、制度が行き詰まり・見直しも必要となってきている。 科学の進歩・発想の変化に制度の見直しが追いつかない状態で現役引退し、子供の世代へのバトンタッチしなければいけない世代である。 地球の広さが無限大であることと人口増加により支えられてきた”豊かさ”の限界は、子供の世代を含めた未来の世代への積み残し課題となる。 話が大きくなってしまった。 ひとりひとりではどうにもならないことではあるが、少なくともその世代に生きてきたひとりである。 生活するための仕事から離れ、やりたいこと探しの多くの時間の中の一部を、未来の世代のために使うことくらいはできるはずである。(「そんなこと考えなくていいから静かに隠居しておいてくれ!」と言われそうだが…) 生涯現役としての生活の中で、今後につながると思われるヒントへと取り組み、チャレンジ精神を持ち続けながら、積み残しを少しでも軽くしたいものである。


コメント

  1. クラプトンはどこへ行った~♪ 元気でいるか~♬ (#^^#)

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  2. 弁天島鳥居も懐かし~ 浜松城きれいになってるね スズキの集中講義あったなー 例の旅館はなくなったんだよね 想い出が一杯の浜松 コロナ収まったら行きたいね

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