オヤジの7回忌はコロナの影響で実家にも帰らずじまい。 我が家には4年前持ち帰った形見の碁盤と碁石がある。 子供の頃、物置の隅にあったものを見つけて友達と五目並べをしていた、あの碁盤と碁石である。 碁盤は、当時からニスがはげ、几帳面なオヤジらしく線に定規を当て鉛筆で修正してあった。 碁石は、白黒薄っぺらで、黒は不揃いで多少欠けていたり、白は片面の中央部が凹み変色していた。 考えてみると、私が聞き及んでいるオヤジ以外の、若い頃のことはほとんど知らなかった。 オヤジが囲碁にハマった時期があったことを大学時代に知り、使い古した碁盤と碁石のことを思い出し、子供ができ封印していた大切なものだったのだろうと、勝手に使っていたこと少し後悔した。 そのうち、オヤジと酒を飲みながら囲碁をやりたいと思うようになり、大学のゼミが碁会所状態になった。 ある冬休みに私から切り出し対局。 冬の陣はオヤジの3連勝。 次の夏休みが夏の陣再戦であったが、期待に反して私の2連勝。 なんとなくオヤジが近くに見え、うれしかったがその後私からは切り出しにくくなってしまった。 結局、私の思いは叶ったが5局のみ私の2勝3敗、約半年の出来事となった。
囲碁の上達には相手が必要である。 会社や囲碁仲間に恵まれていればよいが、碁会所に行くにも、常連しかいない喫茶店に入る気分で、中に入るのをためらってしまう。 パソコンの普及とともにゲームソフトが出現したが、将棋は取った駒を持ち駒として再利用できること、囲碁は(特に序盤に)優劣の判断がつきにくい手(趣向と呼ぶらしい
)が多く、強いソフトが出現しなかった。 それに、ゲーム開発者と専門家が別なので、たまに変な手を打つことがあった。 「音楽との付き合い」のブログで触れたが、製作者のイメージ以上の作品を作るのは困難であったのか? 最近では、ソフトも改良され、AIやインターネット囲碁が流行し、いろんな手段で学習可能となっている。 肝心なことは、引っ込み思案で「後向きな脳」の制止を振り払って、重い腰を上げ扉の向こうに一歩進むことなのである。 囲碁に限った話ではないが、いつまでも学び、練習し、挑戦する心を持ち続けて、この「碁盤と碁石」で囲碁に向き合って行きたい。 あの冬の陣、夏の陣を思い、”3課題+1”に感謝しながら…。
自身の年齢が進むごとに、亡くなった人とのつながりを振り返り、ああしとけばよかった・・・
返信削除が増えてきますね。